目次
こんにちは!
今回は、神奈川県鎌倉市にある鎌倉「浄妙寺(じょうみょうじ)」へアクセスしてきました!
基本情報や、周辺の鎌倉スポットはページ下部↓↓↓に置いておきますね。
鎌倉「浄妙寺」へのアクセス案内付きのグーグルマップも設置してありますのでご利用くださいませ!
それでは早速画像と共に鎌倉「浄妙寺」をお楽しみください。
鎌倉「浄妙寺」へのアクセスをご紹介!!!

鎌倉にある「浄妙寺(じょうみょうじ)」へのアクセスは県道204号を只管行きます。
今回は「浄妙寺」まで歩きでアクセスしたのですが、鎌倉駅からバスでのアクセスもできます。

「鎌倉浄妙寺郵便局」こいつが見えてきたらもうすぐです。

バスで「浄妙寺」へアクセスする方は、鎌倉駅東口からです。
5番乗り場から「鎌23太刀洗行き」、もしくは「鎌24金沢八景行き」 で、バス停「浄妙寺」下車 徒歩2~3分ほどです。

県道204号を、先ほどの郵便局を過ぎてさらに行くと「チバ薬局」さんが見えてきます。
この手前を左に曲がります。

「浄妙寺」へアクセスする道は、こんな感じの道になっています!
このままさらに県道204号を行くと↓↓↓などがあります。
バスで行かれる方は画像の「浄妙寺」バス停で下車です。
鎌倉「浄妙寺」のすぐ裏にはに駐車場もあるので、車で行くことも可能です。

ここを真っ直ぐ行くと「浄妙寺」へアクセス完了です。
のどかな感じでゆったりした気持ちになります。

こんな看板が・・・歩いてる分にはぶつからなそうです。
車とかかな。
春はこの通りは桜がキレイだろうなぁ。

春をまつ桜のつぼみ達が!
また春にも来よう。

そらの青もキレイだ。

ここが鎌倉「浄妙寺」の山門前です。
日が差していて良い感じ。

「稲荷山浄妙寺禅寺」
山号が「稲荷山(とうかさん)」
「いなりさん」ではないんですね。
昔は禅のお寺だったのかな。

恒例の説明版。
鎌倉寺院には必ず設置してありますね。

浄妙寺内にある「石窯ガーデンテラス」
高台の上にあって、すごく良い眺めです。
「浄妙寺」鎌倉五山、第五位のお寺!

迫力ある「浄妙寺」の山門。
鎌倉の色んなお寺をまわったけどシンプルで良いですね。
そして「浄妙寺」の受付の方が凄く雰囲気良かった。
ありがとうございます。
そうすると、また来たくなりますね。

お、デッカイ「本堂」が見ますね。

びよ~んと伸びる石畳の参道。
「浄妙寺」は広々していてリラックスできます。

庭園もなんだかお寺のゆったりした空気を反映しているような・・・
日差しもあって快適な気温でした。

花を供養する「花塚(はなづか)」
気が付かれましたか、何者かがいることに・・・・
花をつついていました。
食べるのかな???

こちらが浄明寺の「本堂」です。
なんかすっごく広々!!!
「本堂」のたたずまいもゆったりしているなぁ。

そして本堂は「方丈(ほうじょう)」でもあります。
「方丈」というのは、昔は住職さんの住まいのことだったそうです。
現在はお寺で、何か行事を行ったりするときなどに使う場所をさすようです。

「はるばるまいりて、おがむ観音~」
ちょっと写真だと細かくて正確に読めません・・・

本堂前、縁側に木製の板が敷かれています。
お賽銭箱の前まで下足のまま上がれます。

「浄妙寺」の本堂内部はシンプルで清潔感がありますな。
不謹慎ですが、ここで昼寝したいなぁ・・・

うはっ!?木魚がすごく叩きたい・・・
田舎の親戚のおじさんは法事のときバンバン叩いていましたね・・

本堂を見学した後はこちらの道を奥に向かいます。
浄妙寺「喜泉庵」の茶室、美しい庭園と抹茶が楽しめます!!!

こちらが「浄妙寺」境内にある「喜泉庵(きせんあん)」です。
渋い外観がGOOD!!!

