考える考えない(5) 「読み書き」で「悩み」から抜け出そう。

大分続いてましりました。このコーナーあと数回で終わりを迎えそうです。

息切れして来そうですが、続けます。

前回は、「見る」ことについて要約いたしました。

前回の記事へ

今回は。

「書く」「読む」とは

でございます。

インターネットや電子メールの登場により、ここ20年ぐらいでコミュニケーション方法は劇的に変わったとあります。

小池氏は、人と繋がっていたい、人に受け入られたい、このような欲求が巨大なマーケット(市場)を形成して巨額のお金が動いていると述べています。

仏教の十善戒の中の「不綺語」つまり無駄話をしないことが含まれています。

無駄話にとって何の得もない話、社交辞令的な相槌をしなくてはならないものとされているようです。

現代ではとても無駄話が多いと、小池氏は言います。

会話を有益な良いものにする為に、今よりも30パーセントぐらい減らしてみることを勧めますとあります。

こうした背景に潜むのは、「人に受け入られたい、嫌われたくない。」という「慢」によくであり、特に最近はこの「人に受け入られたい。」欲求がお金を産むものに深く結びついているとのこと。

携帯やメール、SNS、こういったブログもだと述べています。

特にブログは元々ネット上の、気になる情報を記録しておくのが本来の役目だったそうです。

今では、日記形式のものが増え、自分を表現する手段となってきたとのことであります。

本書に載っていますが、総務省の2008年データでは、一か月に一回以上記事が更新されているのは、全体の二割弱だそうです。
(総務省はTVの放送権利の元締めでしたね・・・インターネットもチェックされているんですね。オソロシア。)

ブログを始めたけれど、更新できず放置している人がたくさんいるということで、「人に見てもらいたい。」と思って始めて見たものの、特別な面白さや個性がないと見てもらえません・・・と小池氏は述べています。

折角書いたのに、誰も認めてくれない。寂しく虚しい・・だから書いてプライドが傷つくくらいなら放っておく、そこに「煩悩」を育ててしまう側面がある事を自覚しておいた方が良いとのことです。(私も耳が痛いのでございます。)

例えば、ブログにコメントがもらえたら誰でもうれしいと思うのではないでしょうか。そこで問題が生じるとあります。

記事を書くときにドキドキしたり不安を感じながら苦労して書いた「苦しみ」がマイナス10ポイントとします。

そして、人に見てもらえた時に嬉しさを感じたりするとプラス10ポイント得られるとして、先ほどのマイナス10ポイントが消えるとします。

すると、「心」は無意識に「苦しみ」のおかげで快楽を味わえたから、「不安」「苦労」は良いものだ。

もっと苦しめばもっと快楽が味わえるなら、更なる苦しみを得てやろう。と癖づいていってしまうとのことであります。

誰も望んでいなのに、自ら進んで苦しみを味わう、ドМ野郎になりストレスが増えて行く。どんどん雪だるま式に「苦しみ」を増やし「いつも良い記事を書かなければいけない。」

というプレッシャーに耐えられなくなると、書くことを投げ出してしまいます。(私もテキトーに書くよう心がけます。良い意味で適当に・・・)

ミクシーなどのSNSにも言及しています。(この本が出たとき流行ってたのでしょう。今ならフェイスブックやら色々ありますね。)

友達に登録した人の日記を読んで、コメントしたりと友達ごっこに忙しくなり。増えれば増えるほど自分の負担が増えていきます。

自分も日記を書かないとイケナイ・・・書いたある事が興味なくても「興味がない」とは言えないので自分の気持ちに噓をついて苦しみの「煩悩」を増やしてしまうと、小池氏は述べています。

これも今までの章でもあったように、自分の内側の「心」と外側の「言葉」などの表現が一致せず「苦しみ」が増えてしまうという事ですございます。

相手に嫌われたくない、相手を無視するような冷たい人と思われたくない。嘘をついて興味あるふりをする人間ではないんだと思い込んでいるとそうなるらしいのです。

恥の意識を持たない「煩悩」これを仏教では「無慚(むざん)」と言うとのこと。「慚(ざん)」というのは「恥」のことであります。

「無慚」とは恥を感じなくなっていき、良くないことを平気でしてしまえるようになる「心」の働きで、先程の興味がないのにあるふりをしたり、自分の行動を見て見ないふりをする誤魔化しも「無慚」であるということです。

もしブログを書かれる方がいたら

自分がこのましく感じることのみを書き、ネガティブなことは書かないという事を小池氏は進めています。

(私の解釈で恐縮でございますが、ここで言う好ましい事は、自分の良いと思っている意見私見を述べる事でなく、万人にとって好ましく利益がある事と言うことだと存じ上げます。)

それから、自分のブログ等に、良いものでも悪いものでもコメントがあったり、アクセス(見てくれる人)の増減に一喜一憂しないでいるの
が大切です。

過剰に反応するたびに、「人に受け入られたい。」「悪いコメントに対してやり返してやりたい。」等の行動は「煩悩」が増々増えていき「心」が歪み疲れて行ってしまうとのことです。

他にもSNSなど「匿名性」のあるものは、言いっぱなしにできるため「怒り」の「煩悩」が刺激されるとあります。

「誰かを攻撃したい。」という「怒り」に結びつきやすいので要注意なのであります。

「匿名性」に守られ、自分がそんなにひどい人間であると思われなくてすむ先程書きました。自分をだます「無慚」の状態です。

これは本来の自分ではないと思いつつ出している憎悪こそが普段出てこない本当の自分であると小池氏は言っています。

刺激的な言葉を書き込む度に「怒り」の刺激を感じ、「脳」がその刺激による「苦しみ」を「気持ち良い」と捉えていきます。

こうなりますと、憂さ晴らしをしたつもりが、行為を繰り返すたびに癖づいて行ってしまうのであります。

こういった「快楽」は実在するものではなく「苦しみ」が減った時に「脳」が楽になったと勘違いするのだとあります。

これを仏道では「一切皆苦」の真理であるとのこと。

一度「快楽」を覚えるともっともっととより大きな刺激を求め苦しみが増々大きくなるということでございます。

こうした読み書きの害が挙げられていますが、インターネットなどを使わなければ基本的に書くことは自分の考えの整理のためにお勧めであると、小池氏は言います。

「書く」ことで感情を見つめ考えを整理する

自分が読み返す為だけに日記をつけていくことが良いそうです。

人に見せるネット上の日記などは、自分を客観的に捉えにくいのですが、取り繕わずあるがままに書ける人であれば問題ないとのこと。

自分の評価が下がるようなことは書かなかったり(書きたくないぃー!)何となく自分の都合の良いようつくってしまいます。(このブログそうかもしれません・・・)

「いついつ~があった。そして~になった。~と思った。」こんな感じで淡々と書くことを勧めています。

「おのれ!バカにしおって!ムキーッ!!!あ、う〇こもれちゃったな。」と感情的に書くのは良くないとあります。

淡々と書く中に、感情の起伏が後で見返してわかるように、感情レベルの大小を自分で付けておくと良いかもしれません。(怒りMAXとか怒り小とか・・・なんでも良いと思います。)

数か月、半年と続ければ、自分の調子の流れも把握でき、より客観的に自分をコントロールして行けること請け合いとのことです。

私も「書く」ことで大分自分を見つめることができました。

私のような「煩人」にとっては「書く」ことを通してしか自分を客観視できませんでした。

頭で考えてもすぐ、別のこと考えたりして忘れてしまうのであります。

色んな発見があるので、生きづらい方には「書く」ことで自分を理解していくことは大変おすすめでございます。

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