「北条守時(ほうじょうもりとき)」は、鎌倉幕府第16代執権を務めた人物です。(在職期間:1326年~1333年)。
鎌倉幕府第6代執権「北条長時」は曾祖父にあたり、父は赤橋流「北条久時」。
鎌倉幕府を滅亡させ、室町幕府初代将軍となった「足利尊氏」は妹登子の婿でした。
「足利尊氏」~鎌倉幕府滅亡の立役者・室町幕府初代将軍~
「足利尊氏(あしかがたかうじ)」は、鎌倉幕府を滅ぼし、室町幕府初代征夷大将軍となった人物です。(在職:1338年~1358年) 「足利貞氏」の次男として生まれ、足利宗…
目次
生涯
師時の生まれた赤橋流北条家の家格は高く、徳治2年(1307年)10月1日、僅か13歳にて従五位下左近将監に任命されています。
嘉暦元年(1326年)3月の「嘉暦の騒動」が起きると守時は、10日で執権を辞任した、第15代「北条貞顕」の後任として4月24日に第16代執権となっています。
出家した第14代執権「北条高時」や内管領の「長崎高資」が権力を握っていたことから、政治に深く携わることは出来なかったようです。
正慶2年/元弘3年(1333年)5月、姻戚関係のあった「足利尊氏」が倒幕側に寝返ります。
同母妹の登子と甥の千寿王丸(のちの足利義詮)も鎌倉から脱出したことから、守時の立場は悪化し謹慎を申し付けられています。
5月18日、「新田義貞」の倒幕軍と鎌倉中心部への要、巨福呂坂に拠り新田勢の糸口貞満と激戦を繰り広げたと言います。
激戦の後、洲崎(現在の神奈川県鎌倉市深沢地区周辺)で自害し、子の益時も父に殉じています。39歳でした。
鎌倉幕府執権を務めた「北条氏」の人物まとめ
「執権(しっけん)」は、鎌倉幕府の実質上の最高責任者の職名。鎌倉幕府将軍を補佐し、政務を統轄する重要なポジションでした。 一般的なイメージとして、鎌倉幕府初代…
「足利尊氏」~鎌倉幕府滅亡の立役者・室町幕府初代将軍~
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