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都内にあるパワースポット!東京十社の「根津神社」へお参りして来ました!!!
都内にあるとは思えない静かでいて、周辺の町やお店も良い雰囲気でした!!!
まだ行ったことない方は是非訪れてみてほしいのです!素晴らしい雰囲気の神社です↓↓↓是非チェックしてみて下さいね!!!
根津神社「表参道口」「北口」「西口」
こちらは「根津神社」の「表参道口」です。個人的には「根津神社」は「表参道口」から参拝するのが一番空気感も良くパワーがもらえると思っています!!!
表参道周辺の通りも雰囲気良くおススメです!!!
神社の御紹介の前に・・・「根津神社」までのアクセス方法が知りたい方にはこちら↓↓↓
根津駅~最寄り駅から「根津神社」へのアクセス!絶対迷わせません!!!
こちらは「根津神社」の「北口」です。「根津神社」の境内には参拝者用の駐車場がありこちらの「北口」から入ることになります。
「北口」から少し離れますが同じ通りに面している「根津神社」「西口」です。
こちらから参拝すると後でご紹介する「乙女稲荷」「駒込稲荷」へ参拝しやすいです。
「根津神社」周辺の歴史
旧「根津須賀町」もと、甲府宰相徳川綱重(三代将軍家光の子で五代将軍綱吉の兄)の屋敷があった。
綱重の子の綱豊(6代将軍家斉となる)がここで生まれ、団子坂上にあった「根津神社」が産土神(生まれた土地の神)であった。綱豊は綱吉将軍の跡継ぎとなり江戸城に移った。
綱吉は、1706年「根津神社」を甲府屋敷の跡に移し、華麗な社殿を造営した。
また町屋が開かれ「根津神社」を造営した。また町屋が開かれ「根津神社門前」と称した。
根津の名の由来には、ねずみのいわれ、台地の根にあって船の泊まるところなどの各説がある。
須賀は、「根津神社」の祭神「須佐之男命」が出雲の須賀に宮居を定め、わが心須賀須賀須といわれたことによると。
文京区設置の説明板より
「神橋」「楼門」「舞殿」
「表参道口」から根津神社へ参拝するとまず目に入ってくるのが「神橋」と「楼門」です。
「楼門」をくぐると右手に「舞殿」が見えてきます。お祭りなどの祭事で舞などが奉納されます。
さらに進むと左手に「手水舎」があります。
右手に柄杓を持ち、左手を清める→左に持ち替え右手を清める→口をすすぎ本殿へお参りしましょう!!!
「唐門」「御社殿」「西門」「透堀」
「御社殿」の前にあるもんは「唐門」です。江戸時代に入ると装飾の多い建築が多くなっていったようです。
こちらが「根津神社」の「御社殿」です。
江戸幕府五代将軍の徳川綱吉によって天下普請といわれる権現造りの社殿建設が行われました。
「根津神社」は、この記事で紹介させていただいている境内の建物全てが欠けずに現存しています。
さらには国の重要文化財に指定されているようです。すべて現存って凄いですね!!!
ちなみに「御社殿」に向かって右手には「社務所」があり「お守り」や「御朱印」が頂けます。
「御社殿」向かって左手には「西門」があります。
「西門」とつながっている赤い壁は「透堀」と呼ばれています。透間があって透けて見えることによるようです。
「乙女稲荷神社」「千本稲荷」「公胞衣塚」
先程の「西門」を抜けて目の前に見えるのが「乙女稲荷神社」と「千本鳥居」です。
「西門」を出て左方向に行けば「乙女稲荷神社」へ続く「千本鳥居」の入り口があります。
「千本鳥居」へは二か所入口があります。こちらから入ると「公胞衣塚」があります。少し先でご説明いたします。
「千本鳥居」をすべて潜り抜けたいなら「乙女稲荷神社」へは、こちらから参拝されるのがおススメです!
「千本鳥居」は迫力があり写真映えもしますね!!!
