真面目は正しいのか?テキトーにダラダラやってみよう。

こんにちは。

暑い日が続いていますね!

日中は暑いけど、夕方の夏の匂いと涼しさは好きですね。

今回のテーマなんですが、「真面目」と「テキトー」です。

真面目に生きた25年と、それ以降のテキトー人生

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私は以前の記事にも書きましたが、公務員をしており辞めました。

そのころは非常に「真面目に」仕事をしていた・・・と思います。

しかし、その労力の割りに結果は出ていなかったと思います。

むしろテキトーに色々やっている現在の方が、人生楽しく行っている気がします。

あとは大金が入ってくればウハウハなんですが・・・

思えば記憶がはっきり出てきた小学校ころから非常に「真面目」ございました。

親から言われたこと、先生から言われたこと、社会の決まり事、他人の顔色を窺い生きてきました。

結果はどうなったでしょうか?

25年間目にして、鬱々となり惨憺たる結果となりました。

そもそも真面目とは何でしょうか?

答えは出ませんが、生まれてから25年までの「真面目」の定義は

「自分以外の価値観に従順なこと」

「自らの望みを二の次とすること」

という感じでしょうか。

良い方はいくらでもありますが、以前の自分を振り返りますと、不快感に常に身を晒していたんだなぁ・・・ということが分かります。

よくもまぁ25年も耐えて来たなぁと自分を褒めてやりたいくらいですね。

「不幸」で「不快」いるという習慣がしみ込んでいたんでしょう。

何故「真面目」でいることを辞められたのか???

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はっきりとした契機は覚えていないのですが・・・徐々に、いつの間にかテキトーな人間になっていました。

いくつか覚えていますが、その一つに「今までの価値観では絶対にやらないことを実行する」というのをやったような気がします。

最初はメチャクチャ怖かったですし、怖気付いてやらずじまいになったこともあります。

ホント何でもいいと思います。

「公務員を辞めた」というのは、今までの価値観に一番反逆したとは思いますが・・・やはり追い詰められると「窮鼠猫を噛む」って感じでキレてパワーが出ると思います(笑)

ホントくだらない範囲では「食べたいものから食べる」「風呂の水をバシャバシャ使う」とか、「ジャンクフードを食べまくる」とかです。

人によりけりですが、私の育った環境ではなんだか色んな世間の一般常識的な「良いもの、良いこと」が基準になっていました。

ですので、「食べたいものから先に食べる」と「あぁ、やっぱり腹減っている食べ始めに食った方が美味いな!!!」とか軽い感動と興奮を覚えたような記憶があります。

他の二つも「水がもったいない」とか「ジャンクフードは体に悪いからダメ」とか色々な価値観を自分にインストールして生きて来たんだなぁと実感できて面白かったです。

勿論「価値観を変えられる」と実感したら、もうやってもやらなくてもいいと思います。

「食べたいものを先に食べてもいいし、あとから食べても良い」

「何を食べても、どういう順番で食べても良い」

「自由に食べればよい」

みたいな感じに、価値観という限定を解除していければ、楽に生きられるんじゃないかなぁ・・・と思います。

テキトーは楽しい!良いことが起こってくる・・・実感があります。

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テキトーということですが、先に書いた「真面目」と同じく、その言葉に自分がどのような「定義」「意味」を与えるかだと思います。

ここで言う「テキトー」というのは「必要のない避け得る、嫌なこと、不快なことには関わらない」ということです。

昔の自分でしたら、そんな人たちを見て「テキトーだと?こんなに社会の世間のルールを守っている俺様を差し置いて自由に振舞うなんて許せん!喝!!!」

と憤慨していたことでしょう。

そのまま生きて、還暦を過ぎたら「憤死」すること間違いなしです。

そもそも「適当」という言葉の意味は良いものだったはずです。

今調べてみますと、

「ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。度合がちょうどよいこと。」

などとあります。

ですので「テキトー万歳!!!」なのです。

そういう自分でいられるようになってくると、私の場合ですが

「以前より人に親切にされる、人が寄ってくる」

「失敗に対する恐怖が減った」

など・・・他にもありますが、自分視点でみて好ましいことが起きるようになったかなぁという感覚があります。

「え?なんで親切にしてくれるの???」

と思ったりすることが多いです。

以前であれば

「何か裏があるのでは・・・」「実は馬鹿にされているのでは・・・」

なんて考えていた気もしますが、現在では「テキトー」なので

「ま、親切にされているのは悪いことじゃないし理由はどうでもいいや。」

みたいな感じで

「どうして親切にされるのか」「どうやったら親切にされるのか」

というようなことは考えなくなりました。

再現性や意味を求めなくなったという感じでしょうか・・・「物事は起こるままにさせておけばいいか」という感じです。

まとめ

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今回は「真面目」と「テキトー」の個人的体験を書いてみました。

分かりやすいかは、読まれる方にお任せするよりありませんが、なるべく理解して活用していただけるよう精進して行きたいところです。

「テキトー」と言えば高田純次さんが思い起こされますが、知り合いで何人かご本人に会われた方がいます。

みんな「すごく親切で良い方だった」と言ってました。

このことは私的にも凄く共感する次第でありまして、

「真面目」さを前面に出す奴ほど「テキトー」

「テキトー」に見える人ほど「真面目」

だと思っております。と

「真面目」と「テキトー」言葉の「定義」を決めるのは自分次第でございます。

というお話でした。

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コメント

  1. ocean より:

    お初お目にかかります。oceanと申します。
    真面目とテキトーに関する見解、ひとしきり拝読させていただきましたが目から鱗で、かつ共感しうる点も多かったです。
    私も真面目を選ぶほうで、まず防御という姿勢で事に当たることが多かったのですが、いざ社会に出てからは必ずしもそれが正解ではなかったというケースに何度も遭遇しました。真面目のせいで必要以上に自分を責めて心まで深く傷ついては本末転倒ですよね……。
    真面目が防御ならテキトーは回避って感じでしょうか。
    テキトーに、気楽しむ姿勢ってじつはモチベも上がるし、これもまた人間ならではの感覚というか心の力みたいなものが作用しているような気がします。

    これからも記事楽しみにしてます。がんばってください!

    • ダーシヨ より:

      oceanさんこんにちは。

      記事の内容がお役に立ったのならうれしいです。
      真面目でいて苦しいなぁということが多ければ、少しずつテキトーにしてみと楽になるかも知れません。

      自分自身の体験から、そういえば、こうしたら楽になったなぁ・・・という事を書いています。
      読んでくれた方が使えそうだと思ったら試してみてもらえたと思います。

      記事の内容が楽しんでもらえて、モチベーションとなっているようでしたら嬉しいです。
      これからもゆるゆると頑張って参ります。
      ありがとうございました!