そのむかし「浄妙寺」に鎌倉五山のお坊さんが集まりお茶会をしたそうな。
「浄妙寺」は鎌倉五山第5位です。
この建物は1991年に再建されたものだそうです。

「喜泉庵」では抹茶とお菓子がいただけます。

「喜泉庵」の正面入口です。

振り返って「喜泉庵」の外観をパシャリ。

「喜泉庵」のどかで良いところだな~
鳥の声も聞こえています。

こちらが「喜泉庵」内部の枯山水の庭園です。
この縁側に座って抹茶を楽しめますよ!

美しい庭園にあると「お手水」も一味違って見えるなぁ。

石庭を眺めているとボーっとしてくる。
お寺の入り口にも看板がありましたが。
「喜泉庵」の近くにも案内板が!!!
行ってみよう。

途中木の上に鳥の巣がありました。

おや?リスがいました!
可愛いんですが、お寺の木をかじったりと食害があるそうですね。

「石窯ガーデンテラス」は「浄妙寺」の高台にあります。
ちょっと坂を登ることになりますが、頑張りましょう!!!

ここは「浄妙寺」の中なんだよな・・・なんか牧場でも出てきそうな雰囲気だなぁ。

お!「石窯ガーデンテラス」の表札を発見!!!
見上げたらお店があった。

こんな感じです。
ご飯は食べなかったのですが、パンとかも販売してるみたいです。

「浄妙寺」は高台にあるので景色がとても美しい!!!
時間が許せば入ってみたかったな。
山の上なのに結構お客さんが入ってました。

もはやここはお寺なのか・・・わからない。

「石窯ガーデンテラス」の隣にはお寺らしく墓地がありました。
高台を墓地内から降りて行ったのですが、「本堂」の横から画像の入り口に出れます。

ここ「浄妙寺」には「足利貞氏(あしかがさだうじ)」のお墓があります。
鎌倉幕府を滅ぼして室町幕府を開く「足利尊氏(あしかがたかうじ)」の先祖ですね。

「源将~」と刻まれています。
読めない・・・
浄妙寺の歴史と足利貞氏

「浄妙寺」境内にある足利貞氏公墓所です。

「浄妙寺」の近くには、貞氏の息子である室町幕府初代の足利尊氏が住んでいた跡地があります。
浄妙寺について
「浄妙寺」は1188年に足利義兼が創建した、臨済宗建長寺派のお寺です。
正式な名前は稲荷山浄明広利禅寺。山号は稲荷山(とうかさん)。
お寺を建てたのは足利義兼(あしかがよしかね、足利家の初代)です。
鎌倉五山の第五位のお寺です。
鎌倉三十三観音第9番となっています。
鎌倉五山の第五位の「浄妙寺」はその昔、今よりも広い寺領を持ち23の塔頭(たっちゅう)を持っていました。
現在でも付近一帯の地名を「浄妙寺」といい(地名は「妙」の代わりに「明」字を用いる)、住宅団地名にも使用されるなど、その名残を残している。
境内墓地には足利貞氏の墓とされる宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。

足利貞氏について
父である足利家時(あしかがいえとき)が自害したことにより10歳という年齢で足利氏当主となりました。
足利家は執権である北条家と関係を深くしていました。
「貞」の字は、当時の執権、得宗家の北条貞時(ほうじょうさだとき)から賜ったものであり、「得宗の名前と足利家をあらわす氏」を名乗ってきた祖父までの慣例にならい貞氏と名乗りました。
一世代前の執権北条時宗(ほうじょうときむね)は蒙古襲来への勝利を祈願して、惟康親王(これやすしんのう)を「源惟康」という「源氏の将軍」とすることによって「源頼朝」の加護にあずかろうとしました。
このときから源氏将軍を再興させようという動きが出てきました。
足利氏は「源氏の血筋」であったことから、将軍に相応しいと思う人間が増えて行きました。
この流れは、足利氏に叛心があるのではないかという疑いをもたらしたとされています。
そのころの当主父・家時は、積極的に執権の北条時宗へ協力する姿勢を見せていましたが、時宗の死後まもなくして自害しています。
現在では「源氏将軍再興」を企てるものから担がれることを防ぎ、北条時宗に殉死することで執権である北条氏に対し誠意を尽くすための行為であったという説が有力なようです。
父、家時の死後貞氏は、霜月騒動(1285年)や平禅門の乱(1293年)の乱などたびたび「源氏将軍再興」のたくらみに担がれそうになりますが、積極的に執権北条家へ協力し近づくことで足利家の安泰を図っていきました。
当時の執権北条貞時が亡くなると、当時では破格の230貫の大金を納めるたり、生前の貞時が執権を辞職し出家すると、自らも出家したりなど、様々な対策をとっていたようです。
鎌倉幕府が打倒される直前まで足利家は執権北条家の協力者として存在していたようです。

足利貞氏公募所を出ると、鎌倉お手洗いマップが!
このあたりの地区はお手洗いが少ないので助かります!!!

