鎌倉五山第一位「建長寺」を紹介します!
モンゴル帝国を防いだ第8代執権「北条時宗」の父で第5代執権「北条時頼」により建立されました。
「バス」や「徒歩」でのアクセス!
北鎌倉駅西口からのアクセス
「北鎌倉駅西口」からのアクセスをご紹介します。
西口改札を出たら↑↑↑の写真の右方向へ進んでいきます。
北鎌倉駅からバスで行かれる方はこちら
「北鎌倉駅西口」を出るとすぐに京急バス「北鎌倉駅」バス停があるのでこちらからアクセスできます。
「北鎌倉駅」バス停で「建長寺・大船駅方面」行き乗車→「建長寺」バス停下車
徒歩で向かう方は、バス通りの「県道21号線」を「鶴岡八幡宮」方面へ進んでいきましょう!
いつも北鎌倉から「鶴岡八幡宮」へ続く「県道21号線」は車で渋滞しています。ドライブで来るとお手洗いが不安になる混み具合・・・こちらの「第三鎌倉道踏切」を越え、このまままっすぐ進みます。
近くにはあじさい寺「明月院」や縁切り寺「東慶寺」、鎌倉五山第4位の「浄智寺」があります。やがて右手に「建長寺」が見えてきます。
向かい側には、室町初代将軍の足利尊氏が眠る「長寿寺」や閻魔大王で有名な「円応寺」があります。
「建長寺」へのアクセスは北鎌倉駅から県道21号を10~15分程歩くと到着します。お疲れ様でした!
「円覚寺」と同じくらいの規模があるお寺ですね。広い!
JR鎌倉駅東口からのアクセス
「JR鎌倉駅東口」のバスロータリーです。写真正面方向へ進むと「鶴岡八幡宮」の参道「若宮大路」へ出ます。
先ほどの「鎌倉駅東口」のバスロータリーをまっすぐアクセスすると、こちらの「二の鳥居」がある「県道21号」に出ます。写真の奥「鶴岡八幡宮」方向へ進んでいきます。
「若宮大路」を歩いて参拝を楽しむもよし、左右の歩道にはお店もたくさんありますよ!
こちらは「鶴岡八幡宮」の「三の鳥居」です。「三の鳥居」を左方向へ進んでいきます。
「鶴岡八幡宮」を横目に進むと「巨福呂坂」が見えて来ます。鎌倉「建長寺」まであと少し!
トンネルを抜けるとすぐに閻魔大王で有名な「円応寺」が左手に見えてきます。
「円応寺」を過ぎれば鎌倉「建長寺」へ到着です!お疲れ様でした!
「天下門・天下禅林の扁額」
鎌倉「建長寺」の「天下門」は昔、建長寺の「総門」の前には東西の外門が配置されていたそう。
現在残残っているのは1923年(大正12年)に関東大震災で倒壊したあと、1984年(昭和59年)に再建された西外門だけとなっています・・・残念。
門の上部には「天下禅林」の額を掲げているため「天下門」と呼ばれています。
「人材を広く天下に求め育成する禅寺をいみ」との意です。
西野が外門(北鎌倉側門)に掲げ我が国最初の禅宗寺院、鎌倉五山第一位の建長寺を象徴する語となっています。
「天下門の近くには」鎌倉五名水の一つ「金龍水」があったようですが、道路拡張工事のため、1962年(昭和37年)頃に埋められてしまったのだとか。
関東大震災で失われた東外門には「海東法窟」の扁額が掲げられていたそうで、現在では法堂に置かれています。
「総門・三門・おびんずるさま」
さっきのが入り口と思ったらまた門がある!こちらは「総門」と呼ばれています。
天明3年(1783年)に建立された京都の槃船三昧院の門を昭和15年に移築しました。
額の「巨福山(こふくさん)」は建長寺第十世住職一山一寧(いっさんいちねい)の筆によるもので、巨の字に筆勢による1点を加え(臣の上側の縦棒だけない文字です。変換しても出てこなかった・・・)百貫の価を備そなたものといい、世に百貫点ともいいます。
方丈もその時一緒に、移築されました。
建長寺の「総門」をくぐると見えてくる。壮大な「三門」は一番の見どころかもしれません!
