美しい湧水と雄大な山々に囲まれたパワースポット!長野県諏訪市にある「諏訪大社 上社前宮(すわたいしゃかみしゃ まえみや)」へ行ってきました!
最近御朱印巡りなどで知られてきたそうですが、まだまだ訪れる人は少ないレアスポットです!
「諏訪大社 上社前宮(すわたいしゃかみしゃ まえみや)」の基本情報と関連情報はページ下部↓↓↓に置いて置きますね!!!
それでは早速画像と共にお楽しみくださいませ!!!
「諏訪大社上社前宮」歴史を色濃く残す雰囲気抜群の神社です!
「諏訪大社上社前宮」無料駐車場です。
駐車場の敷地にも社がありました!
「荒玉社(あらたましゃ)」です。
荒玉社
「新御魂社(あらみたましゃ)」とも書き、原始農耕の神事としての田の神を降し、稲の御霊をまつる社で上社の重要な摂社である。
古書によれば正月元日にはまず大祝以下の神官氏人が参詣し、週礫二月晦日の春祭のさいしょにあたり神使(こうのど)が出仕して「野出の神事」が行われたとあり現在も続いているが簡単な神事だけになっている。
なおこの社の造営は、古来より山浦の中村郷の役であった。
昭和四十九年5月 安国寺史友会設置の説明板より
こちらが入口です!
昔、「諏訪大社本宮」には行きましたが「前宮」は初めて来ました。
諏訪大社前宮「神殿跡」
諏訪大社上社「前宮」の鳥居です!
「前宮」が一番歴史を感じれると思います。
溝上社(みぞがみしゃ)
祭神は高志奴奈河比蕒命(こしやなかわひめのみこと)といわれ、御射山へ出発する際にまず参詣された社であった。
水眼の清流をたたえた「みそぎ池」のなかにあり、西の方に「神の足跡石」があった。
この社は武田支配時代には山浦の南大塩郷によって造営奉仕がされていた。
安国寺史友会設置の説明板より
「上社前宮」は昔に諏訪大社が栄えていた場所のようです。
建物が残っている部分とこのように少し寂し気な場所もあります。
昔はもっと周りに何かあったのでしょうか・・・今はお社だけが佇んでいます。
振り返り「諏訪大社前宮」の鳥居と雄大な八ヶ岳をパシャッと。
「前宮」周辺の道路を舗装中でした。
看板が立てかけられていて石碑が隠れてしまったいる。
着いた時にはあまり人がいなかったけれど、途中からバスツアーが到着し若干人が増えてきました。
山の上に本殿があるのですが、こちらの麓にも昔は建物があったようです。
諏訪大社上社前宮神殿跡
ここは、諏訪大社大祝(おおほつり)の始祖と伝えられる有員がはじめて大祝の職位について以来、同社大祝代々の居館であったところで、神殿は神体と同視された大祝常住の殿社の尊称である。
この神殿のあった地域を神原と言い、代々の大祝職位式および旧三月酉日の大御立神事(酉の祭)をはじめえ、社の重要な神事のほとんどが、この神原で行われた。
境内には内御玉殿(うちみたまでん)、十間廊(じっけんろう)、御室社(みむろしゃ)、若御子社(わかみこしゃ)、鶏冠社(けいかんしゃ)、政所社(まんどころしゃ)柏手社(かしわでしゃ)、溝上社(みぞかみしゃ)、子安社(こやすしゃ)等がある。
文明十五年(1483年)正月、大祝家と諏訪惣領家の内訌による争いで一時聖地が穢れたことがあったが、清地にかえし大祝家の居館として後世まで続いた。
後、この居館は他に移ったが、祭儀は引き続いて神原に於いて行われてきた。
諏訪大社上社の祭政一致時代の古体の跡を示している最も由緒ある史跡である。
長野県茅野市教育委員会設置の説明板より
古くは神殿の正門として御門戸屋があったことが「諏訪大明神翁詞」にみえ
また伝天正の古図や江戸時代の絵図には神願門とあり、現在の御水舎の湧水の位置で南に向かって開いていた。
室町時代には大祝の臣従である郡内豪族がここから以南に邸宅を構えていたのではないかと想定される。
そしてこの御門を中心に築地に沿って上下にハタ板で囲いがめぐらされ酉の祭りで御手払いの際に出門していた。
またこの御門の造営は上高井郡上庄の所役であった。
安国寺史友会設置の説明板より 上記画像↑↑↑
「諏訪大社上社前宮」の参道脇には流れる湧水があります。
水の音が心地よいです。
空の青が美しいです。
古びた建物は歴史を感じます。大切に保持しているんですね。
柔らかな日差しが暖かく感じました。
こちらの参道はすごく歩きやすく整備されていました。
小町屋の中小路
小町屋集落は諏訪大社前宮を中心として大まかに三本の道筋が通っている。
その真ん中を上っていく道を中小路と呼んで戦前までは一般の人々の諏訪大社前宮本殿への参詣道路であった。
中世の古文書史料などから想定されるところでは、水眼の清流をはさんで、前宮神殿に居館を構えた現人神の上社大祝に直属する家臣たちの屋敷地が立ち並んでいたと思われる。
また精進潔斎し、穢れをとって前宮の、神事や祭礼に奉仕する人たちの精進小屋なども設けられたところで、景観は大事に保存したい。
安国寺史友会設置の説明板より
こちらが上の説明にあった諏訪大社前宮「中小路」のようです。
昔は様々な建物が並び賑わっていたのかもしれませんね。
水の音は何度聞いても癒されます。
道端にいらした道祖神。
チャリーン。
地元の偉い人達と思われます。
先生!
