今回ご紹介するのは、東京都大田区池上にある「照栄院(しょうえいいん)」です。
昔は檀林所(だんしんじょ、お坊さんの学校)として使われていたそうで、静かで良い感じの場所でした。
それでは早速画像と一緒にお楽しみくださいませ。
日郎上人の庵であり檀林だったお寺!
「照栄院」の山門。
このお寺は「池上本門寺(いけがみほんもんじ)」の子院でもあります。
このあたりには寺院が集中しているので色々見学しやすいですよ!
詳細なアクセスの仕方は「池上本門寺」の記事にあります。良かったらどうぞ。
山門の額が渋い。
ここで多くのお坊さんが修行していたのでしょうか・・・
「妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)」の石碑。
「妙見」とは「広く見渡す、視力が良い」というような意味があり。
「菩薩」には「悟り、真理をもとめる者」という意味があるそうです。
お坊さんの学校だった「しょうえいいん」に相応しいネーミングですね。
お寺の説明が書かれた看板。
山門をくぐると・・・あら!良い感じな境内じゃないの。
境内は手入れの行き届いた木々が植えられている。
しかし・・・おかげで写真撮影は難易度が高まる(笑)
こちらが本堂です。
ここで学僧の修行が行われていたんですね。
「喝ッ!!!」愛しの警策。
照栄院(しょうえいいん)
正応四年(1291)日朗聖人(にちろうせいじん)の庵室として開創。
日朗聖人没後荒廃したが、嘉吉年間(1441-1444)に再興された。
元禄二年(1689)南谷檀林という僧侶教育の学校を開設、明治二年(1869)に廃されるまで多くの高僧を送り出した。
本門寺の役寺としての三院家の一。
山上の妙見堂に祀られる妙見菩薩立像は寛文四年(1664)加藤清正の娘瑶林院が夫の紀州徳川頼宣の現世安穏後世善処を祈念して奉納したもの。(池上の寺めぐりより)
本堂の額には「朗慶山(ろうけいざん)」の文字が。
お寺には山号という呼び名があり、このお寺は「朗慶山」だそうです。
歴史と縁起
照栄院は朗慶山と号し日蓮宗に属す池上三院家の一つです。昔は「向林庵」あるいは「南谷檀林立善講寺」とも呼ばれていました。
日蓮大聖人の高弟日朗聖人は大聖人の滅後、鎌倉において布教に勤めていましたが、文保2年(1318)、74歳のとき、退隠を決意 池上南窪の地に草庵を結びました。
照栄院の濫觴(らんしょう、ものごとの始まりという意味)です。日朗聖人は76歳で没し、その後、草庵は荒廃に帰しましたが、嘉吉年間に日鏡聖人が出て再興を果たしました。
大田区立池上会館の庭に日朗菩薩草庵之地の碑、その左手に朗師坂、朗師坂の上には御墓、そして照栄院本堂に元和7年(1621)造立の日朗菩薩座像があります。
元禄元年(1688)、池上本門寺第22世日玄聖人は、照栄院の地に南谷檀林を開創しました。
檀林とは僧侶の学校の名称です。
現在の池上小学校、池上会館から照栄院の地に至る一帯に講堂、方丈、玄頭寮、板頭寮、首座寮、所化寮、玄文両談合場、食堂、総門、妙見堂などを備えていました。
南谷檀林跡の碑南谷檀林跡の碑
明治維新で廃檀となり、建物も取り壊されましたが、天保7年(1836)再建の板頭寮(校務担当者の居室)は照栄院書院として現在も使われています。
檀林関係の文書や書籍もここに保存されています。
妙見堂も妙見坂の上に現存します。
奉安する妙見大士像は、寛文4年(1664)に加藤清正の娘瑶林院が夫の紀州公徳川頼宣の現世安穏後生善処を念じて本門寺に献じたもので、檀林創立のとき、日玄聖人が、檀林守護のため移祠しました。
現在のお堂は慶応二年(1866)の再建と考えられています。毎年冬至の日に催される星祭りには沢山のお参りがあります。
日蓮大聖人の題目始唱750年を記念して、平成14年に落慶を見たのが永代供養廟久遠林(くおんりん)です。
久遠林(くおんりん)はその広さ美しさといった施設面だけではなく、個人の信仰の強調、二字戒名の提唱、塔婆の廃止といった実践面に特徴があります。
当山の名物に「たぬき汁」があります。
これは精進のけんちん汁で正月2日の新年祈願会には檀信徒に、正月20日の朗師会には山内僧侶に供されています。
照栄院さんのホームページより引用
まとめと基本情報
「照栄院」静かで落ち着く良い場所でした。
「池上本門寺」は何度か来たことがあるのですが、周りのお寺を回るのは初めてで、なかなかいい場所がたくさんあるんだなと気が付かされました。
ここでたくさんのお坊さんが勉強していたんだなと歴史を感じることができました!
「照栄院」基本情報
住所 〒146-0082 東京都大田区池上1丁目31−10
電話 03-3754-6624
拝観時間 早朝~16時ころ
拝観料金 なし
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