「三解脱門」の略で楼上に五百羅鑑像などを安置しています。その下を通ると心が清浄になることを祈念しています。
安永4年(1775年)に、第二百一世住職万拙碩誼(ばんせつせきぎ)が関東一円から浄財を募って再建したもので、別名「狸の三門」といわれています。
これは「三門」建立の折、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶の姿に身を代えて住職の化縁を助けて大活躍したという言い伝えによります。
安永4年(1775年)に建てられて2005年に重要文化財に登録されました。
2階建ての「三門」は関東大震災で倒壊した後再建されたものです。2階部分は非公開となっており、「宝冠釈迦如来像」や銅造の「五百羅漢像」などが安置されているそうです。
北鎌倉周辺のお寺の中でも建物がやたら大きい。これが当時の権力の象徴、「鎌倉五山」第一位の実力か・・・
近くの「円覚寺」や竹林で有名な「報国寺」など、「釈迦如来像」が安置されているお寺が鎌倉には多いですね。
山門の下にいる「おびんずるさま」自分の身体で痛い場所を触ると治るんだとか・・・
「賓頭盧(びんずる)」はもともとお釈迦様の弟子のひとりです。ちょっとこわいです(笑)
建長寺「三解脱門」の下には「お賓頭盧さま」(おびんづるさま)が安置されています。
「おびんずるさま」は釈迦の弟子で十六羅漢の一人とされ、身体の悪いところ撫でると良くなるといわれています。
「おびんずるさま」は神通力にすぐれていましたが、神通力をみだりに使ったことから、お釈迦様に涅槃を許してもらえなかったのだという。
そのため、今でも衆生を救い続けているそうです。おいてけぼり・・・
「妙高院・鐘楼・嵩山門」
「妙高院」は「鎌倉三十三観音霊場」27番札所。貞和二年(1346年)くらいの創建と言われています。
「嵩山門」一般人は立ち入り禁止の「修行場」臨済宗(りんざいしゅう)のお坊さんが修行しています。
奥には建長寺の最高の聖地とされる「西来庵」があります。蘭渓道隆や無学祖元の墓があります。
建長寺の「鐘楼」。茅葺の屋根がカッコいい。
1255年(建長7年)、関東の鋳物師の筆頭であり、「円覚寺」の国宝の洪鐘や「高徳院」の大仏を造ったとされる「物部重光」によって鋳造されました。
「同禊院・柏槙の庭・仏殿」
「同禊院」は、三十一世「象外禅鑑(妙覚禅師)」「円覚寺」境内にに創建しましたが、火災を受け「建長寺」内に再建したといいます。
「建長寺」境内の塔頭の一つで拝観は出来ませんが、良い雰囲気を漂わせています。見学してみたい!
