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「安達長景」~兄・泰盛とともに幕政に参加、歌人としても知られる~

「安達長景(あだちながかげ)」は、父「安達義景」のもとに生まれ、鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」を補佐し幕政を運営した「安達泰盛」の異母弟です。

目次

生涯

弘安元年(1278年)に引付衆や美濃守に任命され、弘安6年(1283年)の延暦寺衆徒らによる禁中乱入事件での六波羅探題失敗を処理しています。
「二階堂行忠」と共に上洛すると、鎌倉武士は蒙古への対処で手一杯として赦免を求め、禁中乱入事件の処理にあたっています。

弘安7年(1284年)、鎌倉幕府第8代執権執権「北条時宗」が亡くなると、これに合わせ出家しました。
将軍「宗尊親王」と親しくしており、親王が亡くなると、悲しみを表した歌を詠みました。

弘安8年(1285年)11月、「霜月騒動」で兄「安達泰盛」らとともに「平頼綱」らに謀殺されています。

歌人として活躍しており、歌集「長景集」があります。「無学祖元」に師事し、「竹崎季長」が描かせた「蒙古襲来絵詞」の記載で、泰盛邸で季長が泰盛に馬を拝領した場面に立ち会っている姿が描かれています。

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