「足利家の人物」~鎌倉幕府打倒そして、室町幕府へ~

足利尊氏の肖像画

鎌倉時代「足利家」は代々、鎌倉幕府を支える重要なポジションを務めてきました。

古くは、「源頼朝」が平家を打ち倒すころから活躍し、頼朝から続く源氏の血が絶えてからは、鎌倉幕府の北条執権家を支える重職を務めました。

そして、鎌倉幕府を打ち倒し引導を渡すことになったのは室町幕府初代将軍となった「足利尊氏」です。

その他、鎌倉の史跡とも関係が深く、竹林で有名な「報国寺」「浄妙寺」といった「浄明寺・十二ヶ所エリア」は鎌倉における足利家の地盤となっていました。

目次

第二代当主「足利義兼」

足利宗家第2代当主「足利義兼」は、鎌倉幕府初代将軍となった「源頼朝」が平家打倒のため挙兵したころ、早くから参戦した古参の武将です。

血筋も頼朝に近かったことから重用されました。

また頼朝存命中から亡くなったあとまで、権力をもった御家人たちが次々と粛清される中、頼朝に合わせて出家したり出過ぎた行動を控えるなど先を読んだ行動で足利家の地位を安泰なものとしました。

この処世は、後々の代まで受け継がれ足利家を粛清や誅殺から守り抜く礎となりました。

第三代当主「足利義氏」

鎌倉幕府初代執権「北条時政」の娘「時子」を母に持ち、自身も第3代執権「北条泰時」の娘を妻とした「足利義氏」は、権力への対応が上手く、北条執権家の血を引く嫡男「足利泰氏」に家督を譲るなど「足利家」の地盤をより強固にしました。

特筆すべきは「承久の乱」で東海道の三河国守護職に就任し、これによって東西を行き来するための要所であった東海道を抑えたことです。

後に室町幕府初代将軍となった「足利尊氏」が鎌倉幕府へ叛旗をひるがえしたさいに、幕府軍を堰き止める要所として機能しています。
「承久の乱」で鎌倉幕府のために活躍し、それに報いて執権「北条家」が与えた領地が後に鎌倉幕府を滅ぼす一因となったのは歴史の皮肉ですね。

第四代当主「足利泰氏」

「宮騒動」や「宝治合戦」が起きる中、鎌倉幕府第5代執権「北条時頼」は執権家の権力を強めていました。

この影響で多くの有力御家人が粛清や誅殺される中、父「足利義氏」は幕府宿老としての地位を維持していました。

その最中、建長3年(1251年)12月に泰氏は36歳で無断出家しています。
これを幕府から咎められ、足利の本領(現在の群馬県)に引き上げています。

このとき以降、政治の表舞台から姿を消しています。なぜ突然出家し、隠居してしまったのか?

足利家は謎が多い人物が多いところが面白く、魅力でもあります。

第5代当主「足利頼氏」

足利宗家第5代当主「足利頼氏」は、鎌倉幕府第6代将軍「宗尊親王」に近臣として仕えたとされる人物です。

このころ権力は、鎌倉幕府第5代執権「北条時頼」に集中しており、北条氏が擁立した将軍「宗尊親王」に近侍することによって、時頼への忠誠を示した行動だと推測されています。

足利家の歴代当主は、代々北条家の女性が正室となり、年上の子がいたとしても北条家との正室の間に生まれた子が家督を継いできましが、頼氏の子「家時」は例外として家督を継いでいます。

第六代当主「足利家時」

「足利家時(あしかがいえとき)」は、足利宗家第6代当主を務めた人物です。
鎌倉の史跡、竹林で有名な「報国寺」にお墓があることで知られています。

室町幕府初代将軍「足利尊氏」のおじいちゃんに当たります。

家時は謎の自害をして亡くなったことが注目される人物で、自害の理由は諸説あります。

将軍「惟康親王」に近侍し、第8代執権「北条時宗」と結びつけた人で、モンゴル帝国の襲来によって「源氏将軍」を期待する世論が生まれていたことから、「北条時宗」に殉死することで得宗家への忠義を示したとする説などがあります。

また、「置文伝説」でも知られており、自分の後の世代が将軍となる事を願文として、したためたとされます。
孫にあたる「足利尊氏」がやがて鎌倉幕府を滅ぼし室町幕府初代将軍となっています。

第七代当主「足利貞氏」

足利宗家第7代当主「足利貞氏」は、連署執権を務めた「金沢顕時(北条顕時)」の娘を正室とし、父の家時が自害するなどありましたが、先代までの足利氏当主たちにならい、鎌倉幕府の権力を司る北条氏との関係を維持しました。

また第9代執権「北条貞時」が出家すると、同じく自らも出家するなど歴代の当主と同じように足利家の基盤を安定することに努めました。

鎌倉における足利家の菩提寺である、鎌倉五山第5位の「浄妙寺」を再興するなど、鎌倉の史跡ともゆかりのある人物です。

第八代当主「足利尊氏」~鎌倉幕府を滅亡させた人物~

足利宗家第8当主「足利尊氏」は、鎌倉幕府を滅ぼし、室町幕府初代将軍となったことで知られる、歴史の転換点となった人物です。

第16代執権を務めた「北条守時」の妹「赤橋登子」を正室として妻に迎えています。

「北鎌倉・山ノ内エリア」にある「長寿寺」に墓所があります。

尊氏の弟「足利直義」~室町幕府設立の貢献者~

鎌倉幕府を滅ぼし、室町幕府初代将軍となった兄「足利尊氏」を支えた功労者です。

一時期は兄の尊氏と共に、両党政治と呼ばれる幕府の二枚看板として政治を行いました。

しかし、次第に兄と相反するようになり、詳細は不明ですが粛清ともみられる急死を遂げています。

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