上の銅像さんたちはいつもこんな良い景色を眺めているんですね!
裏山。
でもこの日は強風で寒かった!!!
諏訪大社上社前宮「水眼の清流」
こちらは「諏訪大社上社前宮」を流れる「水眼の清流(すいがのせいりゅう)」と呼ばれている湧水です。
名水「水眼(すいが)」の清流
古くから「すいが」と呼ばれ、山中より湧出する清流は、諏訪大社前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔からご神水として大切にされた。
中世においては、この川のほとりに精進屋を設けて心身を清め、前宮の重要神事をつとめるのに用いたと記録されている。
この水眼の源流は、これより約一キロメートルほど登った山中にあるが、昭和5年に著名な地理学者「三沢勝衛先生」によって、はじめて科学的調査がされ、その優れた水質は「諏訪史」第二巻に取り上げられている。
安国寺史友会設置の説明版より
水が本当に澄んでいて美しかった。
手を浸けると冷たくて気持ちよかったです。
地元の方でこの水を飲まれる方も結構いるのだとか。
水の音は場所によって違う響きがして楽しいです。
こちらは諏訪大社上社前宮の「御柱祭(おんばしらさい)」で使用された大木です。
デッカイ。
あちこちに水たまりがあります。
「当河川にて自動車、動物等を洗うことを厳禁する。」
ここで色々洗ってしまうトンデモ人間がいるのでしょうか・・・
この清流を汚して何も思わない感覚というのは、日常でもいいことがなさそうですね。
太陽が照らしてるくらいじゃないと、強風で凍えそうな感じでした!
「諏訪大社上社前宮」は、風は強いが景色はサイコー!
水もサイコー!!!
小川とかをみると魚いないかな?って水面をじっと見つめてしまうんです。
そういうのありませんか???
御柱と太陽のコラボ、柱がなんかカッコよく見えました!
諏訪大社前宮「本殿」
そしてこちらが諏訪大社前宮の「本殿」です。
参道や階段、「本殿」の非対称さが変に整っていなくて面白い。
諏訪大社上社前宮本殿
前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。
前宮の祭神は、「建御名方命(たけみなかたのみこと)」と、その妃「八坂刀売命(やさかとめのみこと)と古くから信じられ、ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。
古来より立ち入ることが固く禁じられ犯すときは神罰があると言われた。
四方には千数百の歴史を有する御柱が七年毎に建てられ、現在の拝殿は昭和7年に伊勢神宮から下賜された材で造営されたものである。
安国寺史友会設置の説明板より
参拝したとき、ちょうど日差しが差してきて本殿の周りが神々しくなっていました。
四方に設置されている「御柱」お祭りでは人の手でこの柱を引っ張り建てるそうです。
けが人や時には亡くなってしまう方もいるほど激しいお祭りだそうです。
「諏訪大社上社前宮」一の御柱で、長さ五丈五尺(約17メートル)直径一、二メートルの樫の木であるそうです。
前宮本殿前にある唯一の喫茶店「茶処山里」です。
親切なおばちゃんが一人でのんびり切り盛りしていました。
前宮は強風で寒いのでありがたかったです。
店内から前宮本殿が見えるのでのんびり眺めて休憩しました。
おばちゃんからも現地の話など聞かせてもらいました。
何故か「諏訪へ来たら何を食べるの???」と聞かれました。
現地の人的には特に何もないように感じるのだそう。
こっちがおススメを聞きたいところですが・・・(笑)
油断していると大木の間にお社が!!!
