鎌倉幕府第16代執権「北条守時」~その血は足利家に引き継がれる~

北条家家紋 ミツウロコ

「北条守時(ほうじょうもりとき)」は、鎌倉幕府第16代執権を務めた人物です。(在職期間:1326年~1333年)。

鎌倉幕府第6代執権「北条長時」は曾祖父にあたり、父は赤橋流「北条久時」。

鎌倉幕府を滅亡させ、室町幕府初代将軍となった「足利尊氏」は妹登子の婿でした。

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生涯

師時の生まれた赤橋流北条家の家格は高く、徳治2年(1307年)10月1日、僅か13歳にて従五位下左近将監に任命されています。

嘉暦元年(1326年)3月の「嘉暦の騒動」が起きると守時は、10日で執権を辞任した、第15代「北条貞顕」の後任として4月24日に第16代執権となっています。

出家した第14代執権「北条高時」や内管領の「長崎高資」が権力を握っていたことから、政治に深く携わることは出来なかったようです。

正慶2年/元弘3年(1333年)5月、姻戚関係のあった「足利尊氏」が倒幕側に寝返ります。

同母妹の登子と甥の千寿王丸(のちの足利義詮)も鎌倉から脱出したことから、守時の立場は悪化し謹慎を申し付けられています。

5月18日、「新田義貞」の倒幕軍と鎌倉中心部への要、巨福呂坂に拠り新田勢の糸口貞満と激戦を繰り広げたと言います。

激戦の後、洲崎(現在の神奈川県鎌倉市深沢地区周辺)で自害し、子の益時も父に殉じています。39歳でした。

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