考える考えない(3) 「聞く」ことで「洗脳」を解く。「縁起」も良好に。

またまた続きでございます。

小池龍之介氏の「考えない練習」の要約シリーズですが、前回は「話す」ことについて書いてまいりました。

前回の記事へ

今回は「聞く」ことについてです。それでは始めます。

「聞く」とは!?

前回の「話す」ことにも通じますが、今回は人の声だけなく「音」に対する説明をされています。

普段何か「音」が聞こえると、次に「これは何の音だろう?」となり「あぁ〇〇の音だなぁ。」そして「馬鹿者!うるさい!!!」などとなります。

説明も回を重ね、お馴染みになって来ました。インプットに対して反応が連鎖することですね。

イラついている時など、モノに当たってスッキリしよう等としますと、モノに当たって自分が立てた大きい「音」にさらにイラっとしてしまった。

そんな経験がお有りかもしれません。私は数えきれないほどあります。

この大きな音は「怒り」を増幅させ大きな「刺激」となり、心にこびりつくとのことです。

小池氏は普段から我々は「洗脳」の脅威にさらされていると言われています。

それはTVコマーシャルであったり、刺激の強い衝撃的な映像であったりです。昔戦時中の日本ではラジオが利用されたりしていましたね。

単純な事を「繰り返す」と人間は自発的にそう考えたかのように錯覚していくとのこと。

原理はこういう事なので、良い方向に自らを導いてくれることは「良い洗脳」とでも言えましょうか。

様々な団体や組織がこういうことをしているのでしょうから、無自覚に情報を刷り込まれては危険でございます。

最初の洗脳は「両親」次に「学校」などのコミュニティでしょうか。それが「良い洗脳」であれば最高なのですが・・・

これはTVの等だけでなく、常に怒鳴ったりする人のそばにいても影響を受けがちになるそうです。

怒鳴っている「言葉や音」が「脳」に刷り込まれてしまうということですね。

自分をどのような環境に置くかよく考えるべきであると、述べられています。

小池氏は、こういったことを避けるために、「音を立てずに動く練習」をすることが大切と説明されています。

戸を開けるとき、モノを置いたり動かしたりするとき、道具を使うときなど、音を立てぬよう意識して行くと、動作も丁寧になり動きが美しくなっていくとのこと。

理にかなったものは美しく見えるなぁと思う今日この頃でございます。

「諸行無常を聞く練習」で意識を研ぎ澄ます

なんと!突然このように出てきました。愚か者の私は「諸行無常ってなぁに??」となりましたので調べました。

「諸行無常」→仏教の言葉であり、この世のすべての現実(起きていることも、目の前にある物なども)は全て留まることが出来ずに、やがては形を変えて行ってしまうこと。

変わらない安定している物や事なんてあーりましぇん!

ということです。

例えば、先ほどの「大きな音」や人同士であれば「おだてられ気分が良くなる」ような話など。
こういうタイプの「音」は「心」や「脳」の大好物ですぐに反応してしまいます。

逆に「時計の針の音」や、昼間は聞こえないのに夜寝るときになれば「蚊の羽音」など、こういった微細な刺激は、普段より大きな音などにかき消され聞こえてきません。

気になった一瞬は「時計の音がうるさいなぁ」等と反応しますが、「心」は大きな刺激が大好きですので、「心配事」であるとか「眠れないから明日寝不足で仕事になったらどうしようか」などと深刻な方へとさまよい出します。

これを止めるにはどうしたらよいのでしょうか?

本の中で、普段色々な人がしていることの一つに、音楽プレーヤー等で興味のある音を聴いて、他の不快な音を遠ざけるという事を上げています。

しかし、これは「つまらない音を受け入れない」ことが「心」に癖付き、またまた「インプットにされた刺激に対する決まった反応」が一兆あがりとなってしまうとのこと。

そして「微細な刺激変化に集中する力」が確実に損なわれるとあります。

そこで小池氏は一つの提案をしています。

一つの音に集中して聞く

例えに出ているのは、風の音です。風の音なんて微かなもので、ボケっと聞いていれば特に興味を惹かれることのない、つまらない音でございましょう。

この微細な音に集中してしっかり聴きとろうとすればどうでしょうか?場所や天候でも違うでしょうし、「様々な変化」がそこに聴きとれるのではとないでしょうか。

集中を続けていると、「刺激」によって淀んでいた「意識」がクリアに晴れて爽快感が感じられるようになるとのことです。

私は「海の波の音」何かを聞いているとこの感覚が発生します。自然の音が癒されるのはこういう事なのかも知れません。

こういった様々な微細な「諸行無常」な変化を観察していくとより、「意識」が敏感に鮮明になってくるとのことです。

普段から「大きな音」「つまらないモノを受け入れず遮断する」ようなことを続けていくと、人の話などもしっかり聞けなくなるようです。

人と話すよりも大きな「刺激」に慣れてしまっているので、「脳」は物足らなく感じるとのこと。

大事にしたい人や、話があるときなどは心を静め、先ほどの微細な風の音などに集中するよう心がければ、自然と「脳」も「心」聞く体勢になってくれ、しっかりコミュニケーション取れるとのことであります。

