鎌倉「寿福寺」の本堂へ続く美しい静寂の参道は必見ですよ!!!
鎌倉幕府初代将軍、源頼朝(みなもとのよりとも)の妻、北条政子(ほうじょうまさこ)のお墓がある鎌倉の「寿福寺(じゅふくじ)」を紹介します!!!
神奈川県鎌倉市にあるこのお寺は山門から続く参道がメチャクチャいい感じなんです。
鎌倉「寿福寺」へのアクセス案内付きマップ、基本情報や周辺の鎌倉スポットはページ下部↓↓↓に置いておきます!!!
それでは画像とともにお楽しみくださいませ。
鎌倉「寿福寺」鎌倉随一の美しい参道は必見!!!

「寿福寺(じゅふくじ)」はこの山門から本堂までの参道がすごく良い感じなんですよね。

寿福金剛禅寺(じゅふくこんごうぜんじ)とあります。

木々の隙間から木漏れ日がさしてきて大変美しい。
寿福寺境内には鎌倉幕府初代将軍の妻「北条政子」の墓があります。

北条 政子(ほうじょうまさこ)は鎌倉幕府の祖、源頼朝の正室でした。
静岡県伊豆地方の豪族であった北条時政(ほうじょうときまさ)の長女として生まれました。
当時北条家は源頼朝の監視役を務めていたようです。
しかし、頼朝と政子は互いに慕いあう仲となってしまいました。
周囲は大反対したようですが、最終的には流人だった頼朝の妻となってしまいました。
鎌倉幕府が成立し武家政権を発足すると政子は御台所と呼ばれるようになりました。
1199年に頼朝が亡くなると征夷大将軍となった長男頼家、次男の実朝が連続して暗殺されてしまいます。
その騒動後は、京から招き将軍とした幼い藤原頼経(ふじわらよりつね)の後見人として幕政の実権を握り、尼将軍とよばれるようになったそうです。

頭上に目をやれば、太陽の光に照らされた木々が美しい色彩を放っています。
ちょうど紅葉だったので、燃えるような赤色が拝めました。

寿福寺周辺の路地裏も良い感じでした。

紅葉がまだまだきれいでした。(12月上旬)

寿福寺は観光客が入れるのはこの本堂前の山門前までです。
本尊は「釈迦如来」本堂内には源実朝の像が安置されています。
他のお寺に比べると見学時間はあっという間で終わってしまいます。
しかし!この山門と本堂のあいだの参道だけでも来る価値があると思います!!!
鎌倉のお寺の中でもトップクラスの雰囲気の良さとわたくしは思っております!!!

とにかく木漏れ日と木々が美しくて、空気が抜群に良いです。
紅葉がちょうど見ごろでラッキーでした。
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北条政子の墓、鎌倉「寿福寺」の歴史
鎌倉「寿福寺(じゅふくじ)」は鎌倉五山(かまくらござん)第3位のお寺です。山号を亀谷山(きこくさん)と呼び。臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)のお寺です。
上の写真にもあったように正式には寿福金剛禅寺(じゅふくじこんごうぜんじ)という。
本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)をまつっています。
寿福寺の創設者は頼朝の妻である北条政子(ほうじょうまさこ)です。
開基である初代住職は栄西(えいざい)です。
鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)の第24番目。
鎌倉二十四地蔵(かまくらにじゅうよんかんのん)の第18番目となります。
境内は「寿福寺境内」として1966年に国の史跡に指定されています。
鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の父である源義朝(みなもとのよしとも)の住まいがあった土地だそうです。
頼朝が平家との戦いに勝ち鎌倉に舞い戻ったときに、この地を幕府の中心とするつもりだったそうです。
しかし、父義朝の時代から長年の部下であった岡崎義実(おかざきよしざね)がお堂を建て義朝の菩提を弔っていた。
さらには土地が狭かったこともあり当初の計画を変更したということです。
創建当時は七堂伽藍(しちどうがらん、ごうせいなお寺だったってことですね。)が立ち、14の塔頭(たっちゅう)を持つ大きなお寺でした。
寿福寺が禅のお寺になっていったのは1278年ころと推定されているそうです。
1247年に火災にあい、1258年にも火災があってお寺のすべてが焼失してしまいました。
その後、寿福寺が再興されたのは南北朝時代の頃とされています。
鎌倉「寿福寺」近くの「八坂神社」

