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鎌倉「蓮華寺跡」~第4代執権を務めた常時が建立とされる~

今回訪問したのは、鎌倉「蓮華寺跡」です。

現在はお寺は残されていませんが、鎌倉駅西口から少し離れた「佐助保育園」前に由来の書かれた石碑が建てられています。

蓮華寺跡の碑文

蓮華寺は仁治元年(1240)北条常時の創元にかかり 僧良忠を開山とせしが 寛元元年(1243)之を材木座に遷し 寺号を光明寺と改めし由伝へらる 又一説に蓮華寺は経時の菩提の為 建長三年(1251)北条時頼之を建立し 後弘安二年(1279)の頃  武州へ遷せりともいふ 此谷を佐介ヶ谷(さすけがやつ)と唱ふ

蓮華寺の歴史

蓮華寺は、1240年に、僧侶の良忠(りょうちゅう)を開山として、北条常時(つねとき)が、建てました。 1243年に、この寺を材木座に移し、寺の名前を光明寺と改めたと伝えています。また一説によると、蓮華寺は経時(つねとき)の菩提(ぼだい)のため、 1251年に北条時頼(ときより)が建て、その後、1279年の頃に、武蔵(東京都)へ移したともいわれています。この谷を佐介ヶ谷(さすけがやつ)と言います。 昭和九年(1934)三月 鎌倉町青年団建 「この石碑は、 昭和九年に鎌倉町青年団により蓮華寺跡と思われる松が谷内(登記所西側谷戸)に建てられたものですが、藤沢-鎌倉線の開通に伴い、この場所に移されたものです。従って現在地は遺跡ではありません。

「蓮華寺」は、鎌倉幕府第4代執権を務めた「北条経時」が建立したとあり、他の説では経時の弟で第5代執権を務めた「北条時頼」が建立したという説もあるようです。

経時、時頼ともに第3代執権の「北条泰時」から教育を受けていたとされ、時頼の息子「北条時宗」は元寇と呼ばれるモンゴル帝国の襲来を撃退した事でも知られています。

元々、松ケ谷地区にあったと推測されており「佐助保育園」前にある石碑は、松ケ谷地区に元々あった「蓮華寺跡」の石碑を現在地に移設したものだそうです。

このような北条氏の人物に所縁のある「蓮華寺」は材木座地区にある「光明寺」の前身であったとされ、元々「蓮華寺」は松ケ谷地区にあったとされ、松ケ谷地区には「安国論寺」「安養院」、苔の石段で有名な「妙法寺」などの史跡スポットがあります。

鎌倉の歴史に興味がある方は「蓮華寺跡」を見学してみてはいかがでしょうか?近くには金運アップのご利益があるとされる「銭洗弁天」や出世恋愛運にご利益があるとされる「佐助稲荷神社」などもあるので一緒に観光するのがオススメです!

鎌倉「蓮華寺跡」石碑近くの史跡スポットはこちら↓↓↓

住所神奈川県鎌倉市佐助1-13-6
拝観料なし
拝観時間なし
駐車場なし
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