こんにちは!
毎回淡々と更新しているこのブログなのですが・・・三か月が経過しました。
いつも見てくれてありがとうございます!
今回は神奈川県鎌倉市にある一遍上人の時宗のお寺「光触寺(こうそくじ)」へアクセスして参りました!
「光触寺」にアクセスするのは大変だったんですよ・・・後ほど画像とともにご覧ください
基本情報やその他鎌倉の関連スポットはページ下部↓↓↓をご覧くださいね!
「光則寺」へのアクセス案内付きグーグルマップも設置してありますのでご利用くださいませ!
それでは写真とともに紹介していきます!!!
鎌倉「光則寺」へのアクセス、一遍上人と踊念仏の時宗

それでは鎌倉の隅っこ「光則寺(こうそくじ)」へのアクセスを見て行きましょう。
「JR鎌倉駅」へ到着したら東口へ出ます。
この写真の正面へ歩いていきます。
度々使われるこの辺りの画像・・・
バスで「光触寺」へアクセスする場合は、「JR鎌倉駅」東口から5番乗り場「鎌23太刀洗、鎌24金沢八景」行きに乗れば大丈夫です。
その後「十二所駅」下車となります。

そうすると「鶴岡八幡宮」の参道へ出ることができます。
ここを観光客の方に交じってまっすぐ行きます。
鎌倉でよく見かける「人力車」の人に「光触寺」までお願いしたら行ってくれるんだろうか・・・

しばらく行くと「鶴岡八幡宮」の三の鳥居に着くので、ここを右に曲がって下さい。
バス通りになっているのですが、右に曲がったらずっと道なりです。

道なりに只管行くと「岐れ道(わかれみち)」という交差点へ出ます。
ここを画像の右側の道へ行きます。
歩いている感覚としてはずっと道なりです。
「鎌倉宮(かまくらぐう)」や「荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)」へ行かれる方はここを左の道へ曲がります。
良かったら見てくださいませ↓↓↓
「荏柄天神社」学業の神様である「あの方」をお祭りしています!
その他、美しい鎌倉のお寺などのまとめリンクはこちら!ポチっとな!!!

「光触寺」へのアクセスは、こんな感じの県道204号を歩いていきます。
今回行っていませんが、この辺りを右折していくと「釈迦堂切通し」へ行くことができます。
今はただ真っ直ぐ行きます。

車がびゅんびゅん行き交います。
歩道は狭めなのですれ違う人と道を譲りあいます。

更に行くと左手にお寺が・・・
あ、前に紹介した「杉本寺(すぎもとてら)」です→「杉本寺」十一面観音と高台の景色は必見です!!!
さらに先へ進みます。

鎌倉には小さな橋が多いですね。
昔、鎌倉で使われていた、水質の良かったらしい井戸を「鎌倉十井(かまくらじっせい)」と呼ぶことがあります。
実は「鎌倉十橋(かまくらじっきょう)」と呼ばれる橋も存在しているそうです。

「滑川(なめりかわ)」だそうです。
ぺろぺろ。

水面をパシャッ!風と流れがあるので上手く撮れない・・・
住宅街にある割には結構キレイな川です。

ほらほら!
コイがいますよ!!!

ちょっと!
カモがいますよ!!!
夫婦でしょうか・・・二羽だけ。
途中カモなどを見ながらずっとこのままストレートにアクセスして行きます。
まだ着かないの?と不安になっても淡々と真っ直ぐ・・・必ずたどり着くはず!

「明石橋(あかしばし)」交差点ここまで来たら「光触寺」へのアクセスはもうちょっと!!!
もうすぐ近くです。

こんなだだっ広い交差点。
これを画像の左方向に行きます。
道なりな感じですね。
画像奥のミニストップ側に渡っておくと楽です。
あ、他にも歩いてきてる方がいます・・・安心しますね~
ハイキングにはちょうど良い距離といった感じですね。

困ったことにこの辺りに歩いてくると「お手洗い」がないんですよね・・・
コンビニも通りにないのでこのミニストップが最後の砦です。
車もたくさん止まっていた。

花とか「三ヶ日ミカン」とか売ってます・・・
田舎な感じのコンビニ・・・便利ですね!

