鎌倉「建長寺」臨済宗の大本山、けんちん汁発祥の地!!!

旅はお好きですか?

良い景色や空気、美味しいもの食べて最高ですよね!

本日は鎌倉にある臨済宗のお寺「建長寺」に行ってきたのでご紹介します!!!

天気にも恵まれた鎌倉散歩、写真もキレイに撮れたので見てみて下さいね。

建長寺の基本情報やそのほかの鎌倉情報はページ下部に置いておきます。どうぞご覧くださいませ!

それでは早速ご紹介を!!!

鎌倉「建長寺」臨済宗建長寺派の大本山。そして「けんちん汁」発祥の地!!!

建長寺前県道21号
北鎌倉から県道21号を10~15分ほど歩くと建長寺が見えてきます。

建長寺入り口
デッカイ「円覚寺」と同じくらいの規模があるお寺ですね。

北鎌倉の「円覚寺」はこちら!

建長寺の山門
さっきのが入り口と思ったらまた門がある!!!人が多かった。

総門(巨福門)

天明3年(1783年)に建立された京都の槃船三昧院の門を昭和15年に移築しました。

額の「巨福山(こふくさん)」は建長寺第十世住職一山一寧(いっさんいちねい)の筆によるもので、巨の字に筆勢による1点を加え(臣の上側の縦棒だけない文字です。変換しても出てこなかった・・・)百貫の価を備そなたものといい、世に百貫点ともいいます。

方丈もその時一緒に、移築されました。

(建長寺発行のパンフレットより引用)

建長寺参道
北鎌倉周辺のお寺の中でも建物がやたら大きい。当時の権力を表すメインのお寺だったのでしょうか・・・

光と建長寺の「妙光院」
程よく雲があって写真に光が差し込んでくる。

建長寺「妙高院」
鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)27番札所。貞和二年(1346年)くらいに建てられたのだとか。

燈籠、墓石
塀から飛び出るほどデッカイ灯籠?墓石?が・・・建長寺は何かとデッカイな。

建長寺内の山門
とにかくデカいぜ!!!迫力あります。安永4年(1775年)に建てられて2005年に重要文化財に登録されました。

三門(三解脱門、重要文化財)

三解脱門の略で楼上に五百羅鑑像などを安置しその下を通ると心が清浄になることを祈念しています。

安永4年(1775年)に、第二百一世住職万拙碩誼(ばんせつせきぎ)が関東一円から浄財を募って再建したもので、別名「狸の三門」といわれています。

これは三門建立の折、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶の姿に身を代えて住職の化縁を助けて大活躍したという言い伝えによります。

(建長寺発行のパンフレットより)

おびんずるさま
山門の下にいる「おびんずるさま」自分の身体で痛い場所を触ると治るんだとか・・・

「賓頭盧(びんずる)」はもともとお釈迦様の弟子のひとりです。しかし不気味だなぁ・・・

鐘突き堂
鐘をつくところ「鐘楼」。

デカめの鐘楼
これもデッカイが、円覚寺の「洪鐘」よりは小さい・・・他でがんばろう建長寺!

建長寺 修行場
一般人は立ち入り禁止の「修行場」臨済宗(りんざいしゅう)のお坊さんが修行しているようです。

建長寺の龍王殿
建長寺の方丈(ほうじょう、むかしは住職の住まいとしてつかわれ、現在は行事に使われる会館みたいなところ)

ここ「龍王殿」は無料で入れて庭園が見れるようになっています。

龍王殿の庭園
横にひろすぎて持って行ったカメラではキレイに撮れなかった・・・残念。

建長寺庭園(名称史跡)

方丈(龍王殿)の背後にあり、大覚禅師の作庭で蘸碧池(さんぺきち)を中心とした貴賓を応接するための禅寺を象徴する庭園です。

江戸時代に改修され、池の中に島をおき、橋を架け、池の辺には石、松等を配し半蔵坊の山を借景とする瀟洒(しょうさい)な庭園です。

(建長寺発行のパンフレットより)

龍峰院
鎌倉三十三観音霊場(かまくらさんじゅうさんかんのんれいじょう)29番札所。徳治2年(1307年)につくられたとのこと。

dsc_0724
建長寺はやたら龍に関係したものが多いな・・・龍=凄いってことなのかしら。

龍峰院前の紅葉
紅葉がキレイな場所でした!

建長寺も広くて写真が多すぎなので、最下部に他の写真を張っておきますね!

