今回訪問したのは神奈川県鎌倉市にある「鎌倉宮(かまくらぐう)」です。
鎌倉駅から少し歩いたところにあるんですが、ここは個人的に絶景ポイントだと思っています。
その理由は写真を撮ってきたので画像で確かめてもらえたらうれしいです!!!
それでは画像と共にお楽しみくださいませ!!!
「鎌倉宮(大塔宮)」バスと徒歩でのアクセス
JR鎌倉駅へ降臨しました。
今回歩いて行ったのですが、「鎌倉宮」へは京浜急行バスでもアクセスできます。
「JP鎌倉駅」 東口から「鎌20鎌倉宮(大塔宮)行き」へ乗ってください!
これに乗ったら「鎌倉宮(大塔宮)」へのアクセスは終点まで乗っていけば大丈夫です!
帰りもそのまま逆に乗ってくればOKです。
途中で下車すれば学業のご利益がある「荏原天神社」へもアクセスできます!
左手に小町通りがあるのでこちらからアクセスしました。
商店街にお土産屋がたくさんあっていつも混雑しています。
夕方17時ころにはほとんどのお店が店じまいになるので昼間に行くのがおススメでございます。
昼間は大盛況。
適当に見飽きたら進行方向を右へ曲がりましょう。
小町通り内でしたらどこでも大丈夫です。
下の画像、鶴岡八幡宮の参道へ出ることができます。
小町通りを曲がればこちらの参道に出ます。
参道へ出たら鶴岡八幡宮へ向かいます→「鶴岡八幡宮」の昼の景色とライトアップ!
真っ直ぐ歩くとここ「鶴岡八幡宮」の三の鳥居に到着します。
この「三の鳥居」を右ですね。他の記事でもこの写真使ったな・・・
先ほどの鳥居を右に曲がりまっすぐ行くと「宝戒寺(ほうかいじ)」というお寺に出ます。
大きくカーブする道にあるのでわかりやすいと思います。
歩道が狭いのでお気をつけて。
先ほどの「宝戒寺」を道なりに左手に進みます。
学習塾の臨海セミナーが左手に見えます。
さらに道なりに進むと「岐れ路(わかれみち)」というそのんままな交差点へ到着します。
この交差点を左に進みます。ちょうど赤いコカ・コーラの自販機があるほうです。
昔はこのあたりで別れを惜しんだのでしょうか・・・
いきなり画像は夕方へ・・・ここはバスも通ります。
冒頭で紹介した「鎌20鎌倉宮(大塔宮)」行きですね。
鎌倉宮すぐわきに停留場があります。
バスを降りて迷う人は、神の領域に近い方だと思います。
そんなバス停のすぐそばにある正面の鳥居です。
「鎌倉宮」の石碑。
バス停近くには鎌倉市内のマップがあります。
バリアフリーな車いす等のスロープがあります。
「結都実参道(むつみさんどう)」だそうです。
バリアフリーのために奉納してくれたようです。
藤木さん素晴らしいですね。
キレイな花が咲いている・・・桜の一種かな???
ウメではないですよね・・・花は疎くてわからない!誰か教えて!!!
可憐だ。
ここは「鎌倉宮」に間違いなさそうです。
八月二十日にお祭りがあるみたいですね。
御祭神は「大塔宮護良親王(だいとうみや、もりよししんのう / もりながしんのう)」です。
夕日に照らされて影が伸びます。
びよーん。
広々としてシンプルな感じがいいですね。
鎌倉はそういう空気感の場所が多い気がします。
武家政権だけに武骨でシンプルなんでしょうか。
京都とかとはまた違って良いですね。
夕方だからか時期外れだからか、休憩処は閉まっていました。
清潔感がある感じです。
入ってないから本当のところはわからない。
本殿前の鳥居。
本当にシンプルですなぁ。
後醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とする神社です。護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の動きに呼応して幕府軍と戦うなど、貢献しました。
幕府が滅亡し天皇親政が復活(建武の新政)すると征夷大将軍に任じられましたが、その後足利尊氏と対立して捕らえられ、二十八歳で非業の最後を遂げました。
社殿の後ろに残る土牢が親王最後の地と伝えられています。十月には境内で薪能が催されます。
鎌倉宮境内の説明版より
お手水の広場。
お手水。
ここの水をためる石桶は石を加工せずそのまま中央をくりぬいてある感じですね。
変に整えていない感じが良いです。
素のまま・・・鎌倉っぽい。
しかし水はいつ溜めたのだろうか・・・口にするのは躊躇してしまう・・・
だがしかし!
