「安達宗景」~霜月騒動にて、父・泰盛と共に散る~

「安達宗景(あだちむねかげ)」は、第8代執権「北条時宗」と幕政を主導した「安達泰盛」の嫡男として生まれました、安達氏が代々の役職「秋田城介」を務めた人物です。

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生涯

父「安達泰盛」の嫡男として生まれ、鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」より偏諱を受けて宗景と名乗りました。

建治3年(1277年)2月に検非違使に就任し、弘安4年(1281年)には引付衆、さらに1年後の弘安5年(1282年)には、父「安達泰盛」が陸奥守に就任した際、24歳の若さで評定衆を務めることとなり、弘安6年(1283年)に秋田城介へ就任しました。

弘安7年(1284年)4月になると、2度に渡る元寇への対処や、戦後処理に追われる中、鎌倉幕府第8代執権「北条時宗」が亡くなります。
時宗が亡くなるとこれに殉じて、父の泰盛が出家したことにより、宗景が家督を継承したと推察されています。

父の泰盛が長期間にわたり務めた五番引付頭人も引き継ぎ、同年5月に高野山から鎌倉幕府に宛てた報告書には宗景の名義が使われている事から、時宗の嫡子、第9代執権「北条貞時」が7月に執権職に就くまでの執権が空位となっていた時期に宗景が執権職を代行していたとされます。

弘安8年(1285年)11月、「霜月騒動」が発生すると父「安達泰盛」や一族郎党とともに27歳で亡くなっています。

「保暦間記」の記載によれば「霜月騒動」が発生した背景には、宗景が曾祖父の「安達景盛」「源頼朝」の落胤であると称して源氏に改姓したため、内管領「平頼綱」が第9代執権「北条貞時」に「宗景が謀反を企て将軍になろうとして源氏に改姓した」と讒言したことから騒動が起きたとされています。

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