こちらは「浄妙寺」の社務所かな?

昼間は誰もいないのか気配がありません。

立ち入り禁止になっている社があります。

「建長素堂書」
「建長寺」に素堂老師というお坊さんがいたそうです。
その素堂老師が書かれた文字とカタツムリ???とのことです。

そんなこんなで、山門から境内を振り返る。
最後にメチャクチャ感じよかった受付の人がいるかと思ったら・・・受付に誰もいない(笑)
ゆるすぎ・・・ありがとうございました!
「浄妙寺」山門前の通りを境内から見たところ。
春にはここが桜でいっぱいになるかな。
また来ます。
「浄妙寺」開山略伝
行勇律師(1163~1241年)は相模国酒匂(小田原市)の人で初名は玄信、荘厳房(しょうごんぼう)と称した。
幼くして薙髪出家し、真言密教を学んだ。
養和元年(1181年)には鶴岡八幡宮寺の供僧となり、ついで永福寺、大慈寺の別当にも任じ、文治四年(1188年)足利義兼が当山を建立すると、その門に入って臨済宗を修め、栄西没後は寿福寺二世に任じている。
頼朝や政子に信任されて戒を授ける一方、「所住の寺、海衆満堂」といわれるほど信望され、実朝もあつく帰依した。
仁治二年七月、東勝寺没した。
墳墓旧跡
天生年間(1500年代)僧が一堂に茶を喫した喜泉庵があった。
平成三年復興、開席、庭園は杉苔を主とした枯山水である。
喜泉庵で抹茶を喫することができる。
本堂うらの墓地に足利貞氏の墓(鎌倉文化財)がある。
「新編相模国風土記稿」に「元弘元年九月五日讃岐守貞氏卒しければ茶毘して当寺に塔を建つ」とあり、古くから、当寺中高開基貞氏の墓塔と伝えてきた。
貞氏(1331年没)は家時の子で尊氏の父。
塔には明徳三年(1392年)のめいがある。
熊野社は当寺の鎮守で、もと浄妙寺地区の村社。
祭神は素盞鳴尊(スサノオノミコト)。例祭は九月十七日である。
境内には尊氏の兄高義が建立した延福寺や直義創建の大休寺などもあったが、いまは廃された。
寺の略史
当寺は稲荷山と号し、鎌倉五山第五位の寺格をもつ臨済宗建長寺派の古刹である。
源頼朝の忠臣で剛勇の士であった足利義兼(あしかがよしかね、1199年没)が文治四年(1188年)に創建し初め極楽寺と称した。
開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)律師で、当初は密教系の寺院であったが、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の弟子月峰了然が住職となってから禅刹に改め、ついで寺名も浄妙寺と称した。
寺名を改称したのは正嘉年間(1257~59)とみられる。
歴代の住持には約翁徳倹(やくおうとくけん)、高峰顕日(こうほうけんにち)、竺仙梵僊(ちくせんぼんせん)、天岸慧広(てんがんえこう)など名僧が多い。
中高開基は足利尊氏の父貞氏で、没後当寺に葬られた。
至徳三年(1386年)足利義満が五山の制を定めた頃は七堂伽藍が完備し、塔頭二十三院を数えたが、火災などのため漸次衰退し、現在は総門、本堂、客殿、庫梩等で伽藍を形成している。
境内は国指定史跡。
(浄妙寺発行のパンフレットより)
感想&まとめ「浄妙寺」アクセスマップ付きGoogleマップ
今回「浄妙寺」へアクセスしましたが、ゆったりしていて大変リラックスできる場所でした。
直近には竹庭で有名な「報国寺」などもあるので合わせて行ってみると楽しめますよ!
広々とした解放感と、お寺の人の緩い雰囲気は鎌倉でもトップクラスだと思います。
有名な割に遠方のせいか人も少なめなので、静かに見学したい方にはおススメの鎌倉スポットです。
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「浄妙寺」基本情報
住所 〒248-0003 神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31
TEL 0467-22-2818
定休日 無休
拝観時間 9:00~16:30
拝観料 100円
駐車場 有り 20台 500円(1時間)
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(徒歩に設定してありますが、車や自転車で良く設定にも変更できます。)
「浄妙寺石窯ガーデンテラス」アクセス地図