訪問時は気が付かず普通にお清めしてしまった!ぐぼばぁっっ!!!
お清めしてから暫しの間木々から見える夕日を見つめて黄昏る・・・
本殿手前には「厄割り石」が、どこかで見たような・・・
お皿を石に投げつけるやつ。
思い出したぞ!ここです→「葛原岡神社」恋愛運と龍神、厄割り石!
説明の「息を大きく吹きかける」に気が付かないまま「厄割り石」にお皿を投げつけた人は今までどのくらいいるのでしょうか・・・
私もブログ書いていて気が付きました・・・
こう書かれると、年末にやりたいですよね・・・
まだ一月なのにいっぱい厄が付いていたら大変。
すぐそばには社務所があります。
そこまで段差はなく、足元注意の看板がむしろ危ないという・・・
ひねくれていてゴメンあそばせ。
夕日がいい感じに照らします。
いやしかし、転んだお年寄りとかがいたのかもしれないな・・・
ゴメンあそばせ。
社務所正面。
こう言うところで働いてみたいですね。
のんびりしてそう・・・そうでもないのかも???
ゴメンあそばせ。
社務所では黒服の方々がなにか打ち合わせをしていました・・・邪魔しちゃったかしら。
ゴメン・・・しつこいですよね・・・
あそばせ。
こちらが本殿です。
静かでシンプルで何とも言えない・・・空気の冷たさと静寂を感じます。
冬の空気が肌をなでる感じ。
これが「獅子頭(ししがしら)」です。
食材の「ししとう」も同じ字なんですね~
「獅子頭」の横顔。こういうお面をかぶって踊り狂いたい。
「悪い子はいねぇが!!!」・・・これはナマハゲですね。
奉納された酒樽。
なんかこういう見えないものに対する畏敬の念っていうのは大事ですよね。
他人には強要せず、自分の心の中だけで感謝し敬いましょう。
天皇皇后両陛下からだったようです。
あなおそろしや。
本殿舞台横から、何か奉納演武とかやるんでしょうか。
見てみたいな。
「鎌倉宮(大塔宮)」の歴史、護良親王と村上義光
「鎌倉宮(大塔宮)」は後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の息子で、この地で亡くなった護良親王(もりながしんのう)が神様として祀られています。
父の後醍醐天皇と鎌倉幕府を倒し建武中興(けんむのちゅうこう、天皇家への権力奪取)を実現しました。
しかし、室町幕府の初代将軍となる足利尊氏(あしかがたかうじ)と険悪な関係となりほばくされてしまいます。
東光寺に監禁され、1335年混乱の最中で足利尊氏の弟、直義(なおよし)の命令により殺されてしまいました。
1869年2月、明治天皇(めいじてんのう)は朝廷に権力を復活させた護良親王を祀る神社の造営を命じ「鎌倉宮」が創建されました。
わざわざするくらいだから、皇族には何百年も怨念がたまっていたのでしょうか・・・
どちらが良い悪いではないですが権力争いには終わりがないですね・・・諸行無常。
この場所は護良親王が幽閉された東光寺跡だそうです。
本殿の後ろには土を穿った「土牢」があります。
親王が9か月ほど閉じ込められていたされていた場所であるという伝承があります。
本殿となりには、「村上義光(むらかみよしあき)」さんの像があります。
「身代わりさま」と呼ばれる「村上義光」さん。
家族や自身の調子悪いところをなでると良くなるです。
なでなで。さわさわ。
村上義光公は、護良親王の忠臣にして、元弘三年(1333年)正月吉野城落城の折、最早これまでと覚悟を決めた護良親王は酒宴をされました。
そこへ村上義光公が鎧に十六本もの矢を突き立てた凄まじい姿で駆けつけ、親王の錦の御鎧直垂を御脱ぎいただき自分が着用して「われこそは、大塔宮護良親王ぞ、汝ら腹を切る時の手本とせよ」と告げて腹を一文字に掻き切り、壮絶な最期をとげ、その間に親王は、南に向かって落ちのびました。
このように身代わりとなられた村上義光公を境内の樹齢百三年の欅の対k僕にて彫り上げ「撫で身代わり」として入魂いたしました。
鎌倉宮設置の説明板より(上記画像↑↑↑)
