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「北条宗宣」~鎌倉幕府第11代執権(第10代連署)~

「北条宗宣(ほうじょうむねのぶ)」は、「大仏宗宣(おさらぎむねのぶ)」とも称され、鎌倉幕府第11代執権(在職期間:1311年~1312年)、第10代連署を務めた人物です。

父「北条宣時(大仏宣時)」のもと大仏家の嫡男として生まれました。

元服時には第8代執権「北条時宗」より一字を賜り、宗宣と名乗り、幕府の要職を歴任しています。

目次

生涯

弘安9年(1286年)に引付衆となり、永仁5年(1297年)から六波羅探題南方に就任しています。
乾元元年(1302年)まで在京しており、「嘉元の乱」においては第9代執権「北条貞時」の命により「北条宗方」を討っています。

嘉元3年(1305年)7月22日、「北条宗方」を打ち取った功により連署に任命されています。

応長元年(1311年)9月22日、第10代執権「北条師時」が亡くなると、連署から昇格して第11代執権に就きました。

「北条貞時」と対立した宗宣の執権就任は貞時がすでに病身だったためと推測されています。

しかしながら、幕政は内管領であった「長崎円喜」が権力を握っていたため、深く政治に関わることができなかったようです。

正和元年(1312年)、執権職を「北条煕時」に譲り出家しています。同年の6月12日に54歳でなくなりました。

教養人だったようで「新後撰和歌集」「玉葉和歌集」「続後千載和歌集」など、計23種の歌が収録されています。

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