鎌倉に関する人物– category –
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「足利義久」~第4代鎌倉公方・持氏の嫡男~
「足利義久(あしかがよしひさ)」は、第4代鎌倉公方「足利持氏」の嫡男として生まれ、「大若君」と呼ばれた人物です。 【生涯】 永享10年(1438年)6月に鎌倉「鶴岡八幡宮」で元服すると、義久と名乗りました。「足利満兼」より、鎌倉公方の子が元服する... -
「安達泰盛」~元寇と弘安徳政・霜月騒動に倒れる~
「安達泰盛(あだちやすもり)」は、父「安達義景」と、母「伴野(小笠原)時長」の娘の間に三男として生まれ、鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」とともに幕政をに当たった人物です。 評定衆や御恩奉行などを務め、元寇が起きた際、九州御家人の「竹崎季長」... -
「足利持氏」~第4代鎌倉公方~
「足利持氏(あしかがもちうじ)」は、父「足利満兼」の嫡男として生まれ、第4代鎌倉公方を務めた人物です。在職期間(1409年~1439年)。 【生涯】 応永16年(1409年)、父である第3代鎌倉公方「足利満兼」がなくなり、第4代鎌倉公方となりました。 翌応... -
「足利満兼」~第3代鎌倉公方~
「足利満兼(あしかがみつかね)」は、父「足利氏満」の嫡男として生まれ、第3代鎌倉公方を務めた人物です。在職期間は応永5年(1398年) - 応永16年(1409年))。 【生涯】 第2代鎌倉公方だった父「足利氏満」同様に、第3代将軍「足利義満」の偏諱を受け... -
「足利氏満」~第2代鎌倉公方・将軍家との確執を生む~
「足利氏満(あしかがうじみつ)」は、第2代鎌倉公方を務めた人物です。在職期間は正平22年/貞治6年5月29日(1367年6月26日)~ 応永5年11月4日(1398年12月12日) 父「足利基氏」と母「畠山家国」の娘との間に生まれました。 【生涯】 正平22年/貞治6年(... -
「足利基氏」~鎌倉公方の初代~
「足利基氏(あしかがもとうじ)」は、室町幕府初代将軍「足利尊氏」の四男として生まれ、母は「赤橋登子」です。初代鎌倉公方を務め、在職期間は、(1349年10月21日~1367年5月25日)で後世の古河公方の祖でもある人物です。 【生涯】 「観応の擾乱」によ... -
「安達長泰」~大曾禰を名乗る~
「安達長泰(あだちながやす)」は「安達時長」の嫡男として生まれました。安達氏の庶流で、所領である大曾禰荘(現在の山形県山形市)から苗字を取り、大曾禰を名乗り「大曾禰長泰」とも呼ばれています。 【生涯】 史書「吾妻鏡」の記載によれば、初めて... -
「安達義景」~父からの地盤を更に強化し次代の泰盛で全盛期へ~
「安達義景(あだちよしかげ)」は、父「安達景盛」の嫡男として生まれました。子に第8代執権「北条時宗」を支えた「安達泰盛」、時宗の妻となった「覚山尼」などがいます。 【生涯】 義景は父の景盛、子の泰盛と違い「盛」の字が使われず、「景」の字と「... -
「安達景盛」~将軍実朝・政子の側近として活躍した~
「安達景盛(あだちかげもり)」は、「安達盛長」のとして生まれ、「源実朝」や「北条政子」を支える側近として活躍し、鎌倉幕府内での安達家の地位を向上するなど権力の地盤を築いた人物です。 【生涯】 父「安達盛長」は鎌倉幕府初代将軍となった「源頼... -
「安達時長」~安達氏庶流・大曾禰氏の祖~
「安達時長(あだちときなが)は、頼朝を流人時代から支えた父「安達盛長」と母「丹後内侍」の次男として生まれました。兄に「安達景盛」、子に「安達長泰」、「安達盛経」、「安達長景」などがいます。 安達氏庶流の大曾禰安達氏の祖となった人物です。 ...