考える考えない(2‐2)  「怒り」を見つめ「心」を取り戻せ。

前回からの続きです。

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仏道の「見つめる」という方法について述べる手前でした。

早速行きます。

「見つめる」とは!?

何かにムカついて「怒り」の煩悩が湧いてきたら、この「ムカつく」と言う部分をカギかっこでくくってしまいましょう。とのことです。

この時、ムカつき怒っていることがこの世で究極の一大事と認識しているので、その「ムカつく」という感覚を「」することで抜き出し客観的に観察してやろうという方法です。

私の受け止め方ですと、怒りに駆られ見苦しい醜態をさらしている

「自分自身」を、イメージの中で

「他人の如く扱い見る」ことによって、

「怒りの感情」合体していた

「心」を引きはがすという感覚でしょうか。

コスプレすると人格が変わってしまい大胆に振舞える人も、衣装を脱がせば元通りの正確になるように、

「怒り」という衣装をきて「ムカつきマン」という怒りを振りまくキャラクターに取りつかれているので、

その「怒り」という衣装を脱がして元の「心」に戻ろう。みたいな感じです。

起きている事柄に対して、数ある捉え方の中の「ムカつく」という一面を重視しているのだと自分で認めること。

そして、その感情を見つめ、そのまま受け入れます。

第三者として自分を俯瞰して見ることによって、肯定も否定もせず観察し、反射的に起きているいつもの反応を止めようということでございます。

「口惜しや!七代先まで祟ってくれよう。」→「ああ大分怒ってるな。七代先までなんてご苦労なこって。」

不快な出来事が起きる毎、このように自分に対し客観的に思えば良いという事であります。

これを繰り返すと段々と「思考」が暴走せずに「意識」が明朗となること必死でございます。

クリアな「意識」を取り戻せば必ずや、現状に対し良き判断が下せることでありましょう。

以上が小池氏の提案する「見つめる」という仏法の秘技であります。

自分を取り繕う言い訳は、相手の苦しみを増してしまう

次に「話す」ことについて書いてありますのは、先程が自分への損害だったのに対して、「話す」ことの他人へ与える影響を説明してくれています。

例えば仕事をしていて、結構重要な仕事を手掛けていて、ちゃんとできているか気になり心配になってしまった時に「脳」に刺激が走ります。

「今日はちょっと体調が悪いから、もしかしたら抜けてるところあるかも知れないわ。」等と言ってしまうでしょう。

この言葉の意味は「本調子であれば僕は完璧にできるんだ。僕は凄いんだぁぁ!!!」という事ではないでしょうか。

聞かされる方はたまりません。機嫌を損ねないように度々フォローしないと行けませんから、くたびれます。

そして、一度こういったことをすると「脳」はこの刺激の快感を覚えていて、事あるごとに言い訳を繰り返すようになって行きます。

いつも「まだ本気出してないだけ。」見たいなことを繰り返すことになってしまいます。

「話す」ことの他人に対する害

先程の言い訳を繰り返す人と接するとき、他人はどの様な「刺激」をうけているのでしょうか?

例えば仕事の言い訳をする者に対して、「そんなことないよ。よくやっているよ。」と言ったとします。

この時本当は「毎回しくじりやがって!」と思っていたとしたら、声に出した言葉と、心の中の言葉が一致せず欺瞞を感じしっくりこない感覚になって行くことでございましょう。

しっくりこなくて嫌なはずなのに、「脳」にとってはこれも大好物の「刺激」になるとのことです。

本来相手をフォローしてあげていただけなのに、段々と言い訳している相手と似たような「刺激」の回路が出来上がってしまいます。

このように言い訳をしていると、他人も巻き込んで不幸になってしまうようであります。

では言い訳もとい状況説明などすべてがNGなのでしょうか?

誠実な言い訳で相手の苦しみを軽減するのはOK

例えばこれから会おうという友人、恋人を大遅刻して大分待たせたとしたら、相手にとっては「こんなにまたされてないがしろにされるのは、自分にあまり価値を見出してもらえていないからかな・・・」などと言う「煩悩」を生んでしまいます。

こういう時には「遅れたのは、あなたを軽く見ているんじゃなくて、~の事情があって遅れてしまったのであります!」

と傷口を縫合してあげる。こういうことに対する言い訳説明は大丈夫だそうです。嘘も方便と言うやつでしょうか。

ただ明らかな嘘はやめてくださいと・・・そんなんわかるがな!

条件として

「自分の行動が原因で、相手に苦しみを与えている。」

「嘘のない言い訳を伝えることにより、相手から苦が取り除かれることが確実。」

であればOKとのことであります。

出来ることなら、言い訳などしないで入られる状況が好ましいですね・・・

悪口は結果的に自分の心を汚してしまう

仏道では心をコントロールすることが初めの基本であるとのことです。(基本がすでに難し杉)

小池氏は前々回の「八正道」に続き「十善戒」と言うのを紹介してくれています。

一、不殺生(ふせっしょう、生命を殺さない)

二、不偸盗(ふちゅうとう、与えられぬものを取らない)

三、不邪淫(ふじゃいん、浮気をしない)

四、不妄語(ふもうご、事実に反したことを言わない)

五、不悪口(ファックふあっく、ケチをつけたり批判をしない)

六、不両舌(ふりょうぜつ、ネガティブな噂話をしない)

七、不綺語(ふきご、他人に無駄話を押し付けない)

八、不貪欲(心の中に欲望をつくらない)

九、不瞋恚(ふしんに、心の中に怒りをつくらない)

十、不邪見(無常、苦、無我の法則を知る)

十のうち四つが、「話す」ことに関することであります。

「不悪口(ファックふあっく)」

は人の悪口を言わないという事だそうで、なぜ悪口を言ってはならないかと言いますと、相手が悪口により傷つこうとも傷つかなかったとしても、言った本人には怒りの毒素が生まれてしまい、怒りの煩悩によるエネルギーが増えていくとのことです。

口にした本人に、その言葉の持つ強い刺激が、「脳」に「心」にフィードバックされ、強く苦しみを感じ汚れていってしまうのでございます。

「脳」は「私、あなた」などの主語を理解せず、音声のみ受信すると言いますよね。

人から言われなくても、自分が自分の発した言葉を聞いていると・・・

批判や悪口で、自分の株を下げないように体裁を取り繕ってみても、実際は自分が「怒り」を増幅し「煩悩」という負債を抱える羽目になっていくとのことであります。

職場などでよくある、悪口大会や、噂話大会はお互いを地獄の底に突き落とすようなので、即中止が吉でございます。

他にもまだ「話す」部分について色々分けて書いてあるのですが、前編通しての主張はどうやら

心で思っていることと、実際に声に出して話すことを一致させよう。食い違いをなくそう。

ということの様です。

これに気を付ければ、「心」に「煩悩」という邪念が発生することなく、こころ清らかに生活ができるという事であるようです。

これで「話す」については終了しようと思います。

次回は「聞く」ことにてついて、まとめてみようと思います。

軽い気持ちで始めたら大分、手間が掛かるのであります!

面倒だなぁと「煩悩」が発生しそうですが、無理せずまとめて、読んでくれた人の「迷い」への一助となれば、是幸い。

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