こんにちは!
今回は神奈川県鎌倉市にある鎌倉「荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)」にアクセスしてまいりました。
ここは学業の神様「菅原道真(すがわらのみちざね)」ゆかりの神社です。
基本情報と、その他周辺の鎌倉スポットはページ下部↓↓↓に置いておきますね。
「荏柄天神社」へのアクセス案内付きグーグルマップも設置してありますのでご利用くださいませ!
それでは早速画像を交えてご紹介しますね!
「荏柄天神社」へのアクセス!学業の神様「菅原道真」のご利益で必勝祈願!

「荏柄天神社」へアクセスする道順を書いて行きますね!
以前書いた記事と同じなのですが・・・もう一度書きます!→「荏柄天神社」からもアクセス抜群「鎌倉宮」パワースポット!
写真が被っていても許して頂戴。
まず「JR鎌倉駅」東口へ出ましょう。
この画像から見て真っ直ぐにストレートに進んでください。
あ、「JR鎌倉駅」までは何とか自力で来てください!(笑)
ちなみにバスで「荏柄天神社」へアクセスされる場合は、東口駅前から京浜急行バスが出ています。
4番乗り場から「鎌20鎌倉宮(大塔宮)行き」へ乗ってください!
一番早いと朝6時ころからバスは走っているようです。
これに乗ったら「荏柄天神社」近くのバス停「天神前」まで乗っていけば大丈夫です!
帰りもそのまま逆に乗ってくればOKです。

JR鎌倉駅東口から真っ直ぐ進みますと、この画像の通り「鶴岡八幡宮」三の鳥居がある参道へ出ることができます。
ここを他の観光客の人々と進みましょう。
両脇にお店が並んでいるので見学しながら進んでも楽しいかもしれません。

すると「鶴岡八幡宮」に着きます。

時間があればお参りしてもいいかもしれません。
が、しかし!
今回は「荏柄天神社」へアクセスする道順が分かりにくくなるので寄らずに参りましょう。

参道を抜けるとこの画像の「三の鳥居」に到着します。
「鶴岡八幡宮」の中を通っても行けますが、クネクネまがったりするので・・・今回の行き方が「荏柄天神社」へアクセスしやすいと思います。
画像右側の、「黄色いバス」が見えているほうへ県道204号沿いに右折して進んでいきます。

先ほどの交差点を右折して、真っ直ぐ進むと大きく左カーブする場所に出ます。
画像の奥のほうに見えるのは「宝戒寺(ほうかいじ)」
まだ行ったことのないので今度調査してきます!
ここは路肩が狭くてバスも通るので荏柄天神社へ徒歩で行くときはお気をつけて!

そのまま道なりに進んでいくと「岐れ路(わかれみち)」という交差点に出ます。
ここを左方向ですね画像だと少し見えにくいですが、赤い自販機が見えているほうです。
魚屋さんもあるのでそちら側です。とにかく左!!!

すると画像のような通りに出ます。
この通りには入れればおそらく迷わないと思うのですが。
画像奥に見えているのは「鎌倉宮(大塔宮)」ですね。

バスで行くとこの「天神前」で下車することになります。
帰りもこのバス停から帰ることになります。
ちょうどこのバス停からすぐ近くに「荏柄天神社」があります。
歩いている方向からすると左に曲がることになります。

「天神前」バス停から歩いてくるとこの通り「荏柄天神社」へアクセス完了です!!!
こじんまりと注連縄がしてある。

1月中なのでまだお正月の残り香がプンプンする。
「荏柄天神神社」の入り口付近は狭い路地なのでちょっと暗め。
でも木漏れ日がキレイ。

間違いなく「荏柄天神社」でございます。

色々行事のご案内。
「荏柄天神社」の御祭神は学業の神様「菅原道真」だからなのか筆の供養などもあるようですね。

謹賀新年!「荏柄天神社」万歳!!!
学問、芸道、厄除けの神様!!
みなに幸あれ!!!

正面が山門です。
左右は住宅に挟まれています。

山門を登っていくと高台なので太陽の光が!

