「安達時長(あだちときなが)は、頼朝を流人時代から支えた父「安達盛長」と母「丹後内侍」の次男として生まれました。兄に「安達景盛」、子に「安達長泰」、「安達盛経」、「安達長景」などがいます。
安達氏庶流の大曾禰安達氏の祖となった人物です。
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生涯
「吾妻鏡」の記載に登場するのは、初め建久元年(1190年)で、初代将軍「源頼朝」が鷲羽を「後白河院」に贈る使節を務め、同年の頼朝上洛に付き従っています。
所領は建保元年(1213年)の 「和田義盛」 ら和田一族が滅ぼされた「和田合戦」で武蔵国長井荘(埼玉県熊谷市)を与えられています。
時長が祖となった「大曾禰」は大曾禰荘(山形市)から由来すると言われており、山形市内にある「明源寺」境内には「安達盛長」の創建と言われる毘沙門天があり、お堂は安達一門が代々住持してきた毘沙門山「真妙寺」から移設したものと言われています。
兄「安達景盛」が出家すると、その嫡子「安達義景」が家督を継承しました。
この後、時長の子「安達長泰」から大曾禰を名字とした分家が生まれました。
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