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今回は浄土宗大本山「増上寺」へ行ってまいりました!徳川家の菩提寺としても有名ですね!!!
見どころいっぱいです!早速ご紹介いたします!!!
「三解脱門」
「増上寺」のものすごーく立派な「三解脱門」。しびれるぜ。東京タワーが「三解脱門」から顔出してますな。
東日本最大級の規模を誇る「三解脱門」は1622年、徳川幕府の命により中井正清とその配下により建立されました。「増上寺」が江戸初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物だということで、国の重要文化財になっています。
この門を通れば、三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」から解脱できるんだとか・・・門の上には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
増上寺の歴史
増上寺の「手水舎」はいたってシンプル。
増上寺の歴史
9世紀に空海の弟子である宗叡が建立した「光明寺」が「増上寺」の前身だといわれています。
室町時代の1393年、真言宗から浄土宗に改宗しその名を「増上寺」と改めました。
徳川将軍家の菩提寺として知られる「増上寺」には中世の頃から、徳川家の前身である松平家との関りも深かったようです。
徳川将軍家の菩提寺となる過程はよく分かっていないそうですが、1590年徳川家康が江戸へ移転した際、増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったとされています。
武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)から、「増上寺」は一時日比谷へ移り、その後江戸城の拡張に伴い、1598年家康によって現在地の芝へ移されました。
明治時代には廃仏毀釈、神仏分離や、1874年1月1日排仏主義者により放火されるなどしました。徳川幕府がなくなり、明治維新後の様々な影響により規模は縮小し、境内の広範囲が芝公園となりました。
太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けた。
現在は「増上寺」と「東京タワー」の古い象徴と新しい象徴が、仲良く共存していて面白いですね。
「ブッシュ槇」なんか芸名みたいだな・・・
米国第41代ブッシュ大統領が副大統領の時に植えた「槇」の木。昭和57年4月24日に来日したとのこと。
「魚供養之碑」千代田水産株式会社さんによる、お魚供養の塔。
仏像と「仏足石」(写真右側)仏陀の足跡なんだそう。
江戸三代名鐘の一つ「増上寺鐘楼」
1633年に建てられた鐘楼。現在の鐘楼は戦後に再建。この鐘は1673年に大きすぎて7回の鋳造を経て完成したモノなんだそう(東日本で最大の大きさ!)江戸三大名鐘の一つに数えられています。
朝と夕べ、2回撞く鐘の音は、108の煩悩を払うのだそう。
「大殿」「安国殿」「西向聖観世音菩薩」
増上寺「大堂」1974年大本山の念仏の根本道場として、戦災に遭い焼失した本堂が再建。首都圏では最大級の規模で、石段を登りつめた二階に本堂、三階に道場、一階に檀信徒控室、地下に「宝物展示室」があります。
ご本尊には阿弥陀如来、両脇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られています。
増上寺「安国殿」は、戦災によって焼失した「本堂」再建まで使用されていた「仮本堂」を移築して「安国殿」としました。
現在の「安国殿」は2011年に老巧化のため再建されたものです。徳川家康が戦のご利益を得たとされる「阿弥陀如来像」恵心僧都の作「黒本尊」などが祀られています。
「西向聖観世音菩薩」は、鎌倉時代の執権「北条時頼」により現在の「東京タワー」がる観音山に辻堂を建て、六本木方向に向けて安置した観音像です。子育てや安産に霊験あらかたと伝えられています。
1975年に現在の増上寺「安国殿」前に観音像を遷座しました。江戸三十三観音札所となっています。
徳川将軍家墓所
特別期間には解放されることがある「徳川将軍家墓所」
戦災復興の際には、発掘調査が行われ、歴代徳川将軍達の遺骨調査などもされたそう。
お地蔵さんたちが赤い頭巾をかぶせられていた。なんともかわいらしい。
二代秀忠公・六代家宣公・七代家継公・九代家重公・十二代家慶公・十四代家茂公の6人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮さま(十四代家茂公夫人)ら5人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ5人の側室、及び、三代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されています。
増上寺ホームページより(https://www.zojoji.or.jp/keidai/)
感想&良かったところ
無料で入れるうえに見学するところがたくさんある。
増上寺の「大堂」から振り返る広い境内と「三解脱門」は見ごたえがあってよかった。
「東京タワー」や「芝公園」が近く、少し足を延ばせば「愛宕神社」などの東京名所にアクセスしやすい。「芝東照宮」なんてのもある。
晴れた日には最高に気持ち良い散歩もできるのでぜひぜひ!!!
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