鎌倉幕府第8代連署「北条宣時」

北条時頼と北条宣時の肖像画

「北条宣時(ほうじょうのぶとき)」は、鎌倉幕府第8代連署を務めた人物です。

父は大仏流北条氏の祖である「北条朝直」。

初めは時忠(ときただ)と名乗っていたが、文永2年(1265年)6月11日に引付衆に昇格したときには「宣時」に改名していたといいます。「大仏宣時(おさらぎのぶとき)」と呼ばれることもあります。

建治元年(1277年)引付頭人になる。弘安10年(1287年)に、第7代連署「北条業時」の後任として、執権「北条貞時」の連署を務める。その後、陸奥守、遠江守などを兼任し、正安3年(1301年)に出家し元亨3年6月30日(1323年8月2日)に亡くなったとされます。

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エピソード

「徒然草」第215段に記載されている話に、若かったころ宣時が最明寺入道「北条時頼」の邸宅に招かれ、皿に残っていた味噌を肴に二人で飲んでいたという逸話は、当時の鎌倉武士が質素な生活していたことを想像させるエピソードとして知られてます。

「続拾遺和歌集」、「新後撰和歌集」、「玉葉和歌集」、「続後拾遺和歌集」、「風雅和歌集」、「新千載和歌集」、「新拾遺和歌集」、「柳風和歌抄」、「続現葉和歌集」などの歌集に多数歌が掲載されていることから教養人でもあったようです。

「安達泰盛」が誅殺された「霜月騒動」の背後に宣時の気配があり、「平頼綱」と結託し動いていたとする説もあるようです。

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