村上義光は護良親王の中心として活躍したそうです。
護良親王軍が奈良県の吉野山付近で鎌倉幕府と戦っていたころ、本陣のある吉野山の蔵王堂まで兵が迫った来ました。
護良親王は自身の最後を覚悟したそうですが、親王を村上義光は説得し落ち延びさせました。
幕府軍を欺くため、義光自身が親王姿を真似て身代わりとなり「我こそは護良親王である。自害する有様を見て、汝等が武運忽に尽て、腹をきらんずる時の手本にせよ」と叫び、切腹して自刃したそうです。
自らの内臓を敵にぶちまけ投げつけ、太刀を口にくわえたまま倒れ絶命したという伝説が残っています。
義光には息子の村上義隆(よしたか)がいました。
共に死のうとするのを義光は思いとどまらせ親王を守るよう言い残しました。
義隆は親王を落ち延びさせるため戦い、同じく奈良県の吉野付近で切腹し自害したそうです。
親子のお墓は奈良県の吉野山にあるそうです。
「鎌倉宮」は隠れ夕陽スポット!!!周辺の食事処案内
さて変えるかと振り返ると・・・ん?夕陽がいい感じに見れそうじゃないかと。
美しい・・・しばらくボーっとしてました。
美しいオレンジ。
鎌倉は海でも神社でも夕陽がキレイ。
帰りのバス通り、夕陽に向かって帰路につきます。
夕陽が沈みかけると、空の青が少し復活します。
キレイだなぁ・・・
「鎌倉宮」近くには何軒か食事処が並んでいます。
正面入り口の近くにほとんどあるので迷わないと思います。
「手打ちそば宮前」さん。
どこも夕方には閉まっていた・・・鎌倉はどこも店仕舞い早いのね。
「わらしべちょー茶」さん。
こんなかんじの外観です。
茶店「かえで」さん。
「鎌倉宮」をからの帰りは行ってみようかと思ったらギリギリでお店は片づけを始めてしまっていました。
残念・・・17時くらいにはみんな閉めちゃうんですな。
こんな感じ。
一番外観で気になったのがここ。
懐石料理の「阿寓(あぐう)」さん。
日本料理でしたか。
良い感じ。
外に置かれていた「お品書き」をパシャリ。
見えますかね???
そんなこんなで鎌倉駅近くに来た時には結構暗くなってきました。
感想&まとめ「鎌倉宮(大塔宮)」へのアクセスマップと基本情報
「鎌倉宮」なかなか良い場所でございました。
特に正面入り口の鳥居から振り返ったときに見える夕陽はとても美しいです。
写真では伝えきれないので直接見て欲しいですね~
神社内はシンプルで広々していて空気が良いです。
毎回書いていますが、鎌倉は空気の良い場所が多いですね。
パワースポットと言われるのも納得します。
ブログに色々鎌倉レポートを書いているので、お気に入りのスポットを見つけてみてくださいませ。
その他周辺の鎌倉スポット↓↓↓です。どうぞ見てみてくださいね!
「鎌倉宮(大塔宮)」基本情報
住所 〒248-0002 鎌倉市二階堂154
TEL 0467-22-0318
拝観時間 9:30〜16:30
拝観料 無料 (土牢・宝物館・神苑は大人300円、小学生以下150円)
駐車場 あり(20台 1時間430円)
↓↓↓Googleマップのその他のオプションをクリックすると、ご自身のスマフォ、PCからグーグルマップのナビが使えますよ!!!
(徒歩に設定してありますが、車や自転車で良く設定にも変更できます。)
「鎌倉宮(大塔宮)」再訪!宝物殿と土牢(in2017)
前回夕方訪れ「宝物殿」と「土牢」を見学できなかったので再訪しました!!!
前回は夕陽が綺麗だったけど、昼間の太陽も美しいですね。
灯籠も太陽で明るく見えます。空が明るいです。
前回もありましたが、まだまだ「梅」美しく咲いていました。
意味ありげに地面に並べられている「ほうき」と「木槌」。
本殿横にある受付で拝観料300円を払って潜入開始です!
本殿の横を真っ直ぐ行きます。
誰もいない優越感と少し寂しさを感じますね~
お!「土牢」かな?
急にシンとした感じになりました。
「大塔宮御笠所(だいとうみやみかさどころ?)」
護良親王が笠を掛けた場所なのでしょうか?
