考える考えない(8) 苦しみに「触れ」「心」を解放せよ!?

小池龍之介著「考えない練習」要約シリーズもあと数回となって参りました。

前回は「捨てる」ことについてでございました。

前回の記事へ

今回は

触れる

ことについてでございます。

「触れる」というとみなさん何を想像しますでしょうか?

具体的な物であったり人を連想しがちですが、ここでは例えば「衣類や空気、地面」などのことでございます。

今回は、仏道的な見解からの触覚に注意することについてであります。それを通じ「集中力」「観察力」なども養えるとのこと。

集中力が切れたら、今触れているものに感覚を向けてみる

普段我々が働いているとき等、記事を書いている現在の私であればパソコンのキーボードであったり、足が地面についているなど・・・常に肌に触れているものに「触感」を感じているはずです。

わたしなど記事を書くためにずっと座っていますと、集中量が段々低下してきます。

そういう時には、座っているイスがお知りに触れる感覚、背もたれの当たる背面の感覚などにじっと「意識」を向けると集中力が戻ってくっるとあります。(今やってみると確かにそのような・・・同じ事かもしれませんが、集中が増すというより、散らばっていた意識がニュートラル、平常に戻るという表現が私にはしっくり来ました。)

パソコンで肩がこったなら、こって痛い部分に「意識」を向けてみます。そうすると、体がこわばっていたり、変な姿勢になっていたりすることに気が付きます。

自分がおかしな事をしているなとわかると、面白いもので姿勢が正され変わってくるとのこと。

まずは自分の姿を認知できないと、変わることができないのであります。

ですので、普段は見過ごしている些細なことに「意識」を向けてみることが、自分自身へのコントロールを取り戻すきっかけになってくるのでございます。

働いていれば、職場での人間関係へのコミニケーション、電話もかかってくれば、今日取り掛からなければならない作業があったりと、様々な「心」への負担が発生します。

そういったときに先ほどの、「触れているものへ意識を向ける」ことが負担を減らすことにつながると小池氏は述べています。

先ほどのパソコンのキーボードに触れることでしたら。普段は手に触れるキーボードの感覚もぼんやりしていると思います。

そこで、、「今キーを打った。」「離した。」などの感覚や、それによって力が入っている腕の筋肉。そういった「実感できる触感」へ「意識」を集めます。

すると、「意識」が「触れている」ものへ向かうため、直前まで感じていた。他人とのコミュニケーションによる余計な「考え」や今やる必要のない余計な事から「意識」が解き放たれます。

さらには、それでもどうしても集中できないときには、少しゆっくりと歩いてみるとよいとのことです。

これは、デスクワーク以外での掃除であったり、料理などでも今自分が「触れている」ものへ「意識」向けると他のことは考えなくなり、作業への集中が増してまいります。

小池氏は、このような体を動かして何かに「触れる」のはちょうどよい具合の「刺激」であるのだと述べています。

sponsored link


「触れる」ことを通して、自分以外の外的要因に左右されない「心」をつくろう

例えば、「夏」にサウナのように熱くなった部屋にいれば当然「暑さ」を感じると思います。

そうしたら暑いので冷房をつけます。当たり前の光景ですが、普段こうした流れを深く考えることなくしているのではないかと思います。

ぱっと見、体を冷やして気持ちよくなるという良い行動に見えます。

しかし、長期的に見た場合自分の意に合わないものを強引に直そうとする癖がついてしまうのだとあります。
「暑い」のは嫌だから、冷房で気に入らない「暑さ」を排除する。しかもボタン日一つでお手軽に・・・

こういった強引にかつ手軽に気に入らない物事を変えようとすることによって、少しでも気に入らないことがあると「あいつ、バカにしやがってぇ~。

ぶん殴っていうこと聞かせてやる!むきっー!!!あ、う〇こもれちゃったな・・・」となるのでございます。

そして長い目で見た場合、「忍耐力ゼロ人間」の出来上がりとなるのであります。

この場合でしたら、熱中症などにならない程度の少しぐらいの「暑さ」でしたら過剰に反応し排除しようとしない気持ちが必要で圧とのこと。

その時はどうするかといいますと「暑いな。汗が出ているな。」と冷静に暑がっている自分を観察するとよのでございます。

人によって様々な癖があります。「しょっちゅう髪を直す」とか「鼻や頭を掻く」などです。

小池氏は、ここで「触れる」感覚を鍛えるのにちょっと面白い方法をあげています。

痒さにすぐ反応せず、一呼吸おいてみる。

私など「一呼吸置いたら掻いてもいいですぁ!?」と思ってしまいますが、どういうことなのでしょう?

本の中で小池氏は

「今私は蚊に刺されています。二分ほど前からです。」(この方はドエムですね・・・)

「刺されている感覚に集中していると、蚊に刺されている!と緊張していないので、蚊も殺されそうだという恐怖を感じずにリラックスしてくれます。」

「早く血を吸って逃げないと、と感じませんから、蚊もリラックスしているので、人の体に急いで毒を注入しないように思われます。」
と述べています。
蚊に刺され手もかゆくない・・・大変すばらしい方法ですが、到底私のような凡人には難しいことです。

「蚊が血を吸っている!早く潰さないと痒くなっちゃうぅぅ!!!むきっー!!!あ、う〇・・・。」となる可能性大でございます。

先ほどは「蚊の気持ち」に寄り添ったないようでしたが、人間側からみますと「刺されたらかゆい、ああ嫌だ!」と私のようになってしまった場合。

自分から不快さを増すことになります。

そうすると、「意識」することによって「脳」へ「蚊に刺されることは痒く、嫌なこと。」と強く記憶されてしまい。

実際は微細な感覚であるはずの痒みが大変大きなものとなり、私たちを苦しめるのです。

そこで先ほどの小池氏のように、静かに痒みや、中々難しいですが蚊に刺されているのを冷静に感じ取ることによって、本来の「痒み」に対する過剰な条件付けを「脳」から排除することができるのでございます。

「痒み」を問題として捉えると、「怒り」の「煩悩」が現れ、「痒み」がなくならないといけないと「執着」が生まれてしまいます。
そうすると、ますます「痒み」が気になり「心」穏やかには生きられなくなってしまいます。

反対に、「痒み」を単なる「情報」なのだと捉え「蚊に刺されたな。痒いな。」と冷静に対処できれば、「痒み」を悪いものと決めつけていないので、「怒り」の「煩悩」に「執着」することもなく「心」穏やかに日々を過ごせるのでございます。

ここでは「蚊に刺されて痒みを感じる。」ことをたとえ話にして来ましたが、様々なことに対して「嫌だ嫌だ」という気持ちを感じることが少なければ少ないほど、生活は充実し、「幸福」へと近づいて行けると、仏道では説いているそうです。

私も今回勉強した様々な「触れる」感覚を利用して、不快な現状を、心地よいものへと変えて行こうと思います。
「触れる」編はこれでおしまいです。

次の記事へ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 脱ひきこもりへ
にほんブログ村

sponsored link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする