「北条時茂(ほうじょうときしげ・ときもち)」は、初代連署を務め、極楽寺流北条氏の祖となった、父「北条重時」と、その正室の妻「平基親」の娘の三男として生まれました。常盤流北条氏の祖であり。六波羅探題北方などを務めた人物です。
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生涯
鎌倉幕府第5代執権「北条時頼」によって摂津・若狭守護職に任命されました。
建長6年(1254年)3月には「北条実時」に代わって小侍所別当に任命されています。
建長8年(1256年)6月からは兄弟で、やがて鎌倉幕府第6代執権を務めることになる「北条長時」が評定衆に任じられと、兄に代わり六波羅探題北方に任命され京へ上洛しています。
文永7年(1270年)1月27日に31歳で亡くなっています。14年間に渡って六波羅探題職を務めました。
皮肉にも後年、六波羅探題を滅ぼしたのは曾孫に当たる、室町幕府初代将軍となった「足利尊氏」でした。
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