仏教では全てが一つの流れでつながっていると考え、これを「縁起」と呼んでいます。

ですので、その時だけちゃんと振舞おうとしても上手くいかないのは、小池氏からすると当たり前のことの様です。

言われると「はぁ~ん。そうだよねぇ。」なんて思いますが、聞くとやるでは雲泥の差でございます。

私など本を読んで、昔より数ミリマシになったかなぁなんてくらいです。

ですので、普段の行いを一つ一つ丁寧に行っていけば、自然と「流れ」ができて他の事もうまく行くようになって行くようであります。

ここまでの流れを受けて話はコミュニケーションに向けられます。
相手の苦しみを観察することがコミュニケーションの基礎
このように小池氏は述べられています。

私たちは人の話を聞く時に、話されている内容に着目し過ぎているようです。

ですが、大抵の人はプロではないので興味を引く話などそんなに出来ません。

なので、内容にばかり目を向けるとつまらなく感じてしまうこともあると思われます。

恋人や友人が、仕事の愚痴を言うとします。愚痴を言っているようでいて、その実は内容を伝えたいのではなく、「こんなに傷ついた私をかわかってちょーだい。」ということなのでありましょう。

このように話の表面ではなく、「相手の感情に気づき受け止める」ことが大事だとのこと。

会話で「音」に注意していくと、感情を受け止めてあげると、相手の声が高くなり落ち着きをなくしたり、逆に落ち着き低くなったり。他に
も話す速さが捲し立てるように変化したり、ゆっくり流れる様になったりします。

その微細な変化に気が付くようになると、相手の苦しみの度合いもわかってきて、聞いているこちらが落ち着いて観察し反応できるようになるという事であります。

相手の発している苦しみのSOSに鈍感であると、話を流してしまったり、「その話はもう聞いた。」などと余計に相手を苦しめることをしていまいます。

さらに「愚痴を毎回聞かせやがって、俺様を利用してるな!くそっ!!!」等とやった日には、自分にまで苦しみの「煩悩」が飛び火すること請け合いでございます。

小池氏は、どんな時でも役に立つのは、「相手を突き動かすのは、苦しみ、ストレスなのではないか」と言う観察であると述べています。

ただ我々の「心」は「あの人も色々大変なのよね。」等と無理やり思い込もうとしても無駄なようです。

相手をみて現実に証拠を見つけない限り「心」は納得しないという事だとあります。

だからこそ、相手の発する声や息遣いなど「音」から情報を得、更には表情なども観察できればベリーグッドであるとのこと。

そういった微細な変化を捉えることで、はっきりと相手の苦しみを理解し「心」も納得し合点するようです。

このような観察を習慣にしておくと、「心」に怒りを増すことなく冷静に対処できるのだと述べられています。

以上は、すでに不快な反応が起きた後の対処ですが、さらに小池氏は
情報を入り口で止める
のがより良いと述べています。

これを行うには、「聞くこと」に全ての意識を集中させて「心」の余計な働きを止めてしまうのだそうです。

聞こえる「音」が好ましいもの、不快なものに関わらず、ありのままに受けるのです。

「ああ馬鹿者と怒鳴っているな。」とか「あは~ん。うふ~ん。」と言っているなとかそのまま観察していきます。

上司に怒られている時に、もしやったなら、恐らく気まずくなるでしょうから自己責任で試してみるとよいでしょう。

こんな風に「音が聴覚を脳みそを刺激しているに過ぎない。」と繰り返していると、言葉の意味や、話の内容に一喜一憂せずにいられるようになって来るとのことです。

「こういう話の流れにならないかな。」とか「次は何を話すのかな。」と相手の話に意識を向けず、常に自分の「感情」を観察することが大切であるとあります。

またまた長くなりましたが、「聞く」ことに関してはこれでお終いでございます。

自分で書いておいて試さないのはどうかと、早速やってみました。

人前でパフォーマンスする際、目的地の移動時中によく音楽を聞いていたのをやめてみました。(絶対聞かないんだと、こだわり過ぎるのもよくなさそうです。)

「今、歩いている。」「今、電車の中で立っている。」など自分の状況を頭の中で実況してみました。

するとどうでしょう、本番の人前でのパフォーマンスを適度な緊張で迎えることが出来ました。

り方は人それぞれですが、小池氏の、そして何千年と続いている仏教の教えは侮りがたしと実感したのであります。

いつも緊張したり、やらかしてしまうという方がおられたら是非一度試されてはいかがでしょう。

阿呆の私も大分これで助けられました。

それではまた、次回に続きます。

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