「二階堂行盛(にかいどうゆきもり)」は、養和元年(1181年)に、父「二階堂行光」の子として生まれ、鎌倉幕府の政所執事を務めた人物です。
二階堂家は代々、政所執事を世襲した一族として知られています。
目次
生涯
承久元年(1219年)、父「二階堂行光」が亡くなると、幕府の政所執事は、行光の甥だった「伊賀光宗」が務めましたが、元仁元年(1224年)に起きた「伊賀氏の乱」で、光宗は流罪となってしまいます。
この後を行盛が継ぎ、政所執事として活躍します。
その後、嘉禄元年(1225年)には出家を行い、「行然」と法名を名乗りました。
しかし、出家したものの政務を引退したのではなく、この後も行盛は亡くなるまで政所執事として活躍しました。
建長(1253年)12月9日に72歳で亡くなっています。
行盛のあとも、ほとんど二階堂氏が政所執事を世襲していきました。
息子の「二階堂行泰」、行泰が没すると行泰の弟である「二階堂行綱」、「二階堂行忠」と二階堂家が政所執事を連続して継ぎ、弘安9年(1286年)に行忠からその孫の「二階堂行貞」と、代々世襲を行っていきました。
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