神奈川県鎌倉市にある一遍上人の時宗のお寺「光触寺(こうそくじ)」へ参拝して来ました!
JR鎌倉駅からかなり遠いディープな鎌倉スポットです。
参拝のポイント↓↓↓
「報国寺」エリア最奥のお寺!
体力の自信ある方以外は鎌倉駅からバスがオススメ
国の重要文化財「頬焼阿弥陀」がある
本堂の拝観は10名以上の団体予約のみ!
「鎌倉駅東口」からバスでのアクセス
それでは鎌倉の隅っこ「光触寺(こうそくじ)」へのアクセスを見て行きましょう。
「JR鎌倉駅」東口から5番乗り場「鎌23太刀洗、鎌24金沢八景またはハイランド」行き「「十二所バス亭」下車です!(詳細は→京浜急行バス「鎌倉駅」時刻表)
徒歩や自転車で向かう方へ
徒歩で「光触寺」へ向かわれる方は、「報国寺」に徒歩でアクセスする方法を案内している記事を参考にしてください。
鎌倉駅から県道204号という道を歩いて向かうのですが、「報国寺」も「光触寺」も県道204号沿いにありますのでこちらをどうぞ↓↓↓
鎌倉には小さな橋が多いですね。こちらの写真は鎌倉「報国寺」を少し過ぎた所です。
昔、鎌倉で使われていた、水質の良かったらしい井戸を「鎌倉十井(かまくらじっせい)」と呼ぶことがあります。
「鎌倉十橋(かまくらじっきょう)」と呼ばれる橋も存在しているそうです。
「滑川(なめりかわ)」だそうです。ぺろぺろ。住宅街にある割には結構キレイな川です。
コイがいますよ!結構水がキレイな気がします。
「明石橋交差点」ここまで来たら「光触寺」へのアクセスはもうちょっと!!!この手前には鎌倉幕府4代目将軍「藤原頼経」を祀る「明王院」があります。
こんなだだっ広い交差点。これを画像の左方向に行きます。
道なりな感じですね。画像奥のミニストップ側に渡っておくと楽です。
「光触寺」周辺はお手洗いが少ないので注意!
困ったことにこの辺りに歩いてくると「お手洗い」がないんですよね・・・コンビニも通りにないのでこのミニストップが最後の砦です。
車もたくさん止まっていた。
花とか「三ヶ日ミカン」とか売ってます・・・田舎な感じのコンビニ・・・便利ですね!
さてミニストップでひと休憩して先程の「明石橋」交差点から「光触寺」までのアクセスは二~三分というところです。
バスで来られる方はこのすぐ近くに「十二ヶ所バス停」があるので下車してください。
鎌倉駅方面へお帰りの際は反対車線の「鎌倉駅行き系統のバス」で戻ることが出来ます!
「あらかわ酒店」さんが目印ですね。「県道204号」を歩いて来てここで初めて側道へ入ります。バス通りを道なりに歩いてくれば間違えないはずです。
「あらかわ酒店」前には案内板もあります。
橋を渡ってすぐであります。
「光触寺橋」そんまんま。
このあたりも川が結構キレイ。
橋を渡れば「光触寺」に到着です!お疲れ様でした!!!
「山門」
中々渋い山門が疲れを癒してくれます。
「時宗(じしゅう)」と読みます。
鎌倉三十三観音巡りの寺社の一つでもあります。
「光触寺」は「第七番札所」でございます。
間違いなく「光触寺」です。
重要文化財となっているようです。
「頬焼阿弥陀(ぼんぎょうあみだ)」でしょうか・・・
遠いのに全く見るところがなかったらどうしようかと思ってが・・・良い感じです。
山号は「岩蔵山(がんぞうざん)」
「本堂」と本尊「阿弥陀如来」
「光触寺」本堂です!本尊は阿弥陀如来。「頬焼阿弥陀」は国の重要文化財に指定されています!
拝観料は300円です。
要予約で10名以上の団体予約のみ受け付けています。
「御朱印」
お寺の社務所で御朱印をいただけます。休憩時間がある(笑)
「光触寺の御朱印」
- 塩舐め地蔵の御朱印
- 頬焼阿弥陀の御朱印
- 阿弥陀如来の御朱印
え?予約しておけばはいれたの???すれば良かったなあ。
鎌倉の寺社にほぼ設置されている案内板。
時宗の開祖、一遍上人が開基(寺の創立者)と伝えます。
本尊の木造阿弥陀如来および両脇侍立像(頬焼阿弥陀、ほおやけのあみだ)には盗みの疑いをかけられた法師の閥の身代わりになり、頬に焼印が残ったといわれる伝説があります。
本堂前の「塩嘗地蔵(しおなめじぞう)」は、六浦(現、横浜金沢区)の塩売りが朝比奈峠を越えて鎌倉に来るたびにお地蔵さまに塩をお供えしたといい、いつも帰りには無くなっていたところからその名の由来があります。
昔は金沢方面から塩が入っていたことが分かります。
光触寺の説明版より
光触寺設置の案内板より
「常夜灯」灯はともっていません・・・
その時背後に気配が!!!
