「畠山重保(はたけやましげやす)」は、鎌倉時代の武士であり、鎌倉幕府初代将軍 源氏将軍「源頼朝」に付き従い活躍した父「畠山重忠」の子として生まれました。
兄に「畠山重秀」がいますが、後継ぎとして嫡男の扱いを受けていたのは重保だったとされています。
記事のタイトルには、「畠山重保」の墓とされる宝篋印塔が建つ、「鶴岡八幡宮」一の鳥居付近に屋敷があったと書いていますが、横浜市戸塚区の源氏山と呼ばれる場所に重保の屋敷があったとするせつもあるようです。(鎌倉の「源氏山公園」とは違うようですね。)
元久2年(1205年)に鎌倉幕府初代執権「北条時政」の後妻「牧の方」の娘婿である「平賀朝雅」との確執により、謀反の罪を着せられ「三浦義村」によって討たれてしまいました。
重保謀殺を知らないまま父「畠山重忠」は、時政の息子「北条義時」によって討たれ(畠山重忠の乱)、畠山氏は滅亡してしまいました。
畠山家滅亡後は、父重忠の未亡人である「北条時政」の娘と、「足利義兼」の庶長子「足利義純」が婚姻したことにより所領を継承したとされています。
子に時麿(小太郎重行)または、父重忠と同じ名の子があったとする説もあり、目黒氏や、江戸氏として畠山の血は存属して行ったとも言われていますが、定かにはなっていないようです。
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