天皇様が着た場所は、とりあえず伝説が残るという影響力がすごいですね。
お、なんだかあまり見たことのない構造の鳥居があります。
護良親王御土牢 二段岩窟
建武元年十一月より
翌二年七月二十三日まで約九ヶ月間の間ここに御幽居し給ふ。
今より六百四十三年前(昭和52年)
夢去の御年 二十八
深さ 約四メートル
廣さ 八畳(4メートル四方)
鎌倉宮設置の説明板より
こんなところに入れられたら、私は即日お亡くなりになりそうですね・・・
昼間でもあんまり光が入らず奥が見えない。
お賽銭があります・・・拝観料払ったけどどうしたものか・・・
大分暗いなぁ。
と、ぼやきながらお賽銭は見なかったことに。
その時急に光が差してきた!キラーン!!!
「お賽銭をいれなさい・・・」
空耳か!
あちこちに亡くなったことを示す石碑やら看板が・・・大丈夫か・・・
前回はこの本殿の向こう側まででしたな。
あぁ日差しが美しい。
夕方見学すると「土牢」周辺は不気味かも。
以外にも竹林があるんですね。
ちょうど時期だったのか「パキッ!バキッ!!!」という竹のはじける音がしていました。
藤棚です。5~6月あたりは綺麗だろうな。
これは・・・
「御構所(おかまへどころ)」首塚です。
大塔宮の御首を淵辺義博(ふちのべよしひろ)ここにおきまつる。
お墓はここから250メートルほど離れたところにあります。
とのこと。
地図のような・・・
何か書いてあるけれど・・・掠れて読めませんでした。
椿がキレイに咲いていましたよ。
つい首塚とかあると悲しい印象の花になってしまいますけど。
「鎌倉宮碑」です。
でっかい石碑です。
日差しと花がキレイだ。
桜の一種かな?
通常のものよりちょっと早く咲いていますね。
可憐な花だ。
ちょうどこっちに向かって開いてくれています。
美しいよ君!
お墓っぽいんだけど割と雰囲気は悪くないですね。
「多宝塔」だそうです。
「この塔は律師日賢上人の弟子等が師の供養塔としてたてたもので、護良親王の皇子日叡上人はこの日賢上人からも教えを受けています。」
とのこと。
「献茶塔」です。
お茶を親王に献上したのでしょうか。
「教育勅語碑」です。
これは護良親王とは関係ないのでは・・・
そしてお待ちかねの「宝物殿」です。
たくさん立派そうなお宝が並んでおります。
「山本五十六元帥 至誠奉公」
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」の言葉が有名ですね。
他にも近代の志士や軍人の書などが展示されています。
肝心の護良親王は・・・
お、あったぞ!
10枚で完結する絵が置かれています。
「1 護良親王ご誕生」
「2 比叡山へお入りになる。」
これはちょっと違いますが、村上義明と護良親王でしょうか。
「3 錦の御旗が比叡山に翻る。」
「4 ~にて戦う。」
写真がぼやけてしまった!読めない!
「5 ~の戦」
これも読めましぇ-ーん!
「6 十津国にご滞入。」
「7 吉野にてご善戦、家来、村上義明のお身代わり」
「8 護良親王、鎌倉東光寺の土牢に護送される。」
「9 土牢の護良親王と淵辺義博の成刃」
「10 護良新王に首級に恐れる淵辺義博」
これで10枚。終了です。
終わりが突然ですね・・・
金色なものが多いです。
「勝海舟」の旦那もいらっしゃいます。
乃木坂46じゃなくって、乃木の大将もいらっしゃいます。
3
鎌倉宮の看板ですね。
しっかりした木を使っていらっしゃる。
「護良新王 令旨」です。
これで鎌倉幕府執権北条家はやられたんですね。
鎌倉宮で販売されている「獅子頭のお守り」で事故から生還した方のお手紙が飾られていました。
こちらがお手紙です。
昔なら馬鹿にしたかもしれないですが、信じる者は救われるってのは本当だなと感じるこの頃です。
とにかく金色に輝いているので見学してみてください!
日本の地図です。ものすごくデッカイ!!!
村上義光と親王ですね。
鹿のはく製まであります。
鹿は神の使いと言うことでしょう。
なぎなたや槍があります。
個人的にはこれらが一番気になった。
3
こんなので突いたり切ったりしていたのか・・・恐ろしいものだわ。
こちらがいがいとファンシーな「獅子頭のお守り」です。
でも販売所は閉まっていた・・・(笑)
お礼の手紙まで展示してあるのに・・・
そんなこんなの再訪でした!
今日は夕陽じゃなくて、昼間の太陽!!!
良いことありそう!!!
ここまで読んでくれる猛者の方がいらっしゃいましたら本当に感謝です!
いつも励みになります!!!
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