本尊の「地蔵菩薩」は天国から地獄まで、あらゆる生物を救って成仏させる菩薩です。
「北条時頼」と「蘭渓道隆」の、迷いの中から救い悟りを得るという願いが込められているそうです。当時の世情がわかるエピソードですね。
毎月1日、15日には「祝聖」(天皇の寿命を祈祷する法要)、23、24日には「開山例月忌」(「蘭渓道隆」の命日と同じ日の法要)などが行われています。
現在の「仏殿」は創建から4代目のものといわれています。
東京の芝の「増上寺」にあった「徳川秀忠」夫人の「お江の方」の霊屋(おたまや=墓)を建長寺が譲り受けたものです。
仏殿前の庭園の「柏槇の木」は「蘭渓道隆」が植え、樹齢760年以上とのことです。
建長寺の方丈(ほうじょう、むかしは住職の住まいとしてつかわれ、現在は行事に使われる会館みたいなところ)
ここ「龍王殿」は無料で入れて庭園が見れるようになっています。
横にひろすぎて持って行ったカメラではキレイに撮れなかった・・・残念。
建長寺庭園(名称史跡)
方丈(龍王殿)の背後にあり、大覚禅師の作庭で蘸碧池(さんぺきち)を中心とした貴賓を応接するための禅寺を象徴する庭園です。
江戸時代に改修され、池の中に島をおき、橋を架け、池の辺には石、松等を配し半蔵坊の山を借景とする瀟洒(しょうさい)な庭園です。
(建長寺発行のパンフレットより)
「唐門・法堂・宝珠院」
方丈(龍王殿)の正門で勅使門ともいわれる門です。
元は崇源院御霊屋(現物殿)の唐門で、仏殿と同様正保4年(1647年)に移築されたものです。
建長寺境内の「法堂」は関東最大級の木造建築です。渋くカッコいいつくり!
住職が仏に代わって須弥檀上(しゅみだん)で説法するためのお堂です。
本来仏像は祀りませんが、現在は千手観音菩薩を祀っていおり、文化11年(1814年)に再建され、木像建築では関東最大級のモノとなります。
天井には日本画家小泉淳画伯が描いた水墨の雲龍図が掲げられています。
「宝珠院」は、第三十五世了堂素安(りょうどうそあん)の塔所だった場所で、本尊には釈迦如来が安置されています。
「龍峰院・天源院・正統院」
「龍峰院」は鎌倉三十三観音霊場の29番札所。徳治2年(1307年)に創建されました。紅葉が美しい!
「天源院」は、第十三世南浦紹明(なんぽじょうみん)の塔所だった場所で、本尊には釈迦牟尼仏が安置されています。
「正統院」は、後嵯峨天皇の皇子である「高峰顕日(こうほうけんにち)」の塔頭だった場所で、天皇家とも御縁がある寺院です。
「正受庵・回春院・虫塚」
建長寺境内にある「正受庵」は勉強会や講習会などに使われる建物。
「回春院」は、第二十一世「玉山徳旋(ぎょくさんとくせん)」の塔所だった場所で、本尊には文殊菩薩が安置されている。
建長寺境内の「半僧坊」の参道にある「虫塚」は、2015年(平成25年)、「バカの壁」などで知られる養老猛司氏の計画によって建立され、設計は建築家の隈研吾氏が手がけました。
毎年6月4日の虫の日に法要が執り行われ、人間の都合で命を奪われてきた昆虫を供養しています。
虫かごを模した設計になっています。
「半増坊・勝上獄地蔵尊・展望台」
建長寺境内の裏山の中腹にある「半僧坊大権現」は、建長寺の鎮守であり、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が開いた静岡県にある「方広寺」が半僧坊の元となっています。
「勝上獄地蔵尊」は「半増坊大権現」から展望台に向かう途中にあります。金色の地蔵が安置されています。
建長寺境内の「半増坊大権現」の頂上にある展望台からは鎌倉一帯が見渡せます。この展望台はハイキングコースの一部にもなっています。
「紅葉・桜・歴史」
鎌倉「建長寺」は紅葉が多く、紅葉のシーズンはとても美しいです。特に「龍峰院」周辺の紅葉が美しいのでオススメです。
鎌倉「建長寺」は桜も美しいです。特に「三門」近くの桜並木の道は桜のトンネルと撮影しようとする人で込み合います。美しい!