御室社
中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室が造られ、現人神の大祝や神長官以下の神官が参篭し、蛇形の御体と称する大小のミシヤグジ神とともに「穴巣始(あなすはじめ)」といって、冬ごもりをした遺跡地である。
旧暦十二月二十二日に「御室入り」をして翌年三月中旬寅日に御室が撤去されるまで、土室の中で神秘な祭祀が続行されたという。
諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていたが、中世以降は惜しくも廃絶した。
安国寺史友会設置の説明板より
このあたりの地下室にこもって冬ごもりをしたのでしょうか・・・
やれと言われても無理ですね。
凍え死んでしまいそう。
なにやらお墓のような供養塔のような・・・
「諏訪照雲頼重(すわしょうううん よりしげ)の供養塔だそうです。」
諏訪照雲頼重の供養塔
この地は、もと「大祝様御屋敷地」といわれた神殿に近く、明治初年に五輪塔および多宝塔の石造物残欠が多数出土し、付近住民によって私有地の一角に保存されてきた。
当時は五輪塔火部に「照雲」との銘が判読できたという伝承があり、中世前期の形式をそなえた貴重な歴史的遺物である。
照雲とは上社大祝をつとめた三河入道頼重のことで「太平記」にも名をとどめ、建武二年(1335年)7月14日に北条氏再興をはかってこの地に決起し、北条時行(高時の遺児、亀寿丸)うぃ擁立して「中先代の乱」を戦い鎌倉を占拠した信濃勢の総大将であった。
しかし、足利軍の大軍に敗退し、8月19日、ついに勝長寿院大御堂にて壮絶な自害をし果てたと記録されている。
近年これら石造物も風化損傷がひどくなり地元保存会が補修整備を行ったものである。
安国寺史友会設置の説明板より
他3か所ある諏訪大社の中でも歴史を感じれるのはこの「前宮」が一番だと思います。
あんまり過度の観光地化をしないでもらえると、また何かの折に寄りたくなります。
諏訪は何故か今までにも何度か来ていて好きです。
諏訪大社など大きい神社には。たくさんの社やお宮がありますね。
内御玉殿(うちみたまでん)
諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿である。
「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」といわれたように、諸神事にあたってこの内御玉殿の扉をひらかせ弥栄の鈴をもち眞澄の鏡をかけ馬具をたづさえて現れる大祝はまさに神格をそなえた現身の諏訪明神そのものであった。
現在の社殿は昭和7年改築されたものであるが以前の社殿は大正13年に造営された上社関係では最古の建造物であった。
安国寺史友会設置の説明板より
前宮「十間廊」御頭祭の行われる場所
こちらは「十間廊(じっけんろう)」
歴史を感じる古くからの建物があって雰囲気あります。
十間廊(じっけんろう)
古くは「神原廊(ごうはらろう)」と呼ばれ、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で、すべての貢物はこの廊上で大祝の実見に供された。
毎年4月15日の「酉の祭」には鹿の頭七十五が供えられたが、これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が入っていることから諏訪の七不思議のひとつに数えられた。
上段に大祝の座、次に過労、奉行、五官の座があり、下座に御頭郷役人(おとうごうやくにん)などの座も定められ、左手の「高神子屋(たかみこや)」で演ぜられる舞を見ながら宴をはった。
安国寺史友会設置の説明板より
「諏訪大社上社前宮」は緩やかな坂の上に色んな建物が並んでいます。
角度でかなり違って見えます。
木々と太陽が織りなす光と影が美しかったです。
狛犬の顔が鋭かったです。
神社によって狛犬もかなり様子が違って面白いですね。
お手水の広場。
最後に紹介になってしまいましたが、「諏訪大社上社前宮」に到着したときには舗装工事をしていて入れませんでした。
お手水の龍神。
眼がすごくリアルです。
「敬神崇祖(けいしんそうそ)」と読むのかな?
神を尊敬し、祖先を崇めましょう。
良い天気で最高でした。
強風はほんと寒かったけど。
諏訪の神様、ありがとうございました~
また来ます!!!
その他の諏訪大社はこちら↓↓↓
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諏訪大社は諏訪湖周辺に四か所あるのですが、中でもこの「前宮」は初めて訪れました。
他の諏訪大社にくらべて賑やかさはないのですが、とても歴史を感じられて心が落ち着く場所でした。
そして、水眼の清流とよばれる湧水はとても綺麗で癒されます。
また絶対訪れたいですね!
「諏訪大社上社前宮」基本情報
住所 〒391-0013 長野県茅野市宮川2030
電話 0266-72-1606
拝観時間 なし
拝観料 なし
駐車場有
諏訪大社ホームページ suwataisha.or.jp
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