「一遍上人像」
エクスタシーに浸っているお坊さんの姿が!踊念仏を広めた時宗の開祖「一遍上人」です!!!
「歴史・頬焼阿弥陀縁起」
「歴史と頬焼阿弥陀縁起」
光触寺は1215年、「町局(まちのつぼね)」という人が、仏師の「運慶」に阿弥陀三尊像を作ってもらい、お祀りしたのが始まりだと言います。
この阿弥陀三尊像は、「頬焼阿弥陀(重要文化財)」と呼ばれている。
この呼び名が付いた背景には、「万才法師」というお坊さんが盗みを働いた罰として顔に焼印を押さました。
しかし痕は尽きません。
そして阿弥陀如来像の顔を見ると、万才法師に押したはずの焼痕が残ってそうです。
この伝説から「頬焼阿弥陀」と呼ばれているそうです。
その後、町局は「光触寺」の前身となる「岩殿寺(がんでんじ)」いう真言宗のお寺を建てます。
1278年ごろ岩殿寺は今の場所へ移り、その後3代住持が一遍上人を迎えて「光触寺」へ名前をあらためたそうです。
お寺は1700年ごろに起きた大地震により崩れており、22代住職により復活しました。
1860年ごろの大地震の倒壊では、33代住職のにより再建されています。
お寺が栄えていたころには、様々な塔頭(たっちゅう、お寺に付属する建物のこと)があったそうですが、災害によりなくなってしまったそうです。
一遍上人と踊り念仏
「踊念仏を広めた一遍上人」
一遍上人は1239年に現在の愛媛県に生まれました。
10歳のとき母親がなくなります。そして、父の勧めで天台宗として出家します。
1251年には13歳で九州に移り、「法然」の孫弟子である「聖達」の下で10年以上にわたり浄土宗を学びました。
1263年に父親が亡くなると還俗(お坊さんから一般人に戻る事)して故郷に帰ります。
一族の争いなどが原因で1271年には32歳で再び出家しています。
その後、熊野の地で(現在の和歌山県)修行し時宗を開くことを決意します。
1277年ころには段々と信者が増えて行きます。
1279年ごろ信濃国(現在の長野県)を訪れた時に踊り念仏を始めます。
踊り念仏は尊敬していた「市聖空也(しせいくうや)」を真似してはじめたそうです。
「一遍聖絵」という古書には「踊り念仏」を描いたシーンがあるそうです。
神奈川県・片瀬の浜にある地蔵堂での踊り念仏です
その時の様子は、屋根付きの舞台をつくり、お坊さんや信者たちが舞台の上で念仏を唱え踊り狂っているモノです。
1282年は鎌倉入りを図るも元寇時の鎌倉幕府執権として有名な「北条時宗」に拒絶されています。
1284年には京都へ上洛し、四条京極など京都の各地で踊り念仏を行っています。
そして1289年に51歳で摂津(現在の大阪兵庫あたり)の真光寺で没します。
15年にわたる諸国巡礼でした。
一遍上人の銅像は、こちらの方が寄進されたようです。
「塩舐め地蔵」
もともと県道204号沿いにあったらしい「塩舐め地蔵」。
「塩舐め地蔵の由来」
その昔、塩売りの商人がを商売繁盛を祈願し、塩を供えていたそうな。
帰りに立ち寄ってみるとなんと!供えた塩が無くなっていました。
これは地蔵菩薩が塩を舐めたのだろうということになり、地蔵菩薩像は塩嘗地蔵(しおなめじぞう)と呼ばれるようになったのだとか・・・
石碑まで建っている。
「塩舐め地蔵」アップでどうぞ。
山門を振り返ったところ。日が暮れてきたので、そろそろお暇します。
また歩いて帰ります・・・行きはヨイヨイ帰りはツライ!
おや?奥に鎌倉でよく見かける岩肌をくりぬいた「やぐら」らしきものがありますが、墓地の様です。
お寺の横にはお手洗いが!拝観料なしで入れるのは助かります!
「浄妙寺」や竹林の美しい「報国寺」を過ぎたあたりから本当にお手洗い行ける場所が少ないので要注意です!
バスでお帰りの方は、さきほどの「あらかわ酒店」へ戻り京急バス「鎌倉駅行き系統」のバスに乗ってくださいね!
見どころまとめ
今回は鎌倉でもかなり隅っこにある鎌倉「光触寺」へアクセスいたしました。
時間がある方、足腰に自信ある方は歩きで鎌倉散歩してみてはいかがでしょうか?程よいハイキングになるので、夜ぐっすり眠れますよ!
参拝のポイントまとめ↓↓↓
「報国寺」エリア最奥のお寺!
体力の自信ある方以外は鎌倉駅からバスがオススメ
国の重要文化財「頬焼阿弥陀」がある
本堂の拝観は10名以上の団体予約のみ!
「光触寺」基本情報
住所 神奈川県鎌倉市十二所793
電話 0467-22-6864
拝観時間 9時~16時
拝観料 なし
駐車場 あり
交通アクセス 「JR鎌倉駅」から京急バス5番乗り場「鎌23太刀洗、鎌24番金沢八景」行きで「十二所駅」下車
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