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仕事をサボるススメ、クソ真面目からの脱出!!!

イキナリですが、仕事をサボれますか???

クソ真面目に取り組んできた色んな事ちょっと一旦休憩してサボってみませんか???

私は数年前までクソ真面目過ぎて自分を追い込んで鬱々として、苦しんでいました。

真面目な人はちょっとサボってみませんか???

自分のエピソードなど含めて書いてみようと思います。

目次

仕事をサボれず真面目に自分を追い込んだ日々

昔私は真面目過ぎて自分を苦しめ続けていました。

タイトルにある仕事をサボるなんて頭を掠めることもありませんでした・・・

不真面目な方はこれを読む必要はないと思います(笑)

「仕事をサボる???」と、興味を持たれたりこの記事を見て初めて気が付いた方はうつ病に気を付けた方が良いと思います(笑)

自分がそうでしたので、予備軍だと断言できますね。

以前にも書いたのですが、私は公務員を辞めたいと思いながらずっと辞められず5年働きました。

他に興味がありやりたいことがあったので最終的に辞めたのですが、限界が来るまで「一度始めたからキリのいいところまではやろう。」「すぐに辞めると辞め癖が付く」などと色んな言い訳をして辞めることをサボって先延ばしにしてきました。

自分のしたいことはサボるくせに、嫌々やっている仕事はサボれず要領も悪く、真面目に仕事をサボらずやっているのを売りにしていました。ハイ残念な奴ですね。

その結果「真面目な奴」などと評価を得たりしましたが、現在から振り返ってよく考えると別に望んだことなんかではなく周りの人間から見れば、自尊心をくすぐれば扱いやすい「都合のいい人間」だったでしょう。

かなり頼まれごとをされては無駄に時間を浪費していた気がします。休日変わってとかもう色々。

進んで要らん苦労を買っていましたね。やりたいことでの苦労なら楽しみもあろうというものですが、やりたくもない苦労はほんとにクソみたいなもんです。本当辞めた方が良い、何にもならない。

何故仕事をサボれず、真面目という評価にしがみ付いていたのだろうか???

おそらく、というか自分を大切にしていなかった、大切にする方法が分からなかったので世間の一般常識に照らして「良いとされる事」すなわち「真面目で優秀」という評価を得ようとしていたからでしょう。

「優秀」までの評価は得られていたかは怪しいですが、「真面目」という評価は得ていました。

当時は「自分の望むことからしたらあまり良い評価でないな・・・」という事なんてこれっぽっちも考えていませんでした。

仕事をサボるどころか、バリバリ「真面目に」クソつまらん(自分にとってはです)公務員の仕事をこなしていました。

本当の望みは「気分よく生きること」だったにもかかわらず正反対の「クソ真面目に自分を縛ること」に関しては、サボらず良い仕事をしていたと思います。なんてこった!

思えば当時は劣等感を抱えていたので「他人の視線に敏感」で「自分を守ること」に必死だったと今なら分かります。

変わる事への努力や工夫はせずに、そういう人間に出来ることと言えば「真面目という鎧」を着こんで、人間関係を遮断することしかできないと思います。

「真面目」さで武装し、他人が入りこむ隙間をつくらず、コミニケーション能力もなかったので出来得る限り他人との接触は避けていました。

結果一層、深いコミュニケーションを取ることを恐れて孤立していきました。

精神的にも滅茶苦茶きつかった・・・今から思えば「なんじゃそりゃ」ですが・・・

こういった状況から自分を救うような仕事は実に上手く「サボって」いたわけです。

苦しんでる自分を救ってやれよ。

苦しむとなんとなく無意識に気が付いているのに、楽になるようなことはサボれないんだよなぁ。

というわけで。

仕事をサボってみよう。学校でも勉強でも嫌々取り組んでることを放棄してみる

というわけで人間何故か「苦しむ」ことには真面目なわけでして・・・こういった私のような人間から見ますと、上手く行っているように見える人間は「楽して」「サボっている」様に見えるわけです。

それって何でしょう・・・「羨ましい」とか「妬み」「羨望」のような感覚ではないでしょうか?

楽そうな環境に運よく生まれたように見える、イケメンだったり美女だから???

とにかく自分より全て恵まれていて、楽そうだし、サボっていても何だか許されるように見えると言いますか・・・

幸せそうな人を見ていると「悪気がない」「罪悪感を持っていない」「ズケズケモノを言う」様に見えます。

ちくしょうめ・・・私なんかは秘かに、そう思っていました。

生まれが良かっただけとか、顔が良い悪いなんて宝くじに当たったようなもんで何の根拠もないですよね。

そもそも~を持っていると「偉い」とか「スゴイ」とか「幸せ」とかそんな条件そいつが決めたんだ???

様々なメディアの垂れ流す情報に惑わされては行けません!(このブログもメディアの一部ですが・・・そもそも根拠も証拠もない情報だけど・・・私の経験上の話です。)

それなら、我々も根拠なしにありたいようにあっていいんです。

まずは敵?を知る事からです。仕事や、我々から見て、やるべきことサボっているのが羨ましい・・・楽でいいよなぁ~そう見えることを抵抗が少ないところから「パクって真似してみる」ことをお勧めします。

何が良いですか?くだらないですけど・・・トイレ行ってきますと言って、一服したり、お茶飲んで戻ってくるとかでも良いんじゃないですか?その程度でも何だか気後れしてできなんのであれば十分に「仕事をサボって」いると思います。

そもそも罪悪感が無ければ「サボってる」なんて思わないし、そんな言葉使いません。

5分くらいサボって何が変わるんでしょうか?

