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「安達宗顕」~霜月騒動にて、叔父泰盛に殉じ自害~
「安達宗顕(あだちむねあき)」は、「安達顕盛」の子として生まれ、子には「安達時顕」がいます。 【生涯】 父「安達顕盛」が21歳の時に生まれた子供である。 弘安8年(1285年)11月17日、伯父で、元寇によるモンゴル帝国襲来の際、鎌倉幕府第8代執権「北... -
「安達時顕」~霜月騒動で失墜した安達家を再興した~
「安達時顕(あだちときあき)」は、「霜月騒動」で討たれた「安達宗顕」の子として生まれました。 【生涯】 弘安8年(1285年)の「霜月騒動」で父「安達宗顕」や祖父「安達泰盛」など、安達一族のほとんどが滅ぼされる中、幼子であった「安達時顕」は乳母... -
「安達高景」~東勝寺合戦において自害?異説アリ~
「安達高景(あだちたかかげ)」は、「安達時顕」の嫡男として生まれました。 生没年共に良く分かっておらず、安達氏が歴任した秋田城介を務めた最後の人物です。 【生涯】 鎌倉幕府第14代執権「北条高時」より偏諱を賜り、元服し、高景と名乗りました。 ... -
「安達時盛」~評定衆に就任するも、兄・泰盛から義絶される~
「安達時盛(あだちときもり)」は、「安達義景」の子として生まれ、第8代執権「北条時宗」と幕政を主導した「安達泰盛」の弟です。 【生涯】 仁治2年(1241年)、父「安達義景」のもとに生まれ、兄の泰盛と共に鎌倉幕府の政治の一翼を担っており、弘長3年... -
「安達盛宗」~岩門合戦にて父・泰盛の後を追い討ち死に~
「安達盛宗(あだちもりむね)」は、元寇によるモンゴル帝国襲来時に活躍した、父「安達泰盛」の子として生まれました。 【生涯】 鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」より偏諱を受けて盛宗と名乗り、建治3年(1277年)6月19日、検非違使に任官されています。 ... -
「安達宗景」~霜月騒動にて、父・泰盛と共に散る~
「安達宗景(あだちむねかげ)」は、第8代執権「北条時宗」と幕政を主導した「安達泰盛」の嫡男として生まれました、安達氏が代々の役職「秋田城介」を務めた人物です。 【生涯】 父「安達泰盛」の嫡男として生まれ、鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」より偏... -
「北条泰家」~9代執権貞時の子・幕府滅亡後も再起を伺う~
「北条泰家(ほうじょうやすいえ)」は。鎌倉幕府第9代執権「北条貞時」と母「大方殿」の間に四男として生まれ、同母弟の「北条高時」は鎌倉幕府第14代執権を務めました。 【生涯】 泰家は「相模四郎時利」と名乗っていましたが、正中3年(1326年)に、兄... -
「源実朝」~鎌倉幕府第3代将軍~
「源実朝」(みなもとさねとも)は、鎌倉幕府第3代征夷大将軍と務めた人物で、初代将軍の父「源頼朝」、母「北条政子」の間に生まれ、嫡男の兄で第2代将軍「源頼家」の弟でした。 兄の頼家が伊豆修善寺に追放されると12歳で第3代将に就任しました。初め北... -
「源頼家」~第2代鎌倉幕府将軍~
「源頼家(みなもとよりいえ)」は、鎌倉幕府第2代将軍を務めた人物で、鎌倉幕府初代将軍「源頼朝」、母「北条政子」との間に嫡男として生まれました。 父「源頼朝」が亡くなると18歳の若さで家督を相続し、若年だった頼家による独裁的な政治が御家人たち... -
「安達長景」~兄・泰盛とともに幕政に参加、歌人としても知られる~
「安達長景(あだちながかげ)」は、父「安達義景」のもとに生まれ、鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」を補佐し幕政を運営した「安達泰盛」の異母弟です。 【生涯】 弘安元年(1278年)に引付衆や美濃守に任命され、弘安6年(1283年)の延暦寺衆徒らによる禁...