こんにちは!
今回は三重県にある伊勢神宮「外宮」をご紹介します。
有名すぎるので知ってる方がほとんどだと思われますが(笑)
どうぞお付き合いくださいませ。
「伊勢神宮」へアクセス!!!東京~伊勢への行き方など
朝早く起き眠い目をこすりながら「品川駅」へやって参りました。
人が少ないネ。
新大阪行きの「ひかり」を待ちます!!!
東京は品川から名古屋まで乗って行きます。
大体1時間半くらいで着いちゃいます。
品川~名古屋までの料金運賃はこちら↓↓↓
今回利用したのは「ひかり」でした、格安料金の「こだま」もおススメです!
品川-名古屋の新幹線割引きっぷ
品川-名古屋の割引きっぷは以下の通りです。価格は変更になることがあります。※回数券は1枚あたりの金額です。
※往復きっぷは片道あたりの金額です。
※通常期の価格で表示しています。品川-名古屋の新幹線割引きっぷ
品川-名古屋の割引きっぷは以下の通りです。価格は変更になることがあります。
※回数券は1枚あたりの金額です。
※往復きっぷは片道あたりの金額です。
※通常期の価格で表示しています。14,680円 – グリーン車(のぞみ正規料金)
14,470円 – グリーン車(ひかり正規料金)
14,470円 – 新幹線回数券(グリーン車)
11,090円 – 普通車指定席(のぞみ正規料金)
10,880円 – 普通車指定席(ひかり正規料金)
10,680円 – ICサービス(プラスEX)(普通車指定席)
10,360円 – 普通車自由席 (正規料金)
10,360円 – 新幹線回数券(普通車指定席)
10,310円 – e特急券(普通車指定席)
10,100円 – EX-ICサービス(普通車指定席)
9,830円 – 学割(のぞみ普通車指定席)
9,770円 – IC早特(タイプB)(普通車指定席)
9,770円 – IC早特(プラスEX)(普通車指定席)
9,620円 – 学割(ひかり普通車指定席)
9,100円 – 学割 (普通車自由席)
9,100円 – ぷらっとこだま(グリーン車)
9,000円 – こだま☆楽旅IC早特 (グリーン車)
8,100円 – ぷらっとこだま(普通車指定席)JR新幹線ネットより引用(https://jr-shinkansen.net/index.html)
しばらくさよなら東京・・・スタバでコーヒー買えばよかった。
名古屋に着いたらJR東海の快速みえ「三重号」に乗車します。
名古屋~伊勢市駅まで乗ります。
伊勢市駅が終点の電車と鳥羽まで行く電車があります。
どちらも方向は同じですが、伊勢市駅より鳥羽駅の方が先にあり遠いので、降りそびれないように気をつけて下さいませ。
快速「みえ号」の運賃料金(大人)、主要駅まで区間料金です。
名古屋〜四日市 自由席 470円 指定席 990円
名古屋〜津 自由席 1,270円 指定席 1,790円
名古屋〜松阪 自由席 1,650円 指定席 2,170円
名古屋〜伊勢市 自由席 2,000円 指定席 2,520円
名古屋〜鳥羽 自由席 2,450円 指定席 2,970円
路線検索はJR東海のホームページからどうぞ
ちなみに名古屋から、近鉄特急でも行けます。
その場合は
所要時間 : 急行 1時間50分 (一部直通列車あり)
特急 1時間20分 (宇治山田駅まで直通)
料金 : 急行1,450円
特急2,770円 (運賃1,450円+指定席1,320円)
近鉄線の路線検索もどうぞ。
伊勢市駅~「外宮」への道!伊勢うどん「山口屋」で腹ごしらえ!!!
そんな訳で「伊勢市駅」へ無事到着。
景色が良いのでボケっとしてると降りそびれちゃいますよ~
すっきり広々とした駅舎です。
この右隣に一日荷物を保管してくれる「荷物預り所」もありますよ。
駅からでるともう目の前は伊勢神宮への「参道」です!!!
早速「鳥居」があります。ありがたや。
外宮参道の文字が!
神のお膝元のせいなのか、なんだか地元の人も参拝の人も穏やかに見えるな・・・
お参り前に腹ごしらえはいかがでしょう?
伊勢だけに「伊勢海老」もええですな!
しかし!私が頂きましたのは、名代伊勢うどん「山口屋」さんの「伊勢うどん」と三重の近海で獲れたであろう「マグロの漬け丼」でございます。
通常のうどんよりフワフワしていて胃に優しい感じです!
汁もかなり濃い目に見えますが、ちょうど良い濃さで大変美味しゅうございました。
漬け丼は普通に上手かったです!!!