千本鳥居を潜っていくと途中にあるのが「公胞衣塚」
徳川家宣「公胞衣塚」
6代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数個の割石が雑然と積み重ねてある。
この「根津神社」の境内は、もと5代将軍綱吉の兄綱重(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱吉の長子家宣は1662年4月5日ここで生まれた。
胞衣とは大事を包んだ膜と胎盤をいう。われわれの祖先が胎盤を大切に扱ったことは、各地の民間伝承にある。
例えば熊野では大石の下に納めたとされる。関東では家の床下や入口の敷居の下に埋めたといわれ。また、屋敷の方角をみて埋めるという所もあった。一方上流の階層では、胞衣塚を築くことが早くから行われた。愛知県の岡崎には、徳川家康の胞衣塚がある。
子の胞衣は誕生の敷地内に納められた。徳川家の他のものと比べ、形式が素朴なものであるなど、将軍の胞衣塚ながら庶民の民俗の理解の上で貴重なものである。塚正面には、明治14年に建てられた「胞衣碑」がある。また、家宣の産湯の井戸伝えられるものが、社務所の庭にある。
家宣が綱吉将軍の跡継ぎとなり江戸城に入ると、屋敷跡に家宣の産土神(氏神)である根津神社を移し、華麗な社殿が綱吉によって建てられた。
文京区教育委員会設置の説明板より
こちらが「乙女稲荷神社」です。
指が移りこんでしまった・・・
「乙女稲荷神社」
祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
宝永3年(1706年)根津神社がこの地に遷座した後、「つつじが岡」の中腹に穿たれた洞にまつられた社で、古記録には「穴稲荷」とある。
霊験あらたかと崇敬者多く、参道には鳥居の献納が絶えない。現在の社殿は昭和31年に奉献されたものである。
「駒込稲荷神社」「塞大神碑」
「乙女稲荷神社」を参拝し「千本鳥居」を抜けると・・・
「駒込稲荷神社」があります。
「駒込稲荷神社」
祭神は伊弉諾命、伊弉冉命、倉稲魂命、級長津彦命、級長戸辺命
根津神社が千駄木村より遷座する前、この地には6代将軍の父徳川綱重公の山手屋敷であった。
その通りの守り神として、寛文元年(1661年)に祀られた古い社である。
綱重公は他の江戸別邸、桜田屋敷、三田屋敷、浜屋敷(今の浜離宮)にも同じ稲荷を祀っており、浜離宮内の祠は当初同様現在も残っている。
「塞大神碑」(さえのおおかみのひ)
この塞の大神碑は、もと通称駒込の追分(向丘1-1)にあった。
ここは東京大学農学部前で、旧中山道と旧岩槻街道(旧日光街道将軍御成道)との分岐点で追分といわれた。
この追分は、日本橋から一里(約4料)で江戸時代一里塚のあったところである。今も角店は江戸時代から続く老舗の高崎屋である。この高崎屋よりに一里塚があり、榎が植えられていたが、1766年に焼け、その跡に庚申塔がおかれたが、これも1824年の火災で欠損した。
その跡地に、この塞の大神碑が、明治6年(1837年)に建てられた。同43年、道路の拡幅のため、碑は「根津神社」に移され、現在に至っている。礎石に移設の事情が刻まれている。
塞の神は邪霊を防ぐ神であり。道行く人を災難から守ることから、みちのかみとも道祖神ともいわれている。
文京区教育委員会設置の説明板より
「根津神社」基本情報
東京十社に数えられる「根津神社」は都内とは思えないほど静かで雰囲気のよいパワースポットでした!!!
ゆっくりお参りして体に良いエネルギーが充填された気がします!是非訪れてみて下さいね!!!
「根津神社」基本情報と最寄駅からのアクセス方法です↓↓↓
根津駅~最寄り駅から「根津神社」へのアクセス!絶対迷わせません!!!
「根津神社」基本情報
住所 〒113-0031 東京都文京区根津1丁目28−9
参拝時間 24時間
拝観料 なし
御祈祷 9時半~閉門1時間前まで
駐車場 あり(参拝者のみ)周辺にコインパーキング多数
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