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「北条師時」~鎌倉幕府第10代執権~

「北条師時(ほうじょうもろとき)」は、鎌倉幕府第10代執権を務めた人物です。(在職期間:1301年~1311年)

鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」の実弟である父「北条宗政」、第7代執権「北条政村」の娘であった母との間に生まれました。

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生涯

永仁元年(1293年)、師時は19歳で5月30日に評定衆となり、続く6月5日に三番引付頭人、10月20日に執奏、12月20日に従五位上に任命され、鎌倉幕府の政権運営に関わりました。

この頃は、従兄弟である第9代執権「北条貞時」が「平頼綱」を永仁の鎌倉大地震発生の混乱の中誅殺し、得宗家に権力を取り戻した「平禅門の乱」の直後でした。

引付衆を経ずに評定衆となるのは、北条得宗家一門と赤橋家の嫡男のみに許される特権であったことから、師時は得宗家の一員と見なされていたとみられています。

またそれが「平禅門の乱」の直後であり、また父「北条宗政」を超える地位であることから、家格のみならず、親族の補佐がなかった「北条貞時」が、血縁の近い師時や、もう一人の従兄弟である「北条宗方」を政権の中枢に北条家一門を据えようとしたのではないかと推察されています。

正安3年(1301年)8月、「北条貞時」の出家に伴い執権に就任し、貞時の嫡男である後に第14代執権となる「北条高時」が成人するまでの中継ぎ役としての役割を期待されていましたが、幕政の実権は貞時に握っていたようです。

補佐役の連署には母方の伯父である「北条時村」が任命されています。

第9代執権「北条貞時」の死の1ヶ月前、応長元年(1311年)9月22日に出家し、同日37歳でなくなりました。
評定中にその座でそのまま死去したと伝えられています。

師時の後任として「北条宗宣」が第11代執権となりました。

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