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鎌倉「八坂神社(相馬天王)」鎌倉武士「相馬師常」ゆかりのお寺!!!

鎌倉「八坂神社(相馬天王)」は、鎌倉幕府初代将軍「源頼朝」の幕府創生期を支えた「千葉常胤」の次男「相馬師常」の屋敷だった場所に建てられた神社です。

元々は「相馬師常」の屋敷内に守護神をお祀りしたのが始まりとされ、やがて現在の「八坂神社(相馬天王)」となりました。

「相馬師常」は人格者であったと伝えられ、静かで質素な境内は、その面影表しているかのようです。

近くには鎌倉五山第3位の「寿福寺」や、小さいながらも鎌倉に幕府を開いた「源頼朝」の祖先「源義家」と関わりの深い「巽神社」などがあるので、ぜひ一緒に参拝してみてはいかがでしょうか?

目次

「相馬家と歴史」

八坂神社
歴史

「八坂神社」は、1192年に「千葉常胤」の息子である相馬師常(そうまもろたね)が相馬家の神様としておまつりしたのが始まりとされています。

「相馬天王」などと呼ばれ桓武平氏の一族らしく、桓武天皇、葛原親王、高望王が祀られています。

「浄光明寺」付近や「寿福寺」本堂脇への遷座され、現在の地へ移転しました。

明治時代に入ると神仏分離令により現在の「八坂神社」と名称が変更になりました。

お金を洗うと金運が上がることで有名な「銭洗弁天」はもともとは「八坂神社」の末社でした。

「相馬天王と相馬師常」

八坂神社
相馬師常

「相馬師常」(そうま もろつね)1139年 ~1205年は、鎌倉時代に活躍した武将です。

相馬氏と言えば戦国時代には現在の福島県あたりを中心として有名な「伊達政宗」などと争ったことで知られています。

師常は相馬氏初代当主となりました。伝説によれば「平将門」の子孫である「信田師国」の養子となり、領地を相続したとのことです。
「源頼朝」の挙兵に参加し、頼朝の弟「源範頼(みなもとのりより)」の軍勢に従って各地を転戦しました。

1189年には奥州合戦に参加し、その功により頼朝から「八幡大菩薩」の旗を賜ったと

家督を嫡男にゆずると、出家後は「法然」の弟子になったと言われている。

1205年に鎌倉で亡くなりました。

八坂神社

ぶっとい木が生えています。あたりは静かな裏通りという感じです。

小学生たちが寿福寺やこの八坂神社で遊んでいました。昔は寺や神社の境内は子供の遊び場だったといいます。

八坂神社

シンプルで渋い神社です。

「八坂神社」の総本社は京都の祇園にあります。

全国にこのような分社が2300社ほどあるそうです。

現地では「祇園さん」とも呼ばれていて京都の「祇園祭(ぎおんまつり)」で有名です。

周辺の鎌倉スポットに比べるとすごい特徴はありませんが、静かで落ち着くので意外と気に入りました。

基本情報

八坂神社

狛犬と本殿を撮ろうとしたら、後光が差してきました。

有名な鎌倉の寺社を制覇した方は、マニアックな「鎌倉マイナースポット」の寺社も見学していてはいかがでしょうか???

「八坂神社」基本情報

住所   鎌倉市扇ガ谷1-13-45

主祭神  素盞鳴尊、桓武天皇、葛原親王、高望王

交通アクセス

JR「鎌倉駅」下車 徒歩約10分

駐車場 なし

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