建長寺の歴史について

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建長寺(けんちょうじ)は、禅宗(ぜんしゅう)のお寺です。

臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)の大本山(だいほんざん、本部ですね。)

山号を巨福山(こふくさん)と言い。正式な名前は建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)。

鎌倉時代1253年に建てられ、本尊は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)で、鎌倉幕府第5代執権の北条時頼(ほうじょうときより)が創建しました。

初代住職は禅僧蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)鎌倉五山の第一位。

お寺の境内は「建長寺境内」という形で国の史跡に認定されました。

当時は北条氏の権力基盤が強まり、京都朝廷の権力は弱体化して鎌倉が日本の中心地となっていました。

建長寺が建つ山ノ内は北条氏の本拠地で、幕府のある鎌倉の中心からは山一つ超えた所にあって、鎌倉の北側の要でした。

建長寺の境内が広がる谷は、もともと「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を本尊とする心平寺という寺が建っていたそうです。

鎌倉のお寺で良く祀られている釈迦如来(しゃかにょらい)ではなく地蔵菩薩(じぞうぼさつ)であるのは、こうした事情によるものだそうです。

禅の道場として建長寺は、聖福寺(北九州)の次に古い場所だということです。

初代住職の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は1262年に京都の建仁寺に移ったが2年後に鎌倉に戻って建長寺に復帰。

当時の政治状況により中国より招かれた道隆は中国側のスパイと疑われたためか、山梨県に流されたこともあった。

のちに許されて鎌倉に戻り、1278年4月、建長寺にまたまた復帰!(ご苦労様です( ^ω^)・・・)

同じ年の7月66才でお亡くなりになられました。

その他鎌倉などのスポット情報です!

限定公開の庭園と明月院

北鎌倉の「円覚寺」もオススメです!

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感想まとめ&臨済宗「建長寺」基本情報

良い天気に恵まれた鎌倉散歩でした。

とにかく敷地が広大で見学するのに骨が折れた・・・さすが鎌倉五山第一位ですな。

ちなみに野菜をごま油で炒めたしょうゆ味の「けんちん汁」はここ建長寺が発祥なのだとか・・・

初代住職の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が野菜の皮など本来捨ててしまっているものを無駄にしないようにと発案したのだとか。

もとは建長寺にちなんで「建長汁」これがなまって行き「けんちん汁」となったという事です。

臨済宗総本山「建長寺」の基本情報

住所 〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内8

TEL 0467-22-0981
定休日 なし

拝観時間 8:30~16:30

拝観料 大人300円、小人100円

駐車場 (20台ほど 1時間600円)



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建長寺縁起

建長寺は巨福山建長寺国禅寺(こふくさんけんちょうじこくぜんじ)といい、鎌倉五山の第一位、臨済宗建長寺はの大本山です。

今から約七百六十年前建長5年(1253年)に鎌倉幕府5代執権北条時頼(1227~1263年)
が建立した我が国最初の禅寺です。

建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は、中国の高僧無明慧性(むみょうえしょう)に学び、寛元4年(1246年)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺迎えられました。

蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導しました。

その教えは現在国宝として寺に残る「法語規則」にみることができます。

「鞭影を見て後に行くは即ち良馬に非らず、訓辞を待て志をハッスルは実に好僧にあらず。」(法語規則)

蘭渓道隆はその後、京都音建仁寺、会の東光寺等にも移り、弘安元年(1278年)に再び建長寺へ帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜りました。

これは日本で最初の禅師号です。尚、「建長汁(けんちんじる)」は建長寺発祥の料理です。

北条時頼は、建長寺を建立し、大覚禅師や、第二世住職兀菴普寧(ごったんふねい)に師事し、禅の教えに深く帰依しました。

また時の権力者として経済的にも建長寺を支え、全国的に禅宗を広め、自らも出家して法名を覚了房道崇(かくりょうぼうどうすう)と名乗りました。

建長寺の伽藍

創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅宗寺院を模したもので、総門、三門、仏殿、法堂、方丈などの主要な建物が直線にならび、左右に大禅堂、大食堂(だいじきどう)を有する寺院でした。

その後、14、15世紀に起こった数度の火災により、その多くが消失してしまいました。

江戸時代に入り、高名な沢庵和尚や金地院崇伝(こんちいんすうでん)の進言、徳川幕府の後援などによって、再建復興し、平成15年の創建750年事業によって現在の姿を迎えました。

本山の地に塔頭12院を数えます。

(建長寺発行のパンフレットより引用)


そのほかの写真も見てみて下さいませ。

建長寺 天源院
天源院(てんげんいん)静かな空気。

dsc_0726
正統院と龍峰院への道
紅葉がキレイ。なんだかふたつの写真が合体したように見えます。

正統院前の紅葉
ちょうど紅葉がキレイなタイミングでした。

正統院の山門
正統院
ここ正統院はもともと浄智寺にあったが、鎌倉時代に建長寺に移されました。

境内の墓地には戦争で亡くなった特攻隊が祀られています。

「神雷戦士之碑」が1965年3月21日に建立され、特攻による戦死者829名と特攻機のテスト機殉難者の氏名や階級・出身地が刻まれています。

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