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鎌倉「法華堂跡」~北条義時が建立・境内には三浦一族のやぐらも~

今回訪問したのは、鎌倉幕府の第2代執権「北条義時」の「法華堂跡」です。

栄華を極めた者も時が立てば形を失っていきますね~諸行無常です。

あまり建物は残っていないので歴史好きの方以外はほかの記事を見たほうが楽しいかも・・・(笑)

目次

鎌倉「法華堂跡」へアクセス!!!

源頼朝墓

こちらは鎌倉「鶴岡八幡宮」から5分ほどのすぐ近くにある「源頼朝のお墓」です。

「鶴岡八幡宮」からすぐ近くなので、ここまではこちらの記事を参考にしてみてください↓↓↓

2代執権「北条義時」の「法華堂跡」は画像の右手、白い車が止まっている方の道へアクセスするとあります。

北条義時法華堂跡 周辺

こんな具合でひっそりと鎌倉の「法華堂跡」は佇んでいます。

「法華堂跡」へは余程の鎌倉好きか地元の人が犬の散歩でアクセスするくらいかと思われます。

北条義時法華堂跡

「法華堂跡」は跡地にしては入口がなかなか立派です。

奥深くへとアクセスして行きましょう。

北条義時法華堂跡

これは発掘した後から設置したのでしょうか?

北条義時法華堂跡

「法華堂跡」は階段が結構急なので足腰が鍛えられます!

ラッキー!!!はぁはぁ・・・

北条義時法華堂跡

「法華堂」の疎石の跡かな?

足元がゴツゴツしているところもあるので「法華堂跡」へアクセスの際はご注意を!

北条義時法華堂跡

やたら灯籠が設置されている「法華堂跡」。

北条義時法華堂跡

夕方に近い時間だったので若干日が陰ってきました・・・

鎌倉は山に囲まれているので暗くなるのが早い気がします。

北条義時法華堂跡 説明板

鎌倉「法華堂跡」

この平場は、鎌倉幕府第2代執権の「北条義時」の法華堂(墳墓堂)が建っていた跡です。

承久3年(1221年)の承久の乱においては、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)方を破り、これ以降、鎌倉幕府は全国的な政権としてより強固なものとなりました。

義時は貞応3年(1224年)に62歳で没しました。

「吾妻鏡(あずまかがみ)」には、「源頼朝」の法華堂の東の山を墳墓の地とし、そこに新法華堂(北条義時の法華堂)を立てたことが記されています。

北条義時の法華堂は鎌倉時代の終わりには途絶えたようですが、平成17年(2005年)に行われた発掘調査により、8,4メートル四方の平面正方形の建物跡が確認され「吾妻鏡」の記述が裏付けられました。

鎌倉市設置の説明板より

北条義時法華堂跡 説明板

「法華堂跡」の説明板

説明板はどこにでも設置されているなぁ。

鎌倉市は遺跡や寺院に力を入れてますね~

北条義時法華堂跡

「法華堂跡」なのでメインのお堂はございません・・・お堂があると思ってアクセスされぬようご注意を・・・

画像の鳥居のわきには・・・

三浦一族のやぐら

三浦一族のやぐら

ジャン!!!

「やぐら」でございます。

こちらは宝治合戦(ほうじかっせん、1247年ころ)で鎌倉幕府の北条執権側と対立し滅ぼされた三浦一族のお墓(やぐら)とされています。

三浦一族のやぐら

たくさんのお供え物がありますね。

地元の方でしょうか?愛されていますね!

北条義時法華堂跡

鳥居があります。

どこまでが復元されたものなのでしょうか?

北条義時法華堂跡

結構急な石段を登っていきます。

人もいないので、階段ダッシュとかトレーニングできそう。

北条義時法華堂跡

急な石段だ。

階段の巾も小さめなのでスリルがあります。

北条義時法華堂跡

「法華堂跡」奥の階段を登りきると、「やぐら」方式の横穴墳墓が3つあります。

「大江広元(おおえひろもと)」、「毛利季光(もうりすえみつ)」、「島津忠久(しまづただひさ)」の墓です。

「大江広元」は「源頼朝」の時代から鎌倉幕府ナンバー2の実力者であったとされています。

「毛利季光」は「大江広元」の4男で先に先ほどの画像にあった三浦一族と共に宝治合戦で執権北条家と対立し滅ぼされてしまいます。

これによって毛利一族はそのほとんどが途絶えたようです。

しかし、当時越後国(現在の新潟県)にいた四男の経光だけは生き残ったそうです。

その末裔が戦国時代に中国地方の覇者となった「毛利元就(もうりもとなり)」であるそうです。

「島津忠久」は「源頼朝」に仕え活躍した鎌倉幕府の御家人です。

こちらも戦国時代に九州の覇者となった島津家の先祖であるそうです。

関ヶ原の戦いでの「島津義弘」の「島津の退き口」は有名ですね。

北条義時法華堂跡

鎌倉には平地が少ないので山を穿って「やぐら」としたのでしょうか。

北条義時法華堂跡

うへぇっ急な階段だわ。

「法華堂跡」の階段は降りる時の方が怖いですね。

北条義時法華堂跡

何故か階段が左右二つあります。

北条義時法華堂跡

こちらの階段の方が古い感じがします。

足元もゴツゴツしてます。

北条義時法華堂跡

ちょっと見にくいですが、この広場が「北条義時」の「法華堂」があった場所とされています。

法華堂が建てられていた、礎石などが見つかったそうです。

8.4メートル四方の正方形の三間堂であったと発掘調査で推測されているそうです。

北条義時法華堂跡

今では礎石以外な~んもありませんが、綺麗な夕陽が見れそうな場所でした。

個人的には何もないのもまた好きなんです。

妄想できますから。

北条義時法華堂跡

景色は中々良いです。

しかし、デートには絶対的に向きません。

北条義時法華堂跡

入口の階段も降りる時はすごく急に感じます。

日差しが差し込んでほのぼのしました。

北条義時「法華堂跡」基本所法とアクセス付Googleマップ

「法華堂跡」いかがでしたでしょうか・・・「鎌倉マイナースポット」故に「法華堂跡」へのアクセスも戸惑うかもしれません(笑)

今回はかなりマニアックと言いますか・・・「永福寺跡」と同じくらい何も建物がないので、読む人を選ぶ感じになりました。

ここまで読んでくれる奇特な方がいらっしゃいましたら、私が「跡地マニア」に認定したいと思います(笑)

「法華堂跡」周辺の史跡スポット↓↓↓

鎌倉「法華堂跡」基本情報

住所   〒248-0004, 2丁目-5-7 西御門 鎌倉市 神奈川県 248-0004

拝観料  なし

拝観時間 24時間

アクセス 「JR鎌倉駅」より徒歩10~15分ほど

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