鎌倉幕府連署を務めた「北条氏」の人物まとめ

北条時頼と北条宣時の肖像画

「連署(れんしょ)」とは、鎌倉幕府の「執権」を補佐する役職で、北条氏の有力人物が就任し。武蔵守に任命されるのが慣例だでした。

執権の補佐として幕政を担い、執権に次ぐ重職で、実際の権力は「副執権」のようなものでした。

1224年(元応3年)第3代執権「北条泰時」が叔父だった「北条時房」を「連署」としたのが始まりとされ、幕府の公文書に執権と連名で署名したために「連署」と呼ばれるようになったとされます。初代の「北条時房」は名目上は執権として扱われており、最終決定権は泰時にあったとされます。

目次

初代連署「北条時房」

初代執権「北条時政」の子として生まれ、初代連署を務めた人物です。

連署として、第3代執権「北条泰時」を補佐しました。兄弟姉妹に第2代執権「北条義時」や鎌倉幕府初代将軍「源頼朝」の正妻となった「北条政子」がいます。

第2代連署「北条重時」

鎌倉幕府第2代執権「北条義時」の子として生まれ、第2代連署を務めた人物です。

兄弟に第3代執権「北条泰時」や、「北条朝時」、第7代執権「北条政村」などがいます。

第3・5代連署「北条政村」

第7代執権を務め、第3・5代連署などを歴任した人物です。

連署としては第8代執権「北条時宗」を支え、第12代執権「北条煕時」、13代執権「北条基時」は曾孫にあたります。

第4代連署「北条時宗」

第4代連署を務めた後、第8代執権としてモンゴル帝国の2度に渡る襲撃を防いだ人物として有名です。

最明殿といわれた、第5代執権「北条時頼」を父に持ち、「円覚寺」を建立しています。

第6代連署「北条義政」

鎌倉幕府第6代連署を務めた人物で、父は第2代連署「北条重時」です。

第8代執権「北条時宗」を補佐し、塩田北条氏の祖となった人物です。

第7代連署「北条業時」

鎌倉幕府第7代連署を務め、普恩寺流北条氏の祖となった人物です。

父は「北条重時」、兄「北条義政」の後任として連署となりました。

第8代連署「大仏宣時」

鎌倉幕府第8代連署となった人物です。

「徒然草」に記載されている、鎌倉五山第一位の「建長寺」を建立した第5位代執権「北条時頼」と杯を交わしたエピソードなどで知られています。

第9代連署「北条時村」

鎌倉幕府第9代連署を務めた人物です。父は鎌倉幕府第7代執権も務めた「北条政村」です。

甥にあたる、第10代執権「北条師時」を連署として補佐しました。

第10代連署「大仏宗宣」

連署の後に第11代執権となった、鎌倉幕府第10代連署を務めた人物です。

第8代執権「北条時宗」から一字を賜り「宗宣」と名乗り、「嘉元の乱」では時宗の子、第9代執権「北条貞時」の命令で「北条宗方」を討伐しています。

第11代連署「北条煕時」

 鎌倉幕府第11代連署を務めた人物です。前任の「大仏宗宣」が第11代執権へ就任すると後任として連署に就任しました。

第12代連署「金沢貞顕」

鎌倉幕府第12代連署となり、後に10日執権と呼ばれる、第15代執権を務めた人物です

「金沢文庫」を創設した「北条実時」の孫であり、「北条貞顕」や「金沢貞顕(かねさわさだあき)」と呼ばれています。

第13代連署「北条惟貞」

鎌倉幕府第13代連署となった人物で、父親は第11代執権を務めた「北条宗宣」です。

第14代連署「北条茂時」(最後の連署)

鎌倉幕府第14代連署であり、鎌倉幕府滅亡時の最後の連署を務めた人物で、父親は第12代執権を務めた「北条煕時」です。

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