腹ごしらえは完璧!いざ「神宮」へ!!!
火除け橋を渡りお参りへ!裏参道や神馬の厩舎もあります。
伊勢市駅を出て真っ直ぐ参道を行けば、こちらの「火除け橋」へ出ることができます。
こちらの橋を渡った先は「神域」とされています。
火事などの際、「神域」への被害が及ばないようこちらに橋が掛けられているとのことです。
ちょっと紛らわしいですが、こちらは「裏参道」です。
車で「外宮」に来られた方は、駐車台数360台ほどの無料駐車場があります。
そちらに停めて参拝すると、一番近い入り口がこの「裏参道」になります。
表参道と同じく、入り口となる場所には鳥居が建てられています。
木漏れ日が美しく癒されます。
こちらを抜けると、神楽殿やお守りの販売所で「表参道」と合流します。
こちらは神事などに出る「神馬」が住んでいる厩舎です。
今回は神馬は出撃中だったようで拝謁は叶いませんでした。
前回お参りに来た時も見かけなかったので、相当に多忙なのでしょう。
さて、分かりにくくなりますのでもう一度「火除け橋」から・・・
いざ「神域」へ!!!
こちらが「表参道」の入り口となる「鳥居」です。
伊勢神宮の鳥居は白木で色が塗られていませんね。
「裏参道」の鳥居よりも規模が大きいようです。
手水の作法、神楽殿と御守り販売所など
この画像だけは大変申し訳ないのですが、「猿田彦神社」の手水場の写真を使いました・・・
外宮の手水場は写真を撮り忘れました・・・がーん!!!
手水の作法ですが
1 柄杓を右手に持ち、柄杓に水を満たします。
2 空いている左手に水を掛け清めます。
3 次に柄杓を左手に持ち替えて、右手を清めます。
4 再び右手に柄杓をもち、左手の平をお椀のようにして水を注ぎます。
5 左手に満たした水で口をすすぎお終いです。
残った水は戻さず流しましょう・・・(笑)
そんなこんなで、お清めも済んだところでレッツゴー!
象の足の様な大木が!?
伊勢神宮をはじめ良い気配のある神社は、かなり大きな木がありますね。
一つ一つがご神木と言えるような立派さですな。
こちらは神楽殿前のお手水。
すでに手水場は出てきているので、何に使うのでしょうか?
まさかオブジェではないでしょうが、イマイチ分かりませんでした・・・オーマイガッ!!!
こちらは「神楽殿」です。
「外宮」の神楽殿は、銅板葺の入母屋造りだそうです。
神様へのご祈祷やおかぐらを行う所ですね。
こちらで、御饌みけなどのご祈祷のご奉仕を受け付けてくれるようです。
三重県は本当に水が綺麗なところですね。
美しい、癒されるな。
古殿地と心御柱、20年ごとの遷宮
外宮の本宮に向かう途中にあるこの場所は「古殿地」と呼ばれています。
他と違い白色の石が敷き詰められています。美しい。
よく見ると遠くに小さな建物が見えます。
こちらの建物は覆屋と呼ばれるものです。
正宮と同じ大きさの広場で、ついこの間の遷宮まで御殿が立っていた場所です。
現在遷宮は20年ごととなっていますが、いま正宮がある場所と空地となったこの場所を行ったり来たりと建て替えられています。
先程の覆屋には「心御柱」を納め御守りしています。
は
正宮中央の床下には柱があり、これを「心の御柱」と呼んでおり、古くから神聖なものとされ大切にされているようです。大黒柱の様なものでしょうか。
伊勢神宮「外宮」の歴史、本宮「豊受大神」へお参り!!!
先程の「古殿地」を横目に見ながらこちらの広場を進みます。
この開けた空気の良い場所が個人的には一番好きかも知れません。
大きな巨木もたくさん聳え立っています一つ一つが「神木」ですね!
「正宮」が見えてきました。
大きな木の板で覆われています。
近づいて気の匂いを嗅いでみて下さい。とても良い「ヒノキの香り」がしますよ。
建てられて大分たつのに凄く薫ります。
良い木を選んで使っているのでしょうか。
こちらが[正宮]まえの鳥居です。
ここから先は写真撮影は禁止となっていました。
外宮の歴史と豊受大神宮について
豊受大神宮の歴史は雄略天皇の時代に、天照大御神が天皇の夢に現れ、お告げをしたことから始まりました。『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』などにその旨が記されている様です。
「一所にのみ坐せば甚苦し」ということと、「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」とあるそうです。
「一カ所にずっといると、食事もゆっくり取れないでの、丹波(兵庫県辺り)の衣食住を司る豊受大神を呼んできなはれ」ってところでしょうか・・・???