「建長寺」は禅宗の寺で鎌倉五山第一位です。
臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)の大本山(本部みたいな場所)。
山号を「巨福山(こふくさん)」と言い。正式な名前は「建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)」
鎌倉時代1253年に建てられ、本尊は「地蔵菩薩」で、鎌倉幕府第5代執権の「北条時頼」が創建しました。
初代住職は禅僧「蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)」。
お寺の境内は「建長寺境内」という形で国の史跡に認定されました。
当時は北条氏の権力基盤が強まり、京都朝廷の権力は弱体化して鎌倉が日本の中心地となっていました。
建長寺が建つ山ノ内は「北条執権家」の本拠地で、幕府のある鎌倉の中心からは山一つ超えた所にあって、鎌倉の北側の要でした。
建長寺の境内が広がる谷は、もともと「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、「地蔵菩薩」を本尊とする心平寺という寺が建っていたそうです。
鎌倉のお寺で良く祀られている「釈迦如来(しゃかにょらい)」ではなく「地蔵菩薩」であるのは、こうした事情によるものだそうです。
禅の道場として建長寺は、「聖福寺(北九州)」の次に古い場所だということです。
初代住職の「蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)」は1262年に京都の建仁寺に移ったが2年後に鎌倉に戻って建長寺に復帰。
当時の政治状況により中国より招かれた道隆は中国側のスパイと疑われたためか、山梨県に流されたこともあった。
のちに許されて鎌倉に戻り、1278年4月、建長寺に復帰しました。同じ年の7月66才でお亡くなりになられました。
まとめ&「建長寺」基本情報
良い天気に恵まれた鎌倉散歩でした。
とにかく敷地が広大で見学するのに骨が折れた・・・さすが鎌倉五山第一位ですな。
ちなみに野菜をごま油で炒めたしょうゆ味の「けんちん汁」はここ建長寺が発祥なのだとか・・・
初代住職の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が野菜の皮など本来捨ててしまっているものを無駄にしないようにと発案したのだとか。
もとは建長寺にちなんで「建長汁」これがなまって行き「けんちん汁」となったという事です。
みなさんの鎌倉観光の参考になれば幸いです!
臨済宗総本山
住所 〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内8
TEL 0467-22-0981
定休日 なし
拝観時間 8:30~16:30
拝観料 大人300円、小人100円
駐車場 (20台ほど 1時間600円)
建長寺は巨福山建長寺国禅寺(こふくさんけんちょうじこくぜんじ)といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺はの大本山です。
今から約七百六十年前建長5年(1253年)に鎌倉幕府5代執権北条時頼(1227~1263年)
が建立した我が国最初の禅寺です。
建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は、中国の高僧無明慧性(むみょうえしょう)に学び、寛元4年(1246年)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺迎えられました。
蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導しました。
その教えは現在国宝として寺に残る「法語規則」にみることができます。
「鞭影を見て後に行くは即ち良馬に非らず、訓辞を待て志をハッスルは実に好僧にあらず。」(法語規則)
蘭渓道隆はその後、京都音建仁寺、会の東光寺等にも移り、弘安元年(1278年)に再び建長寺へ帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜りました。
これは日本で最初の禅師号です。尚、「建長汁(けんちんじる)」は建長寺発祥の料理です。
北条時頼は、建長寺を建立し、大覚禅師や、第二世住職兀菴普寧(ごったんふねい)に師事し、禅の教えに深く帰依しました。
また時の権力者として経済的にも建長寺を支え、全国的に禅宗を広め、自らも出家して法名を覚了房道崇(かくりょうぼうどうすう)と名乗りました。
建長寺の伽藍
創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅宗寺院を模したもので、総門、三門、仏殿、法堂、方丈などの主要な建物が直線にならび、左右に大禅堂、大食堂(だいじきどう)を有する寺院でした。
その後、14、15世紀に起こった数度の火災により、その多くが消失してしまいました。
江戸時代に入り、高名な沢庵和尚や金地院崇伝(こんちいんすうでん)の進言、徳川幕府の後援などによって、再建復興し、平成15年の創建750年事業によって現在の姿を迎えました。
本山の地に塔頭12院を数えます。
(建長寺発行のパンフレットより引用)
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