クソ真面目な人間って言うのは要領が悪いし、そもそも「真面目」さを周囲に見せることを「仕事」にしているので、本来やるべき会社の「業務」はほぼ出来ていないと思います・・・自分がそうでしたから。

本来押さえておけば何も言われない所をやらずに、どうしようもない「真面目」さを売り込むことだけは熱心なので手に負えません。

何か見えてきました・・・そもそも我々クソ真面目な人間たちにとっての「仕事」とは「真面目さを周囲に売り込む事」なのだとしたら・・・???嫌な事を無理やり自らに強要することによって、他人の評価を得て自分を守る事なのだとしたら???

その「仕事」こそ「サボって」みる価値がある気がしませんか???

こういった発想からすべての事を行っているとしたら???

常に「真面目」さを見せるために「24時間全ての事」をしているとしたら???

自分に巣くっている価値観を急に変えることは難しいです。

ならば「真面目」思考からくるその一端から少しずつ変えて行こう、そんな風に当時思いました。

先程の5分くらいトイレに立ち、休憩してみれば良いし、その合間に女の子でも職場にいれば「おしゃべり」してみたらいい、出来なければかわいい子を「チラ見」して目の保養でもすれば良い。

上司とか先輩に注意されたり怒られたりしたら???

その時は「すみません。少し疲れてボケっとしてしまいました。」とかテキトーに言えばいい。

いつも培ってきた「真面目」さで「真面目に仕事をサボってみる」事ができるはずです。

どうしたら「仕事をサボって」いながら「業務」をこなせるか考えればいい。

この文章だってどこかテキトーです・・・あまりにも「真面目」に考えたら少しも文なんて書けません・・・後でとかやりながらでも読みやすくしたり、見直せばいい。

こんなテキトーな文章書いて良いだって思ってくれたら逆にうれしいですね。

じゃあ俺も私も「仕事サボって」見るかなって思ってくれたら良いですね。

仕事サボるって書いてるけど、それぞれの仕事ですよ???

サラリーマンはそのまんま「仕事サボる」だけど、学生は勉強「サボって」主婦は家事を「サボって」兎に角、真面目過ぎて自分が追い込まれていくようなものは、思い切ってサボって見て下さい。

ちょっとだけでも良い。

きっとその一瞬は「うしろめたさ」もあると思いますが、同時に「ホッとする」気持ちもあるのではないでしょうか???

もうそんなに自分を責めないでください。

そんなことをしても私の体験では、仕事はできるようにならないし苦しいだけでした。

今は怒られてもどこ吹く風ですし、結構平気で仕事サボります。

なんですけど、そうしていると余裕ができてきて、自分にとって意味のないところと、意味のあるところが少しずつ見えてくるから不思議です。

ここでいう「仕事」は少しネガティブなものとして使っています。

好き好んでやるものは「仕事やるかぁ・・・」とはなりませんよね?

遊びとまでは行かなくとも、似た類のものだと思います。好きだからやるというような。

ゲームするのが好きな人にとってそれでお金もらっていたらそれは「仕事」であって「サボる」様な性質のものでしょうか???

それでお金を稼いでいてご飯食べてる人だっているわけです。

話がそれるので少しだけ、突き詰めると様々な事に根拠何てないものがほとんどではないでしょうか?

宗教的な教えにあったことが、量子力学などで証明されていたりします。

感覚で分かってることを、科学的に証明したとして、その話を聞いて分かった気になっても自分に有用な使い方ができなければ、自らが「分かった」といえるのでしょうか???

なので「サボる」ことをやってみたら初めは「大丈夫かな?」と言うような抵抗感があると思います。同時に「楽だなぁ」「仕事に戻りたくないな」なんて思うかもしれません。

度の選択するのも自由なのですが、実際にやってみた人間だけがその「感覚」を感じることができます。

そのうえで心地よく感じることを「真面目」に取り組み。

不快に嫌だと感じる仕事を「サボって」行けば、徐々に自らが自らを縛っていた「価値観」「思い込み」が少しずつ解体されてい来ます。

そうするとまた様々な新しい「価値観」が見えてきます。少なくとも私はそうでした。

「仕事をサボること」まとめ

何が言いたかったのかと言いますと。

過去の自分のように植え付けられた「真面目」さで苦しんでいる方が楽になってくれたらいいなぁと思ったので、書いてみました。

テキトーに出たとこ勝負で書いていますので、読みにくかったり意味不明でしたらすみません。

全ての望むことと「仕事」を「サボる」「サボらない」がもし関係のない事だったとしたらどうでしょうか???

どちらをとっても結果が同じなのだとしたら・・・私は当然「楽」な方をとります。

実際現在仕事で、サボろうがサボるまいが「あんま結果には関係ないな」という感じがしてます。

信じる信じないはそれぞれご自由になさっていただきたいのですが、本当に八方ふさがりの方がいたらぜひ少しだけ試してみて欲しいです。

自分が何を「嫌だ」と感じ何を「良い」と感じているかを知るのがちょっと苦労したところですが、それはまた別の記事書いてみます。もしくは過去の記事を見て参考になる何かを見つけて頂けたら幸いです。

相変わらず私なんぞより高い知能と意識レベルをお持ちの方には面白くもなんの役にも立たないだろう記事ですが、色々追い詰められている心境の方が少し気楽になってくれたらうれしいです。

それでは今回はこのくらいで。

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