鎌倉幕府第7代連署「北条業時」

「北条業時(ほうじょうなりとき)」は、鎌倉幕府第7代連署を務めた人物です。

父親は第2代連署「北条重時」、兄弟に第6代連署を務めた「北条義政」がいます。普恩寺流北条氏の祖となったことから「普恩寺業時(ふおんじなりとき)」とも呼ばれています。

母は「筑前局」で、桓武平氏諸流系図や関東閨閥皇代並年代記事所蔵の「北条系図」には重長と名乗っていたとみられる記述があります。

年下ではあったが異母弟・義政が序列上位とされ、下位の扱いを受けていました。年齢は逆だったにもかかわらず、義政が四男、業時が五男とされました。

二度のモンゴル帝国による襲撃を防いだ、第8代執権「北条時宗」時代後半になり、第6代執権だった「北条義政」が出家引退し、義政が亡くなると空席となっていた連署に就任しています。

第9代執権「北条貞時」の治世前半まで連署を務めていました。後任として「北条宣時」が第8代連署となっています。

極楽寺流北条師の中での序列は極楽寺流嫡家の赤橋家の下で、弟の義政(塩田流北条氏)が、業時(普恩寺流北条氏)より上の2番手となっていましたが、義政が出家し引退した後は業時の普恩寺家が2番手の序列となりました。

1287年(弘安10)6月18日に出家すると、6月26日に47歳で亡くなっています。

「北条重時」から続く「極楽寺」の建設にも関わっています。

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