鎌倉に関する人物– category –
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「北条泰家」~9代執権貞時の子・幕府滅亡後も再起を伺う~
「北条泰家(ほうじょうやすいえ)」は。鎌倉幕府第9代執権「北条貞時」と母「大方殿」の間に四男として生まれ、同母弟の「北条高時」は鎌倉幕府第14代執権を務めました。 【生涯】 泰家は「相模四郎時利」と名乗っていましたが、正中3年(1326年)に、兄... -
「源実朝」~鎌倉幕府第3代将軍~
「源実朝」(みなもとさねとも)は、鎌倉幕府第3代征夷大将軍と務めた人物で、初代将軍の父「源頼朝」、母「北条政子」の間に生まれ、嫡男の兄で第2代将軍「源頼家」の弟でした。 兄の頼家が伊豆修善寺に追放されると12歳で第3代将に就任しました。初め北... -
「源頼家」~第2代鎌倉幕府将軍~
「源頼家(みなもとよりいえ)」は、鎌倉幕府第2代将軍を務めた人物で、鎌倉幕府初代将軍「源頼朝」、母「北条政子」との間に嫡男として生まれました。 父「源頼朝」が亡くなると18歳の若さで家督を相続し、若年だった頼家による独裁的な政治が御家人たち... -
「安達長景」~兄・泰盛とともに幕政に参加、歌人としても知られる~
「安達長景(あだちながかげ)」は、父「安達義景」のもとに生まれ、鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」を補佐し幕政を運営した「安達泰盛」の異母弟です。 【生涯】 弘安元年(1278年)に引付衆や美濃守に任命され、弘安6年(1283年)の延暦寺衆徒らによる禁... -
「安達顕盛」~兄・泰盛らとともに幕政に参加した~
「安達顕盛(あだちあきもり)」は、寛元3年(1245年)「安達義景」の子として生まれ、第8代執権「北条時宗」とともに幕政を運営した「安達泰盛」の異母弟だった人物です。 【生涯】 兄「安達泰盛」や「安達時盛」と共に幕政に関わり、文永6年(1269年)、... -
「安達頼景」~霜月騒動で一人難を逃れる~
「安達頼景(あだちよりかげ)」は「安達義景」の次男として生まれ、第8代執権「北条時宗」の幕政を補佐し「霜月騒動」で亡くなった「安達泰盛」の兄だった人物です。 【生涯】 頼景の2歳年下の弟「安達泰盛」が、嫡男が継承する「九郎」を名乗っており、... -
「大江佐房」~将軍・北条氏などに近侍した~
大江 佐房(おおえすけふさ)は、初め鎌倉幕府、後に朝廷に仕えた「大江広元」の嫡男として生まれ、祖父に鎌倉幕府の創成期に「源頼朝」を支えた「大江広元」がいます。 【生涯】 承久3年(1221年)「承久の乱」で父「大江親広」は朝廷側に味方し、祖父「... -
「大江親広」~初め「源頼家」に仕え「承久の乱」では朝廷側に~
「大江親広(おおえちかひろ)、鎌倉幕府政所初代別当を務め幕府の創成期に活躍した「大江広元」を父とし、母「多田仁綱の娘」の間に長男として生まれました。妻に「北条義時」の娘「竹殿」を迎えています。 【生涯】 史書「吾妻鏡」の記載では、正治2年(... -
「大江広元」~鎌倉幕府初期のブレーンとして活躍した重鎮~
「大江広元(おおえひろもと)」は、「源頼朝」に仕える前は、朝廷の下級貴族でした、鎌倉に下り「源頼朝」の側近となると、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設や承久の乱などで重要な役割を果たしました。 【生涯】 生年は「吾妻鏡」など複数の史書... -
「鎌倉公方」~公方を務めた足利家の人物~
「鎌倉公方(かまくらくぼう)」は、室町時代に室町幕府将軍が関東10か国を統治のため創設した鎌倉府の長官の名称です。初代室町幕府将軍となった「足利尊氏」の四男「足利基氏」の子孫が代々務め、「鎌倉公方」の補佐役として「関東管領」が創設されてい...