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「名越流北条家」の人物まとめ~得宗家に対抗し衰退する~

鎌倉幕府第2代執権「北条義時」の子である「北条朝時」が開祖となった、名越流北条家の人物をまとめました。

朝時が、「源頼朝」挙兵から付き従った、祖父であり初代執権を務めた「北条時政」より、名越にあった邸宅を継承したことから、名越流北条氏と呼ばれるようになったとされます。

全員ではありませんが、名越流北条氏は、執権を務めた北条得宗家に対抗することが多く、謀反を計画したりしたため討伐され勢力を衰退させて行きました。

目次

初代「北条朝時」

祖父に初代執権「北条時政」、父に第2代執権「北条義時」をもつ朝時は、祖父より相続した名越の邸宅から、名越流北条氏と呼ばれるようになりました。

20歳の時には、鎌倉幕府第3代将軍「源実朝」に仕える、官女へラブレターを送ったりと熱い人物だったようです。

1221年に起きた「承久の乱」では、北陸方面の大将軍を務めるなど活躍しました。

名越北条家は、朝時以降、執権を務めた北条得宗家へ叛旗をひるがえしていますが、朝時と第3代執権を務めた「北条泰時」との関係もあまりよくなかったと推測されています。

父「北条義時」の正室を母に持っていたため、自分が後継者なのだという自負もあったのではないかとする説もあります。

第二代「北条時章」

父「北条朝時」を父に持ち、名越流北条氏の第2代当主になった人物です。

名越流北条氏の中では珍しく、執権の北条得宗家と協調路線を取ろうとしていた人物だったとされています。

兄弟の光時や時幸は「宮騒動」で第5代執権「北条時頼」へ反逆して失脚、さらに時章は弟の教時が第8代執権「北条時宗」へ叛旗をひるがえした「二月騒動」の混乱に乗じて討ち取られています。

時章は無実だったとされています。なんてこった・・・

兄弟たちの反乱で度々巻き込まれ、最後には無実なのに討ち取られてしまうという不運・・・ご冥福をお祈り申し上げます( ;∀;)

「北条光時」~宮騒動で得宗家に謀反~

父「北条朝時」の子として生まれた人物です。

父、朝時の流れを受け継ぎ、執権北条得宗家へ対抗することが多く、最終的に弟の時幸とともに「宮騒動」を引き起こし、第5代執権「北条時頼」により失脚させられました。

名越流は兄弟の「北条時章」が第2代当主となっています。

「北条時幸」~兄・光時と宮騒動を計画~

父「北条朝時」の子として生まれ、兄の光時と共に「宮騒動」を引き起こし、第5代執権「北条時頼」により失脚させられています。

名越流北条家はヤンチャな人物が多いですね・・・一度も成功していない・・・反逆は計画的に!

「北条教時」~二月騒動を引き起こす~

こちらの方も父は「北条朝時」です。

兄弟の光時や時幸が「宮騒動」を引き起こしたかと思えば、教時は負けじと「二月騒動」を引き起こし、第8代執権「北条時宗」に討ち取られています。

そして、協調路線をとろうとしていた兄弟、名越流第2代当主「北条時章」が「二月騒動」の混乱の中討ち取られています。

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