考える考えない(9) 優しさを捨て「慈悲」を「育て」よう

長らく続いてきた「考えない練習」要約シリーズ。今回の第九章で完結となります。

前回は「触れる」ことについて学んで参りました。

前回の記事へ

今回は

育てる

無駄な「考え」をなくし、「心」をコントロールする上で、最後の練習として「慈悲の心」を育てつつ、自分そして他人を育てるということについて書かれています。

「慈悲」という穏やかな心持は、他人にはもちろん自らをも癒し鎮める特効薬であるとのことであります。

しかし、世の中にはまがい物の「慈悲」ばかりである。と小池氏は嘆きます。
どういうことなのでしょうか。

例えば、目の前に困っている人がいたら助けないとイケないと思ったり、何かアドバイスしないとイケないと感じ、「親切」にしたくなってしまう。

「心」の動きは、一見やさしさにあふれて見えますが、実際は「脳」にこびりついた「考え」から来る条件反射であるといいます。

例えば、私が以前職場をやめた時など、「辞めます。」と言った途端に先輩やら上司やらが集まり、「なんで辞めるんだ。」と様々な意見励ましなどをされました。

しかし、みんな勝手に言いたいことを言うばかりで、当事者の気持ちになって話す人はほぼいませんでした。(そのおかげでやっぱ続けようかななどと思わずに辞めれたので、ある意味ありがたいのですが・・・)

これは、やられる方はたまりません。公開処刑されているような気持で、ぐったり消耗してしまったのでした。

こういった事を小池氏は、ある意味ハイエナのようであると述べています。弱っているかわいそうな人を、自分が立ち直らせてあげることはとても気持ちよい。自己満足であるということ。

「こいつを立ち直らせたのは、私だ!あぁ気持ちい!!!はぁはぁ・・・」と「心」は「煩悩」に支配されてしまい。相手のことなど考えず、説教を垂れている自分に酔う哀れな人間になり果てるのでございます。

では、もし困っている人がいて相談に乗るようなことがあったら、私はどうしたらよいのでしょうか?

あなたのためという、しつこいアドバイスをしない

わたくしの経験上、実際に困っている人のためにできることなんてほとんどないと思います。
本書にも書かれていますが、困っている人にできる大切なことは、「静かに」してあげることだけだとあります。

「さあ、全部聞いてやるぞ!話せ!!!」というぶしつけな態度でなく、本人が話したくなるような「静かな場」を作ってあげることです。
丁寧に耳を傾けていれば、そのうち、話したくなったら話し始めることでしょう。

その為には、相手がリラックスしこちらが敵でなく安心できる存在であると感じることが重要なのであります。

決して、相手の意見を否定したり、わざと肯定したりしないことが大切です。偉そうな意見というのは相手の「心」に響きません。
親切のつもりで「ここを直せば良くなるんじゃないの?」と言ってみても相手からすれば、

「間違っている」と否定されたことになり。ありがた迷惑となることは必至でございます。

相談した本人が何に困っているのか、何を望んでいるのかが明確になるまで静かに話を聞くことが大切であります。

そうしたう上で、もしアドバイスするようであれば、その人の「やりたくないこと、こうあって欲しくないこと」と「やりたいこと、こうあって欲しいこと」を

自分目線でなく、相手の立場に立って踏まえた上でするべきでございます。

そうして話してると、本人が話したこと先ほどの「こうあって欲しくないこと、こうあって欲しいこと」などの前提とつじつまが合わなくなって来たりします。

その時には「なぜそうしたいの?」「どういうことか詳しく聞かせて欲しい。」等と静かに本人が「考え」をまとめられるような聞き方をするとよいとあります。

相手の相談が「ただの愚痴」に終わらぬよう。本人が「考え」を整理し自分へのより深い理解「自己認知」を得られるように協力することが大切です。

相手も話すうちに、自分の話の「矛盾」や「イメージ」が変化します。

そうした流れを経て出された結論は「自分が考えたもの」と相談した本人は思いますから、否定されたようには感じないのとのことです。

自分の意見を押し付けない

先ほどの例では、「静かに」話を聞くことの説明でした。

しかし、現実には多くの方はそれすらできずに、弱っている相手の話をよく聞かないうちから自分の意見ばかり述べてしまうとあります。(心あたりアリアリなのでございます。)

人は自分が優っていると思いたい、認められたい欲望を持っています。

弱っている人を見つけると、その欲が刺激され、話も聞かずに自分の意見ばかり述べるようになります。

しかも、その反応は「無意識」に「反射的」に起こるとのことです。

「自分の意見は正しい、間違っていない。」と思い込みその見方を強化したがる。これを「見」の欲であると説明されています。

自分の意見が認められると「見」の欲が刺激され、自説をぺらぺら話したくなります。

普段は他人の反発を恐れて、意見を言うことは抑制されているそうですが、困っている人にたいしてしたことを、「人助けなんだこれは。」と誤認し反応してしまいます。

自分への自画自賛が増幅し、自分に対する抑制心が弱まり暴走してしまうとのことであります。

こうしたことをしないためには、何度も出て来ますが、こうしたことが起きる「心」の仕組みをあらかじめ知っておくことが大切でございます。

困っている人を見ると、「親切」という言葉の影に隠れて、べらべら喋りまくりたくなる「見」の欲望が出てくるのだと認識しておくだけで、「あ、自分の意見を相手ことも考えずにベラベラやっている。」と自分を客観的に観察することが出来るようになって参ります。

困っているのに、聞きたくもない話をまくし立てられる方はたまらんのであります。

自分の「心」に潜んでいる。「見」の欲望に支配されぬよう、冷静に自分を観察し、相手の「苦しみ」に目を向けることが大切です。

相手を本当に思いやるためには、冒頭にあった「慈悲」が必要になります。

これは本当に勘違いされているようで、人のために泣いたり悲しんだり、同情するということではありません。

誰かの為悲しんでいても、自分を支配しようとする「煩悩」を断ち切らなければなりません。

感情に任せ、嘆き悲しむ「優しい私」をなくすことが大切です。すると残るのは、ただひたすらに相手の「心」の平穏を念じる気持ちしかありません。これが「慈悲の念」であるということです。

「慈悲」に目覚め、偽善をなくせば、相手も自分も苦しむことはなくなるのでございます。

今回の「育てる」編ですが、かなりこの部分の内容が多いので続きは次回にいたします。

おそらく次回で「考える練習」要約シリーズもおしまいとなる予定です。

よろしければあとちょっとだけ、お付き合いくださいませ。

次回へ続きます。

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