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鎌倉「極楽寺」~初代連署「北条重時」開基のお寺~

鎌倉「極楽寺」は、鎌倉幕府の初代連署を務めた「北条重時」が開基したお寺です。開山は「忍性」です。

全盛期には、七堂伽藍を備え、49の塔頭を持つ大きなお寺だったそうですが、度々の戦火や災害により、今では山門と本堂を残すのみとなっています。

極楽寺のみどころ
  1. 鎌倉幕府初代連署「北条重時」の菩提寺
  2. 四季折々の花が美しい(境内は撮影禁止だったので参拝して見てくださいね!)
  3. 鎌倉三十三観音第22番、鎌倉二十四地蔵第20・21番
  4. 極楽寺駅の陸橋は「江ノ電」の撮影スポット!!!
目次

鎌倉「極楽寺の歴史」

鎌倉「極楽寺」の山門
鎌倉「極楽寺」

永禄4年(1561年)に書かれた「極楽寺縁起」では、創建当時はもともと深沢(現在の鎌倉西部)にあった念仏の寺院(正永和尚による開山)だったそうです。

正元元年(1259年)、第2代執権「北条義時」の子「北条重時」が鎌倉時代に亡くなった人間が捨てられていた「地獄谷」を現在の場所に移したものだと言います。

また、この地に「極楽寺」が建てられたのは、亡くなった人間が捨てられたり、行き場のない人間が集まる「地獄」と呼べる場所であったからとする説もあります。

「北条重時」は鎌倉幕府第3代執権であった「北条泰時」の弟で、六波羅探題の最高責任者を17年間にわたり務めた後、鎌倉に戻ると、宝治元年(1247年)より鎌倉幕府の執権を補佐する連署として5代執権「北条時頼」を補佐した人物です。

康元元年(1256年)に政治を引退し出家すると鎌倉「極楽寺」の創建に取り掛かりました。

弘長元年(1261年)に創建途中で重時は亡くなってしまいますが、子供たちに事業は受け継がれて行き、鎌倉幕府第6代執権を務めた「北条長時」や第7代連署を務めた「北条業時」が父の跡を継ぎ鎌倉「極楽寺」を建設しました。

極楽寺の創建には諸説あり、「新編相模国風土記稿」では、元々の寺の所在地を藤沢(神奈川県藤沢市)としていたり、「極楽寺由緒沿革書」という書物の記載には、永久年間(1113 – 1118年)創建、開山を「僧勝覚」としていたり正確なところは分かっていないようです。

「北条重時」は「極楽寺殿」などと呼ばれ、極楽寺流北条氏の祖となりました。

鎌倉の歴史を記載した「吾妻鏡」によれば、弘長元年(1261年)4月、「北条重時」は鎌倉幕府将軍「宗尊親王」を「極楽寺新造山荘」に招待し、笠懸(馬上から的を射る競技)を開催したとあります。

1261年頃には、鎌倉における「極楽寺」が創建されていたこととが確認できています。
重時はこの年、弘長元年の11月に亡くなっています。

「北条重時・忍性のお墓」

極楽寺「北条重時」の墓

鎌倉「極楽寺」境内には開基した「北条重時」と開山の「忍性」の墓所があります。

境内は撮影禁止だったので写真が撮れませんでした、山門の石柱に「北条重時」、「忍性」の墓と彫られています。

江ノ電「極楽寺駅」はマル秘撮影スポット!

極楽寺駅陸橋から江ノ電を撮影

上手く撮るのが難しかったのですが、鉄道好きの方なら間違いなく上手に撮れるはず!

極楽寺駅の真上にある陸橋からは、「極楽寺坂」に掘られたトンネルから飛び出してくる江ノ電をカメラに捉えることが出来るマル秘撮影スポットです!

写真好きの方はぜひチャレンジしてみてくださいね!

陸橋には鎌倉「極楽寺」とゆかりの深い「導地蔵堂」があるのでお参りしてみてください!

江ノ電を撮影するなら、近くの鎌倉「御霊神社」もおススメです!

「極楽寺」基本情報

霊鷲山「極楽寺」(りょうじゅざんごくらくじ)

住所 〒248-0023 神奈川県鎌倉市極楽寺三丁目6-7   

開門時間 9:00~16:30

閉門日 特になし

拝観料 無料

交通・アクセス
最寄り駅→江ノ電極楽寺駅から極楽寺へ徒歩約3分
江ノ電長谷駅から極楽寺へ徒歩約15分


みどころ
極楽寺山門、本堂、薬師堂、宝物館、薬鉢、石臼、井戸跡、導地蔵、極楽寺切通し

四季の花
アジサイ、ガクアジサイ、イワタバコ、シャガ、ハギ、ヤブツバキ、オオアラセイトウ
ウツギ、オオムラサキツツジ、アオキ、ムラサキカタバミ、ビョウヤナギ、キンシバイ
ウメ、エゴノキ、クスノキ、シャクナゲ、ボケ、ニホンスイセン、ロウバイ、ミツバツツジ

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