「北条業時(ほうじょうなりとき)」は、鎌倉幕府第7代連署を務めた人物です。
父親は第2代連署「北条重時」、兄弟に第6代連署を務めた「北条義政」がいます。普恩寺流北条氏の祖となったことから「普恩寺業時(ふおんじなりとき)」とも呼ばれています。
母は「筑前局」で、桓武平氏諸流系図や関東閨閥皇代並年代記事所蔵の「北条系図」には重長と名乗っていたとみられる記述があります。
年下ではあったが異母弟・義政が序列上位とされ、下位の扱いを受けていました。年齢は逆だったにもかかわらず、義政が四男、業時が五男とされました。
「北条義政」~鎌倉幕府第6代連署~
「北条義政(ほうじょうよしまさ)」は、鎌倉幕府第6代連署を務めた人物です。(在職期間:文永10年(1273年)6月17日~建治3年(1277年)4月4日)。 信濃国塩田荘を所…
目次
生涯
二度のモンゴル帝国による襲撃を防いだ、第8代執権「北条時宗」時代後半になると、第6代執権だった「北条義政」が出家引退し、義政が亡くなると空席となっていた連署に就任しています。
第9代執権「北条貞時」の治世前半まで連署を務めていました。後任として「北条宣時」が第8代連署となっています。
極楽寺流北条師の中での序列は極楽寺流嫡家の赤橋家の下で、弟の義政(塩田流北条氏)が、業時(普恩寺流北条氏)より上の2番手となっていましたが、義政が出家し引退した後は業時の普恩寺家が2番手の序列となりました。
1287年(弘安10)6月18日に出家すると、6月26日に47歳で亡くなっています。
「北条重時」から続く「極楽寺」の建設にも関わっています。
鎌倉「極楽寺」~初代連署「北条重時」開基のお寺~
鎌倉「極楽寺」は、鎌倉幕府の初代連署を務めた「北条重時」が開基したお寺です。開山は「忍性」です。 全盛期には、七堂伽藍を備え、49の塔頭を持つ大きなお寺だったそ…
鎌倉幕府連署を務めた「北条氏」の人物まとめ
「連署(れんしょ)」とは、鎌倉幕府の「執権」を補佐する役職で、北条氏の有力人物が就任し。武蔵守に任命されるのが慣例だでした。 執権の補佐として幕政を担い、執権…
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