「菅公一千年記念祭」の記念碑だそう。

山門わきで春を待つ、つぼみ。
キレイな花を咲かせてくれよ!
何の花かわからないけれど。

ここ「荏柄天神社」もそうですが、鎌倉はシンプルで質実剛健な建物多し。

「荏柄天神社」の境内に突入!!!
むっ!?あれは・・・

その前にお手水で汚れた心と体を清めよう。

やはり・・・受験合格の祈願か・・・
大学の受験から逃げた過去を思い出したわい。
説明に「神職が皆様の代わりに合格成就をお祈りいたします。」とありますね。
自分でお祈りさせてもらう方法とかあるんでしょうか?
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「荏原天神社の歴史」と学業の神様「菅原道真」

ここが本殿。朱塗りで色鮮やかです。
学業の神様「菅原道真」と荏柄天神社の歴史
1104年に創建された荏柄天神社。
源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府を開いた際に鬼門(きもん、一般によくない方角とされている)の方向の鬼門封じとして荏柄天神社を建てました。
安土桃山時代には徳川家康が豊臣秀吉の命令で神社造営をしたそうです。
明治維新後の神仏分離令で衰退して行ったそうです。(昔はもっと壮大だったのでしょうか?)
学業の神様「菅原道真」
菅原道真(すがわらのみちざね)は現在の奈良県で誕生しました。
他にも滋賀県で生まれたなどいくつかの説があるようです。
幼いころから文学の才能があった道真は貞観862年18歳のころ文学を学ぶ今でいう特待生になり学業に励みました。
かなりの秀才だったようで翌年には正六位下・下野権少掾(しょうろくいのげ、しもつけごんしょうじょう)に任じられます。(官位というお国のお墨付きみたいなものです。)
かなりの秀才だったらしく30歳のころには朝廷(今の政府みたいなもの)で中心的な人物となりました。
ある時期までは家格によった職についていました。(生まれた家によって昇進の限界みたいなものがあったようです。)
しかし、宇多天皇(うたてんのう)の目に留まり家格を越えた重職を努めていくようになります。
当時は藤原家が権力の中心だったようで、当時の藤原基経(ふじわらもとつね)という人物が亡くなったこともあって、重職が空位になっていたそうです。
そこに天才的な道真を登用することで藤原氏の影響力を弱める目的もあったようです。
893年には公卿(貴族みたいなもの、お偉いさん)に列した。
やがて道真は、様々な当時の権力者を飛び越えて権中納言(ごんちゅうなごん、かなりの偉い人)に任じられます。
さらには長女や三女を皇族の妃などにして天皇家と関係を深めました。
宇多天皇から次の醍醐天皇(だいごてんのう)の治世でも道真は権力の中枢として君臨しました。
しかし道真の中央集権的な政権運営は、藤原氏などの他の権力者からの反感を買ってしまいます。
安定を望む下位の貴族の中にも次々となされて行く政治改革に不安を与えます。
さらに官位も昇進して行くと、本来このような破格の待遇を受けられない家格に生まれた道真は嫉妬の的になっていきます。(今も昔も出る杭は打たれるんですね・・・)
901年になってから醍醐天皇を廃して斉世親王(ときよしんのう)を新たな天皇にしようと疑われてしまいます。
大宰府(いまの九州地方)に左遷されてしまいます。
先代天皇の宇多上皇は醍醐天皇と話をつけようとしたそうですが、醍醐天皇は応じなかったそうです。
道真の息子や親族も島流しにされたりと罪を着せられてしまいます。
当時道真と二大巨頭だった藤原時平(ふじわらときひら)により罪をでっちあげられたとする説が一般的です。
もう一つは宇多上皇と醍醐天皇の対立があり、道真がその政争に巻き込まれ左遷されたとする説もあるようです、
左遷されたあと謹慎していたようですが、3年後には59歳で亡くなってしまいます。
安楽寺に葬られたそうです。
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という唄を京都から去る時に詠んだとされています。
菅原道真が亡くなると、30年ほどの間に道真の反乱でっち上げににかかわったとされた天皇1人・皇太子2人・右大臣1名以下の高級貴族が亡くなっています。
これを当時道真の祟りと恐れたことから、天才的な人物だったこともあり
学業の神様「菅原道真」の神格化が進んだようです。

