アドラー「嫌われる勇気」孤独を知れば人生は変わる。

こんにちは。

今回はアドラーで有名な「嫌われる勇気」を自分の体験とともに書いていきます。

2017年1月から「嫌われる勇気」を題材としたドラマがやるそうですね。

流行ったものはなんでも映像化されますね。

そんな華やかな世界とは別に淡々と書いていきます。

旅の記事とはだいぶ趣向が違いますので、興味ある方だけどうぞお読みくださいませ。

人生をいつの間にか変えてしまった「嫌われる勇気」との出会い

私がアドラー哲学のを書いた本書と出会ったのは、2014年です。

かなりのベストセラーになっていたようですが、発売すぐには買っていませんでした。

それこそ、「引き寄せ」など、イメージとしてはぼやけた内容が多い本を読んでいました。

私へ色々アドバイスをしてくれる尊敬する人がいるのですが、その人から「嫌われる勇気を読んでみろ。」と言われ購入したのでした。

「この本にはお前に足りないものがすべて書かれている。」とのことでした。

読んでみたら確かにすぐには受け入れがたい、私の「コンプレックス」を刺激するものでした。

しかしじっくり読み、さらに時おり読み返すことによって以前の自分とはかなり性格が変わりました。

口先だけでなく本当に変わりたいと思っているなら

本書「嫌われる勇気」を読めば絶対に人生が好転していくと思います。

昔の私は変わりたいと言うだけで、そういうふりをしていただけでした。

「嫌われる勇気」は、まるで本書を読むだろう「読者のような青年」と

アドバイスをしてくれる読者から見た「理想像をあらわしているような哲人」

の問答形式で進んでいきます。

わたしが一番感じた本書の効用

「変われない理由がすべてつぶされる(変わらない・・・かな?)」

これに尽きると思います。

たぶん「嫌われる勇気」を意味がないと嫌う方は

まだ自分自身と対峙する心の気力が足りない状態なのだと思います。(当時は無理やり読んだので拒絶反応がかなりありました・・・)

まだ自分自身が本書を必要としていなのだと思うので、そのうち気が向いたら読んだらいいと思います。

この解説などはなおさら要らないと思います。

興味がある方だけお付き合いくださいませ。

第一章 人間は目的にそって生き行動する。

一章では「なぜ人は変わることが出来るのか」について述べられていきます。

初めに「なぜ引きこもるのか?その目的は?」と言う話が出てきます。

「引きこもる」というとどんなイメージでしょうか?

今読んでくれている方は、「引きこもり」の経験がある人とない方でイメージは違うかもしれないですね。

「引きこもりを経験した」私のイメージでは本を読んだ段階では

過去に悲しいことやショックなことがあって身動きできなくなってしまった状態」

そう思っていました。

ある意味では正しかったのですが・・・自分が「そういう状態でいようと選択した」という事に対してです。

本書で青年はわたしが勘違いしていたように、親との確執などひどい仕打ちを受けたか、いじめかわからないが

「引きこもり」になる原因は「過去のできごと」にあるのだと指摘します。

「原因」⇒「結果」という関係があるという考え方です。

「過去」がトラウマとなり「現在」苦しんでいるのだと。

しかし哲人のアドラー心理学はこれを完全否定します。

「もし虐待を受けること(過去におきたこと)が引きこもる(現在の状態)原因とするなら、虐待を受け育った人はみんな引きこもっていないとつじつまが合わない。」

「過去が現在のありかたを決めているんだとすればそういうことでしょう?」

と言います。

当時の私は、「え?何が言いたいの???」って思ったんですけど

「過去」が「現在」を決めてしまうならば、すべては過去に縛られ動かすことはできないですよね。

そこでアドラー心理学では、「過去の原因」ではなくて「現在の目的」を考えます。

「引きこもり」であれば

外に出たくないので、不安の感情を生み出している

ということです。これを「目的論」と呼んでいます。

「過去」から「現在」を見ていくと、変われなくなってしまいます。

この後出てくる内容で、第一章で昔の自分にとって一番都合が悪かったことが

トラウマは存在しない

という事です。

なんで困るの???

