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鎌倉「宇都宮稲荷神社(宇津宮辻子幕府跡)」第3代執権北条泰時と鎌倉幕府の跡地!!!

今回アクセスして参りましたのは、神奈川県鎌倉市にある「宇津宮稲荷神社(うつのみやいなりじんじゃ)」です。

ご存知ですか?

実は鎌倉幕府の中心地はなんどか移転しているんです!!!

てなわけで、今回も只管歩きまわって「宇津宮稲荷神社」へアクセスして参りました。

「宇津宮稲荷神社」へのアクセス案内付きグーグルマップも設置してありますのでご利用くださいませ!

その他、美しい鎌倉のお寺などのまとめリンクはこちら!ポチっとな!!!

それでは早速画像と共に「宇津宮稲荷神社」をご紹介します!!!

目次

鎌倉幕府の跡地「宇津宮稲荷神社」へアクセス!!!

鎌倉駅前

それでは「宇都宮稲荷神社」へアクセスして行きましょう。

あ、ここは「JR鎌倉駅」東口でございます。

この画像の正面方向へ真っ直ぐです。

DSC_0067

真っ直ぐ行きますと、「鶴岡八幡宮」の二の鳥居が見えてまいります。

ここのすぐ目の前にファミリーマートがあります。

ファミリーマート 二の鳥居店

ここです。

「ファミリーマート二の鳥居店」です!!!

二の鳥居周辺

「宇都宮稲荷神社」へのアクセスは、白い車が見える右側の道路を奥へ進みます。

一つ目の路地を左に曲がります。

宇都宮辻子稲荷神社への道

するとこんな感じの路地に入っていきます。

地元の人しか通らなそう・・・この道を行けば「宇都宮稲荷神社」へアクセスできます。

宇都宮辻子稲荷神社への道 その2

静かな住宅街を進みます。

意外と人が歩いていました。

猛スピードで郵便局のバイクが走ってました・・・危ない(笑)

ひたすら道なりに行けば「宇都宮辻子稲荷神社(うつのみやずしいなりじんじゃ)」へアクセス完了です。

「宇津宮稲荷神社」の歴史と第3代執権北条泰時の鎌倉幕府跡


宇都宮辻子稲荷神社 外観

鎌倉「宇都宮稲荷神社」について

宇都宮辻子(うつのみやずし)というのは、鎌倉にあった小さな道のことです。

小さな道のことを辻子と呼んでいたそうです。

鎌倉時代、宇都宮辻子は「鶴岡八幡宮」から由比ヶ浜(湘南海岸)に向かって通っていた若宮大路(わかみやおおじ)の二の鳥居すぐにあったにあった辻子で、若宮大路とその東にある小町大路(こまちおおじ、現在の小町通り)の間を東西に結んでいたました。

鎌倉幕府の有力御家人だった宇都宮朝綱(うつのみやともつな)の居館がこの近くにあったことから「宇都宮辻子」とよばれていました。

鎌倉幕府は当時の執権「北条泰時」によって、源頼朝が政治を行っていた大倉の地から宇都宮辻子に移されました。

そして、「宇都宮辻子幕府」と呼ばれていたそうです。

現在その跡地に立つのが「宇都宮稲荷神社」です。

宇都宮辻子稲荷神社の鳥居

宇都宮辻子幕府について

1180年ごろ関東を平定した源頼朝は鎌倉にある「大倉」に政庁を構えました。

1192年に頼朝は征夷大将軍となり、それから30年間ほどの間は「大倉」に鎌倉幕府政庁が置かれていました。

1225年に第3代執権となった「北条泰時」は源氏の血筋が絶えたことから合議制を中心とした執権政治の体制をつくっていきます。

そして「大倉」にあった幕府を「鶴岡八幡宮」の南にあった北条得宗家の近隣地に移設していきます。

その場所が「宇都宮辻子」に接していたため、「宇都宮辻子幕府」と呼ばれるようになります。
源頼朝が亡くってから、当時は源氏とその周辺御家人で政争が起きていました。

当時の鎌倉幕府は、3代将軍の源実朝が暗殺されたため、源氏の流れを汲む「藤原頼経」を将軍に迎え入れました。

「藤原頼経」関連スポット→「明王院」鎌倉幕府4代目将軍にゆかりの深いお寺!!!

当時頼経はまだ2歳と幼く、政務は取れないことから将軍は不在状態でした。

そこに朝廷が鎌倉幕府と争った承久の乱が起き、その最中幕府の実質的最高権力者であった2代執権「北条義時」が亡くなります。

京都の重職であった「六波羅探題」となっていた「北条泰時」が第3代執権となり混乱を収めるため合議制の制度をつくりました。

その翌年の1225年幕府の中核となっていた北条政子(ほうじょうまさこ、頼朝の妻)や大江広元(おおえひろもと)が続けて亡くなります。

鎌倉幕府にとってマイナスな出来事が続いた空気を一掃するため、宇都宮辻子への幕府政庁移転が行われたようです。

意外と知られていないであろう!?鎌倉幕府第4代将軍となる「藤原頼経」は宇都宮辻子幕府で元服を迎え、1226年に第4代将軍に就任しました。

宇都宮辻子には11年間幕府の政庁が置かれており、第3代執権であった「北条泰時」は「御成敗式目」や鎌倉の都市開発を進めました。

その後「宇都宮辻子幕府」は「若宮大路幕府」へと引き継がていったそうです。

次に幕府が移転した「若宮大路幕府」はこの「宇都宮辻子幕府」を増改築したもので、「若宮大路(鶴岡八幡宮の参道)」に面することになったため名称を変えたとされています。

宇都宮辻子幕府後の石碑

「宇都宮稲荷神社」の敷地には解説の石板が置かれていました。

宇都宮辻子稲荷神社境内

「宇都宮稲荷神社」に、かつて立っていたと思われる説明版・・・これがあるだけでちょっと荒れた感じするなぁ・・・

宇都宮辻子稲荷神社

鎌倉幕府の跡地にしては大分こじんまりしている。

盛者必衰(じょうしゃひっすい)とはこのことでしょうか・・・

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こちらが「若宮大路幕府跡」にある石碑です。

「宇都宮稲荷神社」前の路地を行くとすぐアクセスできます。

感想&まとめ、鎌倉「宇都宮稲荷神社」アクセス付きGoogleマップ

今回は鎌倉でもかなりのマニアックスポット「宇都宮稲荷神社」をへアクセスしました。

普通行かないんじゃないでしょうか?(笑)

「鶴岡八幡宮」の参道は良く通りますが、この裏路地は私も初めて通りました。

一本裏に入っただけで大分雰囲気違いますね。

地元の方らしき人しか通りません。

他にもマイナースポットを記事にしていこうと思うので、もし何かご存知でしたら教えてくださいませ!

鎌倉「宇都宮稲荷神社」基本情報

住所    〒248-0006 神奈川県鎌倉市小町2丁目15−19

拝観料   なし

拝観時間  24時間

アクセス

鎌倉駅東口から 徒歩約7~8分

↓↓↓Googleマップのその他のオプションをクリックすると、ご自身のスマフォ、PCからグーグルマップのナビが使えますよ!!!
(徒歩に設定してありますが、車や自転車で良く設定にも変更できます。)

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