「荏柄天神社」本殿の隣には摂社(せっしゃ)である「熊野神社」があります。
「摂社」というのは、ここなら「荏柄天神社」の神様と縁の深い他の神様を祭る社(やしろ)だそうです。
小さな祠のような末社より格式は上位なのだそう。

ちょっと階段を上がったところにあります。

こちらが「熊野権現社(くまのごんげんしゃ)」
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の両親とされる、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)がまつられています。
そして、天宇受売命(アメノウズメノミコト)を加えたのが熊野三柱神とされています。

「熊野権現社」の石碑。

ちょっと暗くて見えにくいですが、奥に小さな社が鎮座しています。
鎌倉にはこうした「やぐら」とよばれる山を穿って作った祠のようなものが点在しています。
これは納骨窟だったりとお墓が多いようです。
「荏柄天神社」にはもう一つ「やぐら」があってこの場所と繋がっているんだとか。

夕暮れが迫ってきました。
高台の上にあるので日が差してきてキレイです。

「熊野権現社」から境内を見下ろしたところ。

樹齢600年とされる大イチョウ。
「鶴岡八幡宮」のイチョウが倒れた今は、こちらの「荏柄天神社」にある木が最古のイチョウだそうです。

フムフム。
何やら説明が書いてありますな。

これは・・・「鎌倉宮(大塔宮)」にも咲いていたな。
前回「誰か教えて!」と書いたところ、桜っぽいとの情報が寄せられました。

しかし花の名前はわからず・・・誰か教えて・・・
キレイだなぁ。
可憐だ。

大きな石が祀られている・・・「かっぱ筆塚」だそうです。
表面にかっぱの絵が描かているようです。
裏側には文豪の「川端康成(かわばたやすなり)」が彫った文字が刻まれているそうです。

古いお札などを納める場所です。
そしてこの左手には・・・

見上げると、右側にデッカイ物体が!!!

「絵筆塚(えふでつか)」という場所だそうです。

表面には様々な漫画家の絵が描かれています。(アップを撮り忘れてもうた)
10月にはお祀りもあるそうです。
漫画家たちが訪れ古い筆をお焚き上げするそうです
この時「荏柄天神社」では「かっぱ絵コンクール」が行われ参拝者などの絵が展示されるそうです。

「荏柄天神社」の説明版。
古びている・・・

本殿でお参りも済ませました。
さて帰りますか。

ちょうど日が沈んできました。
「荏柄天神社」は山門に差す光が優しい。

のぼってきた石段を境内から振り返ると、結構な高台にあるんですね。
と、そのとき!!!

うわ!めっちゃキレイじゃないですか!
最後にお参りしたご利益でしょうか!?
ありがたや。
感想&まとめ「荏柄天神社」基本情報
今回「荏柄天神社」へアクセスいたしました。
鎌倉のお寺や神社の中ではちょっと雰囲気が変わっていて面白いです。
学業の神様「菅原道真」を祭ってあるので、1月という時期もあってか受験生と思われる人が結構いました。
受験以外にも、芸事などにも良いそうなので、広い意味で学業全般にご利益があるようです。
高台から見える景色は中々良かったです!
その他、美しい鎌倉のお寺などのまとめリンクはこちら!ポチっとな!!!
「鎌倉宮」がここからすごく近いので合わせて見学するのがおススメです!!!
↓↓↓にリンク張っておきますね
「荏柄天神社」以外の鎌倉スポット↓↓↓です。どうぞ見てみてくださいね!
「荏柄天神社」基本情報
住所 〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂74
電話 0467-25-1772
Eメール egara-tenjinsha@jcom.zaq.ne.jp
拝観時間 8時30分~16時30分 年中無休
拝観料 無料
駐車場 なし
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(徒歩に設定してありますが、車や自転車で良く設定にも変更できます。)