夢から目覚めた天皇は、等由気大神を丹波国から招き寄せ、度会の山田原にお宮を建てお祭りしたそうです。
これが「豊受大神宮」がこの地に御鎮座されることになった由来だそうです。
「内宮」にお祭りされている「天照大御神」への食事を提供するというのが「豊受大神宮」の立ち位置となるようです。
豊受大神宮は皇大神宮(天照大御神)同様に「二所大神宮」と呼ばれ、正宮をはじめとする建物全般、祭儀のほとんどが皇大神宮と同様となっています。
皇室の参拝も同様に捧げられています。
しかし、両宮は決して同格ではなく、伊勢神宮「内宮」の皇大神宮こそが序列としては最高位のお宮で神宮の中心であるとのことです。
神宮の祭典なども、「外宮先祭」といって、初めに外宮でお祭が行われます。
先程のお話のように、豊受大御神は天照大御神へ食事を提供する役目があるので、内宮よりも先にお食事を奉るということになっています。
参拝についても「外宮」から「内宮」という順序でお参りするのが決まりとなっています。
「三ツ石」エネルギーを放出するパワースポット
こちらは、先ほどの「古殿地」前あたりの広場にある「三ツ石」とよばれる石です。
元々はこの辺りを川が流れていたそうで、「川原祓所(かわらのはらいしょ)」というのが本当の名称らしいです。
ですので、注連縄で結界を張り巡らしてあり、広場の真ん中ではありますが神様をお祀りしているのだそうです。
その名の通り元々「お祓い所」だった場所なのだそう。
手をかざすと熱を感じるなどとして、近年たくさんの人が手をかざす傾向があるようですがNGなようです。
自分はたまたましませんでしたが・・・危なかったぜ。
神社にお参りするように、拝むのが正しいようです。
「多賀野宮」~「土宮」~「風宮」願いが叶うお参りの順番!!!
さあ、お次は皆さん大好きっであろう!?ご利益が頂けるという、三つの別宮をお参りしましょう。
どうやらここもお参りする順番があるようでござひます。
先程の「古殿地」前の広場「三ツ石」の近くに↑の画像の橋がありますので渡って行きましょう。
まずは「多賀野宮(たがのみや)」をお参りします。
結構急な階段が参拝者の覚悟を試してきます。
ハァハァ・・・
「多賀野宮」の由緒など
「多賀宮」は、外宮にある別宮の中でも第一位の位置付けとなっています。
建物の規模も他の別宮よりも大きくなっており、正宮の次に大きいものとなっています。
「多賀野宮」は豊受大御神の「荒御魂」(あらみたま)をお祭りしています。
神様によるご利益など一般に良い事とされている働きを、「和御魂(にぎみたま)」と呼び、天変地異など厄災である荒々しい面を「荒御魂(あらみたま)」と呼んでいます。
「多賀宮」は今から約1500年前、「豊受大神宮」が丹波の国から招かれたのと同時に創建されたと伝えられている様です。
外宮には「多賀宮」、「土宮」「風宮」「月夜野宮」の四別宮があります。
「多賀宮」だけは『止由気宮儀式帳』や『延喜神名式』等の史書にに記載されており、他の別宮よりも特別な待遇を受けています。
こちらが他の「別宮」よりも破格の待遇を受けているらしい「多賀野宮」です。
高所にあることから「高宮」とも呼ばれるそうです。
でっかいスズメバチが飛んでいました・・・ビビッてお参りがおろそかになりました・・・
色々試さないで神様。
帰りはより急に見える階段・・・というか急に見えるように写真撮りました・・・
そしてお次は・・・
「土宮(つちのみや)」です!