さてミニストップでひと休憩して先程の「明石橋」交差点から「光触寺」までのアクセスは二~三分というところです。
「あらかわ酒店」さんが目印ですね。
県道204号を歩いて来てここで初めて側道へ入ります。
つまり「鶴岡八幡宮」の三の鳥居を右折して「光触寺」へのアクセスは県道204号をずっと道なりです。
バスが走っていない、バス停が全然なければ間違っているということですね。

「あらかわ酒店」前には案内板もあります。

橋を渡ってすぐであります。

「光触寺橋(こうそくじばし)」
そんまんま。

このあたりも川が結構キレイ。

ようやく「光触寺」にアクセス完了!!!
お疲れ様でした!

中々渋い山門が疲れを癒してくれます。

「時宗(じしゅう)」と読みます。

鎌倉三十三観音巡りの寺社の一つでもあります。
「光触寺」は「第七番札所」でございます。

間違いなく「光触寺」です。

重要文化財となっているようです。
「頬焼阿弥陀(ぼんぎょうあみだ)」でしょうか・・・

遠いのに全く見るところがなかったらどうしようかと思ってが・・・良い感じです。

山号は「岩蔵山(がんぞうざん)」

「光触寺」本堂です!!!

御朱印をいただけます。
休憩時間がある(笑)

え?予約しておけばはいれたの???
すれば良かったな。

鎌倉の寺社にほぼ設置されている案内板。
時宗の開祖、一遍上人が開基(寺の創立者)と伝えます。
本尊の木造阿弥陀如来および両脇侍立像(頬焼阿弥陀、ほおやけのあみだ)には盗みの疑いをかけられた法師の閥の身代わりになり、頬に焼印が残ったといわれる伝説があります。
本堂前の「塩嘗地蔵(しおなめじぞう)」は、六浦(現、横浜金沢区)の塩売りが朝比奈峠を越えて鎌倉に来るたびにお地蔵さまに塩をお供えしたといい、いつも帰りには無くなっていたところからその名の由来があります。
昔は金沢方面から塩が入っていたことが分かります。
鎌倉市設置の説明版より(上記画像↑↑↑)

「常夜灯」灯はともっていません・・・
その時背後に気配が!!!

エクスタシーに浸っているお坊さんの姿が!!!
「光触寺」の歴史、「一遍上人」と踊念仏

光触寺の歴史
光触寺は1215年、町局(まちのつぼね)という人が、仏師の運慶(うんけい)に阿弥陀三尊像を作ってもらい、お祀りしたのが始まりだと言います。
この阿弥陀三尊像は、「頬焼阿弥陀(はんぎょうあみだ、重要文化財)」と呼ばれている。
この呼び名が付いた背景には、万才法師というお坊さんが盗みを働いた罰として顔に焼印を押さました。
しかし痕は尽きません。
そして阿弥陀如来像の顔を見ると、万才法師に押したはずの焼痕が残ってそうです。
この伝説から頬焼阿弥陀と呼ばれているそうです。
その後、町局は「光触寺」の前身となる「岩殿寺(がんでんじ)」いう真言宗のお寺を建てます。
1278年ごろ岩殿寺は今の場所へ移り、その後3代住持が一遍上人を迎えて「光触寺」へ名前をあらためたそうです。
お寺は1700年ごろに起きた大地震により崩れており、22代住職により復活しました。
1860年ごろの大地震の倒壊では、33代住職のにより再建されています。
お寺が栄えていたころには、様々な塔頭(たっちゅう、お寺に付属する建物のこと)があったそうですが、災害によりなくなってしまったそうです。

