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鎌倉「巽神社」~古の二代将軍と関わりを持つ小さな社~

鎌倉「巽神社(たつみじんじゃ)」は近くにある鎌倉五山第3位の「寿福寺」との鎮守として、その昔、巽荒神と呼ばれ崇められていました。

「坂上田村麻呂」が蝦夷への遠征の際、葛原岡に創建し、さらに「源頼義」が東北の奥州遠征の際、神社を改築したと伝えられています。

JR鎌倉駅西口から、5~10分ほどで到着し、周辺には「寿福寺」や「八坂神社(相馬天王)」があるので一緒に参拝するのがオススメです!

目次

歴史・由緒

鎌倉 巽神社

「坂上田村麻呂」(758-811)は奈良時代の終わりころから、平安時代まで武人として各地を転戦した大将軍です。

鎌倉では「荏柄天神社」に祀られている「菅原道真」とともに、当時を象徴する人物でした。

801年(延暦20年)、「坂上田村麻呂」が征夷大将軍として蝦夷へ遠征を行いました。

その遠征に向かう際、「奥津日女生命」、「奥津日子命」、「火産霊命」を葛原岡(現在の源氏山公園)に勧請したのが、「巽神社」の創建と言われています。

寿福寺境内の源氏山の碑

「源頼朝」から4代前の河内源氏のリーダーだった「源頼義」が「前九年の役」の3年前である1048年(永承4年)に社殿を改築したとされます。

その後、葛原岡より移築され「寿福寺」の鎮守神として敬われ、「寿福寺」から巽の方角にあることから「巽神社」と呼ばれるようになったと言います。また「浄光明寺」が管轄していた時期もあり、やがて明治時代に村社に列せられました。

「坂上田村麻呂」も「源頼義」も、東北へ遠征に向かう際に鎌倉に立ち寄っているのが不思議です。

それから後、「源頼朝」が鎌倉幕府を開き、武家初の政権を創ったのも二人の武人が鎌倉に縁を付けていたからなのかもしれません!

ロマンがありますね!

「巽神社」基本情報

住所 鎌倉市扇ガ谷1-9-7
主祭神 津日女生命、奥津日子命、火産霊命
創建 801年
アクセス 「鎌倉駅」下車、西口から徒歩7分

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