八坂神社は、1192年に千葉常胤(ちばつねたね)の息子である相馬師常(そうまもろたね)が相馬家の神様としておまつりしたのが始まりとされています。
浄光明寺付近や壽福寺本堂脇への遷座され、現在の地へ移転しました。
明治時代に入ると神仏分離令により現在の「八坂神社」と名称が変更になりました。

相馬 師常(そうま もろつね)1139年 ~1205年は、鎌倉時代に活躍した武将です。
相馬氏と言えば戦国時代には現在の福島県あたりを中心として有名な伊達政宗(だてまさむね)などと争ったことで知られています。
師常は相馬氏初代当主となりました。伝説によれば平将門(たいらのまさかど)の子孫である信田師国(しだもろくに)の養子となり、領地を相続したとのことです。
源頼朝の挙兵に参加し、頼朝の弟・源範頼(みなもとのりより)の軍勢に従って各地を転戦しました。
1189年には奥州合戦に参加し、その功により頼朝から「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」の旗を賜ったと
家督を嫡男にゆずると、出家後は法然(ほうねん)の弟子になったと言われている。
1205年に鎌倉で亡くなりました。

ぶっとい木が生えています。あたりは静かな裏通りという感じです。
小学生たちが寿福寺やこの八坂神社で遊んでいました。
昔は寺や神社の境内は子供の遊び場だったといいます。

シンプルで渋い神社です。
「八坂神社」の総本社は京都の祇園にあります。
全国にこのような分社が2300社ほどあるそうです。
現地では「祇園さん」とも呼ばれていて京都の「祇園祭(ぎおんまつり)」で有名です。
周辺の鎌倉スポットに比べるとすごい特徴はありませんが、静かで落ち着くので意外と気に入りました。

狛犬と本殿を撮ろうとしたら、後光が差してきました。
ありがたや・・・太陽の明かりは良いですね~
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鎌倉「寿福寺」と「八坂神社」基本情報
最高です。「寿福寺」は、ちょっとしか見れる場所がないにも関わらず、その空気感だけで個人的に鎌倉のトップ寺院となっています。
見るものがないとダメな人にはおススメできません。
しかし、空気に触れて見えない何かを感じる方には最高の場所ではないでございます。
鎌倉駅の西口を出て右手に線路沿いを進むと5~10分くらいで着きます。
ぜひ大きいお寺だけでなく、こういう場所も楽しんで欲しいです。
鎌倉ではマイナースポットですが、鎌倉時代創建の「八坂神社」も静かで良いところです。
寿福寺から近いので一緒にぜひお参りしてみてくださいませ。
追記です↓↓↓
「寿福寺」境内にある北条政子の墓は見学できないと思っていましたが、寿福寺の裏山に、鎌倉特有の「やぐら」形式として安置されている様です。
一緒に鎌倉幕府第三代将軍の源実朝のお墓もあるようです。
この寿福寺の地は、頼朝より昔に祖先である源頼義(みなもとのよりよし)が勝利を祈願したとされる「源氏山」を背にした、亀ヶ谷と言う源氏ゆかりの地だそうです。
源頼朝の父、源義朝の屋敷もここにあったそうです。
源頼朝は鎌倉幕府を開くにあたり、本拠地をここを考えていたと言われています。
この場所が手狭であり、すでに岡崎義実(おかざきよしざね)が源義朝の菩提を弔う施設を作っていたこともあり、大倉幕府の場所にしたそうです。
後日再訪し写真を撮れたら撮って来たいと思います!!!
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鎌倉「寿福寺」基本情報
住所 〒248―0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7
電話番号 0467-22-6607
定休日 ありません
拝観時間
拝観料 無料(仏殿公開時は拝観料が必要)
駐車場 ありません
アクセス JR横須賀線「鎌倉駅」西口を出て右手に線路沿いを進みます 徒歩約10分くらい
「八坂神社」基本情報
住所 鎌倉市扇ガ谷1-13-45
主祭神 素盞鳴尊、桓武天皇、葛原親王、高望王
交通アクセス
JR「鎌倉駅」下車 徒歩約10分
駐車場 なし
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