今回訪れたのは、鎌倉材木座にある、「五所神社(ごしょじんじゃ)」です。
元々「五所神社」周辺は、材木座村(ざいもくざむら)と乱橋村(みだればしむら)に分かれていたとされ、明治22年(1889年)に両村が合併されています。
近くにある、「水道路交差点」近くには乱橋村の名称になっている、鎌倉十橋の一つ「乱橋」の橋桁が残されています。
後に乱橋村と材木座村の鎮守となっていた「三島神社」(現在の五所神社の場所にあった)に「諏訪神社」「八雲神社」「金毘羅宮」「視女八坂社」の四社を合祀したことにより「五所神社」と名付けられました。
合祀した当初は、「諏訪神社本殿」が移築されたとされますが、大正12年9月の震災で山崩れによって埋没してしまい、現在の社殿は、昭和6年(1931年)7月に新しく建てられたのもです。
神輿庫(天王堂)
「五所神社材木座祭り」の際に使用される神輿を格納しているお堂です。
「五所神社材木座祭りとは」
鎌倉の夏を伝える風物詩となる五所神社(ごしょじんじゃ)例大祭。毎年六月の第二週の週末に開催される鎌倉材木座の夏祭りです。この例大祭は、今から百十余年ほど前に、材木座の地に鎮座していた三島神社、八雲神社、金刀比羅社、諏訪社と視女八坂社の五つの神社が合祀し誕生した五所神社に祀る祭神に感謝し、海上安全祈願と繁栄を祈願する大祭式例祭です。
祭は三日間で執り行われ、宵宮の土曜日夜には、湘南甚句で勇ましく担がれるどっこい神輿渡御が五所神社と光明寺を結ぶ道を練り歩きます。また材木座海岸入り口では、地元商店会(材木座商店会)の手により夜店が並ぶ子供フェスティバルがにぎやかに開催されます。
また例年日曜の夜に行われていた視女八坂社の神様を崇める神輿渡御は、令和元年から宵宮の土曜日夜におこなわれます。神輿に提灯を灯し、材木座の街を練り歩くこの神輿渡御は、視女八坂社の神様は女性ということもあり、本来担ぎ手は氏子女子と定められておりますが、昔から氏子男子が紅と白粉、長襦袢姿で女装をし担ぐ習わしが百年経つ今でも続いております。
本祭の日曜日朝には、五所神社本殿にて厳かに例大祭が執り行われたのち、湘南甚句で担がれる二基の神輿と白丁・烏帽子姿の氏子のみで担がれる一基の神輿が伝統の天王唄を披露しながら材木座の町内を練り歩き、九品寺、光明寺に立ち寄った後に材木座の海で禊ぎを行ないます。また神幸中に、満1歳未満のお子様を抱いてお神輿の下をくぐるとそのお子様は健やかに育つという習わしが古くからあります。
明けて火曜日、五所神社境内では、三ツ目神楽が厳かに執り行われます。三ツ目神楽では、宮司による鎌倉神楽と材木座天王唄が奉納され祭りを締めくくります。
「五所神社材木座祭り」
本殿
神輿を格納しているお堂のすぐそばに本殿があります。
三光尊石上稲荷
お祀りされている石は「石上さま」と呼ばれています。
かつて漁師の使う網を切ったり、船を沈めたり、海水浴客を溺れさせたりと災いをもたらす石であったそうです。
その後引き揚げられると、昭和9年5月21日に補陀洛寺第三十三世光照上人によって「 三光尊石上稲荷 」と名を与えられると、昭和12年4月に海上安全の守護神としてお祀りされることとなったそうです。
五所神社巡り
本殿の脇にある写真の案内にそって裏手の山をお参りすると、「五所神社」に合祀されたそれぞれの神社をお参りすることができます。
裏山をお参りする距離は短いですが、ミステリアスな雰囲気を味わう事ができスピリチュアルです。
「五所神社」近くにある史跡スポットです↓↓↓
住所 | 〒248-0013 神奈川県鎌倉市材木座2丁目9−1 |
拝観時間 | 24時間 |
拝観料 | なし |
祭神 | 大山祇命 ( おおやまつみのみこと ) 天照大御神 ( あまてらすおおみかみ ) 素盞嗚命 ( すさのおのみこと ) 健御名方命 ( たけみなかたのみこと ) 崇徳院霊 ( すとくいんのみたま ) |
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