一遍上人と踊り念仏
一遍上人は1239年に現在の愛媛県に生まれました。
10歳のとき母親がなくなります。そして、父の勧めで天台宗として出家します。
1251年には13歳で九州に移り、法然(ほうねん)の孫弟子である聖達(せいだつ)の下で10年以上にわたり浄土宗を学びました。
1263年に父親が亡くなると還俗(お坊さんから一般人に戻る事)して故郷に帰ります。
一族の争いなどが原因で1271年には32歳で再び出家しています。
その後、熊野の地で(現在の和歌山県)修行し時宗を開くことを決意します。
1277年ころには段々と信者が増えて行きます。
1279年ごろ踊念仏を始める
1279年ころ信濃国(現在の長野県)を訪れた時に踊り念仏を始めます。
踊り念仏は尊敬していた市聖空也(しせいくうや)を真似してはじめたそうです。
「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」という古書には「踊り念仏」を描いたシーンがあるそうです。
神奈川県・片瀬の浜にある地蔵堂での踊り念仏です
その時の様子は、屋根付きの舞台をつくり、お坊さんや信者たちが舞台の上で念仏を唱え踊り狂っているモノです。
1282年は鎌倉入りを図るも拒絶されています。
1284年には京都へ上洛し、四条京極など京都の各地で踊り念仏を行っています。
そして1289年に51歳で摂津(現在の大阪兵庫あたり)の真光寺で没します。
15年にわたる諸国巡礼でした。
[ad#tabi-co1]

一遍上人の銅像は、こちらの方が寄進されたようです。

もともと県道204号沿いにあったらしい「塩舐め地蔵」。
その昔、塩売りの商人がを商売繁盛を祈願し、塩を供えていたそうな。
帰りに立ち寄ってみるとなんと!供えた塩が無くなっていました。
これは地蔵菩薩が塩を舐めたのだろうということになり、地蔵菩薩像は塩嘗地蔵(しおなめじぞう)と呼ばれるようになったのだとか・・・

石碑まで建っている。

アップでどうぞ。

少し日が暮れ始め、光が差し込んでました!

山門を振り返ったところ。

日が暮れてきたので、そろそろお暇します。
また歩いて帰ります・・・行きはヨイヨイですね。

おや?奥に鎌倉でよく見かける岩肌をくりぬいた「やぐら」らしきものがあります。
この時は時間の都合で寄らなかった・・・また行ってみよう。

お寺の横にはお手洗いが!
拝観料なしで入れるのは助かります!
ありがたや!!!

さきほどの「あらかわ酒店」へ戻りもう少し県道204号を奥へ進むと

左手に「大江稲荷(おおえいなり)」があります。
悲しいことにほかの寺社と違って検索にあまり出てきません・・・

ここは鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の右腕か左腕だった大江広元(おおえひろもと)を祀った稲荷です。

ちょっと階段を上ると社があります。

「光触寺」まで歩いて来て、気が抜けた後には少しだけ大変。

ここは確かに「大江稲荷」です。

赤が鮮やかですね~キレイだ!
大江広元はこの「光触寺」近くの地に屋敷を構えていたといわれて言います。
鎌倉幕府のナンバー2でした。

さて帰りますかぁ・・・あ、飛行機雲!ラッキーだ!!!
歩いて帰るの疲れたけど、その晩は熟睡爆睡でした。
感想&まとめと「光触寺」基本情報と周辺鎌倉スポットです。
今回は鎌倉でもかなり隅っこにある「光触寺」へアクセスいたしました。
時間がある方、足腰に自信ある方は歩きで鎌倉散歩してみてはいかがでしょうか?
夜はぐっすり眠れますよ。
「光触寺」へアクセスするまで鎌倉の田舎風景を見つつ散歩を楽しめます。
お寺は山門が渋いのと庭園などが奥にあるようなのです。
本堂は今回見れませんでしたが、予約すれば見せてもらえるようです。
絶対行ってみて欲しいとは遠いし見どころたくさんというわけではありません。
なので歩くの好きだったりする方は、良かったら行ってみてくださいね。
その他、美しい鎌倉のお寺などのまとめリンクはこちら!ポチっとな!!!
「光触寺」周辺の鎌倉スポットならこちらです↓↓↓
「杉本寺」十一面観音と苔の階段、高台からの眺めは必見です!!!
「光触寺」基本情報
住所 神奈川県鎌倉市十二所793
電話 0467-22-6864
拝観時間 9時~16時
拝観料 なし
駐車場 あり
交通アクセス 「JR鎌倉駅」から京急バス5番乗り場「鎌23太刀洗、鎌24番金沢八景」行きで「十二所駅」下車
↓↓↓Googleマップのその他のオプションをクリックすると、ご自身のスマフォ、PCからグーグルマップのナビが使えますよ!!!
(徒歩に設定してありますが、車や自転車で良く設定にも変更できます。)