なんだかお笑い「千鳥」のネタ「かにみや」を思いだしました・・・神様ごめんなさい・・・
蟹宮ジョークでございます~
「土宮」の由緒について 祭神「大土乃御祖神」
「土宮」元々、「外宮」山田原の守護神として崇敬されていました。
史書「止由気宮儀式帳」に「大宮地神」と記されているのが804年、997年の史書『長徳検録』には外宮の田社32の1座として「土御祖神社」と記されている様です。
「田社」とは今でいう「末社」にあたり、古代においては「別宮」ではなかったようです。
1128年に宮川堤防の守護神として「別宮」に昇格。「田社」から「別宮」の地位に昇格した理由は特別なものだったようです。
現在の宮川はかつていくつもの流れに分岐し、今の市街地も流域に含まれていたそうです。
当時は治水技術の低さもあって宮川の氾濫が多く発生し、住民にとって宮川治水の感心は高かったようです。
土地の守護を司る現在の「土宮」「大土乃御祖神」に対する崇敬の念は計り知れないものであったとのこと。
外宮の祭祀についても洪水は障害となっていたと思われます。
上記のようなことから、宮川堤防の守護神ということを重視し「別宮」に昇格したとのこと。
「土宮」の不思議なところが、他の「別宮」が全て南向きであるのに対して「土宮」は東を向いています。
1135年に造営された際もこの点が問題となったようで、朝廷においても十分検討されたとのこと。
しかし結局は今まで通り東向きにに建てられました。
詳しい理由は分かっていませんが、南向きにすると正宮を後にするとか、地勢の便宜上の理由であるなど諸説あるようです。
詳細は不明ですが東向きに建てするということは、「外宮」創建以前の古くからの姿を残したものであるとのことです。
最後にお参りするのはこちら「風宮」です。
「風宮」の由緒について 御祭神 級長津彦命(しなつひこのみこと)級長戸辺命(しなとべのみこと)
「風宮」は、元々「風社」かぜのやしろと称しておりました。
「多賀野宮」「土宮」などの記載がある。史書『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』、『延喜神名式(えんぎじんみょうしき)』などに記載がなかったようです。
997年の 『長徳検録(ちょうとくけんろく)』に初めて「風社かぜのやしろ」との記述があり、「多賀宮」へ向かう際の参道近く、杉の木近くにある小さなお社であったようです。
その小さな社だった「かぜのやしろ」は「内宮」にある「風日祈宮」と同じく、モンゴル帝国が猛威を振るった、蒙古襲来の文永・弘安の役の折、神風が吹いたとされた、台風突風が襲来したモンゴル軍の大軍を全滅させました。
これが国難をお救いになったということになり、1293年に一躍「別宮」に昇格しました。
『増鏡(ますかがみ)』と言う史書に詳細な経緯が書かれているそうです。
「風宮」は元々、稲などの農作物が風雨による災害から守られ、無事育つように祈りが捧げられるお社でした。
モンゴル襲来以後は、国難は神のご加護によって国家安泰が守られるという信仰が加わりました。
幕末時代には、朝廷が文久1863年5月に15日間の攘夷(じょうい)のための御祈願を風宮と風日祈宮に捧ています。
五丈殿、九丈殿、度会国見神社、大津神社、勾玉池のせんぐう館、etc・・・
手前の静かに佇む木が「四至神(みやのめぐりかみ)」です。
奥にある建物が「五丈殿、九丈殿」です。
「四至神(みやのめぐりかみ)」は、「外宮」神域を守る守護神であり、四至という言葉の意味は神域の四つの方角表します。
社殿などの建物がなく、石畳の上に榊が立つ形で祀られています。
「五丈殿、九丈殿」は、祭事が雨などの天候不良であるとき、神饌(しんせん)などを祓い清める場所となっています。
式年遷宮の饗膳の儀もここで行われています。
こちらは「度会国見神社(わたらいくにみじんじゃ)」と「大津神社(おおつじんじゃ)」です。
外宮の神主一族、度会氏の祖先を祀る神社が「度会国見神社」です。
「大津神社」では五十鈴川河口の守護神がお祀りされています。
こちらから奥に見えるのが「勾玉池」です。
池のほとりには「せんぐう館」もあります。
伊勢神宮の歴史や、遷宮について、周辺地域のことなどを知れて面白いです。
こちらを見学してから伊勢を旅すると、より興味をもって周れるかもしれません。
「勾玉池」は菖蒲の花が綺麗に咲いていました。
手前が「勾玉池」奥の建物が「せんぐう館」です。
伊勢神宮「外宮」基本情報、参拝の感想&まとめ
今回は伊勢神宮「外宮」を紹介させていただきましたが、一つ一つ書いて行くと時間が掛かりますなぁ・・・
しかし!こちらは来訪するのは2回目ですが、何度も来たくなるような凄く良い雰囲気が漂っています。
行く前と後では大分自分のパワー感が違いますね。
今度は願望成就してお礼参りと行きたいところです!
伊勢神宮「外宮」基本情報
住所 〒516-0042 三重県伊勢市豊川町279
電話 0596-24-1111
拝観料 なし
拝観時間 参拝時間(内宮・外宮・別宮)
10月・11月・12月 午前5時~午後5時
1月・2月・3月・4月・9月 午前5時~午後6時
5月・6月・7月・8月 午前5時~午後7時駐車場 無料(360台ほど)
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