「北条茂時(ほうじょうしげとき、もちとき)」は、鎌倉幕府第14代連署を務めた人物です。
父は政村流北条氏で、第12代執権を務めた「北条煕時」、母は第9代執権「北条貞時」の娘、茂時は鎌倉幕府滅亡時の連署を務め最後の連署なりました。
目次
生涯
茂時の生年は良く分かっていませんが、生年はおよそ、嘉元元年(1303年)前後であったと考えられています。
正和4年(1315年)に第12代執権「北条煕時」が亡くなると、家督を継ぎました。
この時に後任として、執権任命の話もあったようですが、あまりに若すぎたのが影響したのか最終的に執権には就任していません。
嘉暦元年(1326年)5月13日に引付頭人に就任し、嘉暦2年(1327年)第13代連署「北条維貞」が亡くなってから、空位となっていた連署へ第16代執権「北条守時」より元徳2年(1330年)7月9日に任じられています。
元弘3年/正慶2年(1333年)5月22日、倒幕軍「新田義貞」が鎌倉に攻め寄せると、「北条高時」ら北条一族と共に鎌倉「東勝寺」で自害したとされます(東勝寺合戦)。
亡くなった時。およそ30歳近くであった推測されます。
鎌倉幕府連署を務めた「北条氏」の人物まとめ
「連署(れんしょ)」とは、鎌倉幕府の「執権」を補佐する役職で、北条氏の有力人物が就任し。武蔵守に任命されるのが慣例だでした。 執権の補佐として幕政を担い、執権…
コメント