それは過去の出来事がトラウマになっている。

これを理由に引きこもったり、腐っっている自分を肯定していたのに

それがなくなってしまうんですよ。

つまり、変わるしかなくなるんです。

変化を拒否して考えを変えないという選択もあり得ますけど・・・

引きこもりから脱出する方はこんな記事もあります。

変わって生きたい私にとっては、とてもニガイ劇薬でしかありませんでした。

アドラーは、過去の出来事などの「経験」は私たちに何の影響も与えないのだ。と言います。

あるのはそれぞれが「経験」に対してどんな「意味づけ」をするだけです。

以前の私ならば

経済的に裕福でもなければ、生きていく為の知恵を与えてくれるわけでもない家庭に生まれ

さらには、過保護な両親のもとで人生への決定権を失い、自分に価値などないと思わされて生きてきた。

恵まれた環境に生まれた人間と、そもそもの出だしが違う。

ざっくりいえば、こんな風に思って内心腐って生きてきました。

ではアドラーの「目的論」で昔の私の「考え」を観察すると(あんまり思いださない方が良い事なんですけど・・・)

昔は人を不快にさせたりひねくれた言動が多く、色んな事が上手く行きませんでした。

結果どうなるかというと、以前の記事に書いたのですが、超絶安定の「公務員」をやめ「引きこもり」ました。

20才超えるくらいまでハッキリとは「自覚」できなかったのですが

私の人生が上手く行かないのは「両親」のせいであると「憎しみ」を抱いていました。

つまり、親の教えに従って生きて上手く行かなかった「憎しみ」を

「引きこもり」と言う形で表現して「復讐」していたんですね。(アドラー心理学で言えばです。他の学者などは違うでしょうけど。)

と言う風に「過去」に捕らわれて生きるとロクな人生になりません。

あ、この場合は親への当てつけで「復讐」することが「引きこもり」の「目的」になってます。

じゃあどうするのよ!?ってことなんですが

過去に縛られず生きるためには???

嫌われる勇気オビ
アドラー心理学では「感情」は「目的」のために引き出される「道具」であるとしています。

「感情」について昔の私は「良い事や嫌なことがあるから、喜んだり怒ったりする。」と思っていました。

しかし、これもアドラーは否定します。

どんな状況でも、自分がどういった行動をするかという「選択肢」があると思います。

たとえば満員電車で乗り降りするときに、勢いよく入ってきた人や出ていく人に突き飛ばされたとしたます。

みなさんならどうしますか???

「突き飛ばした相手をぶん殴る」

「突き飛ばした相手に抗議する」

「よくあることと、気にしないようにする」

「電車以外で移動する」

とまあ色々な行動を選べるはずです。

上の二つは「怒りの感情」を前面に出した行動ですよね???

なんとなくのイメージだと

「突き飛ばされる」=「怒りの感情」という結びつきがあるように見えます。

ですが

「ヤクザのような強面の人」が突き飛ばしてきた場合と

「ひ弱そうな人」が突き飛ばして来た場合ではどうでしょうか。

ゼッタイ違う反応をしますよね。

「ヤクザのような強面の人」とぶつかった場合は

絡まれて自分に被害がないようにという「目的」のために

「怯えて」そ知らぬふりをします。

「ひ弱そうな人」とぶつかった場合は

普段ストレスが溜まっていれば「ストレス発散」の為に「怒る」かもしれません。

もっと分かりやすく例えられればいいのですが・・・(いい説明があれば、見直した時に色々修正していきます。)

こんな風に「目的」に応じて「感情」は意外と冷静に使い分けられているそうです。

アドラー心理学では「感情」は出し入れ可能な「道具」であり。

「感情に抵抗はできない」という事はありえない。

仮に「過去の出来事」から「感情」が生まれるとしたら

その「感情」に支配されないならば

「過去からも解放され自由になり幸せになれる」(ここでいう「感情」はイコール「過去」だから)

「人は変わることができる」

アドラー心理学では、これがすべての前提になっています。

そして「何が与えられたか」ではなくて

「与えられたものをどうやって活かすか」に焦点を当てています。

「与えられたもの」が人生を決定してしまうならば、生まれた時点ですべてが決定してしまいます。

「与えられたものとどう活かすか」という発想を持つことで

アドラー心理学の前提となっている

「人は変わることができる」

という言葉も鮮明にいきてまいります。

昔の私がよくやっていたことなのですが、

~のようにとか、誰々のようになりたいと考えていたことがありました。

たぶん微笑ましい憧れなどではなくて、裏を返せば

「今のこのような自分だから不幸である。」から

「理想の~になりたい」

というコンプレックス、劣等感からくる願望でした。

深い理由はそれぞれの事情により変わってくると思いますが

私の場合は先の例でもあったように

「上手く行かない人生」を両親のせいにするという「復讐」的要素が強かったのだと思います。

本書では「ソクラテスのパラドクス」に例えて説明しています。

全ての人は「悪」はなさない。「善」のみを行っている。

世間的な「悪」ではなくて「自分のためにならないことはしない」

と言った意味での「悪」です。

「善」とは「自分のためになっている」という意味です。

つまり今まで説明して来ましたように「目的」のための行動のみを人間はするということです。

他人から世間から見て「それが善で、良い事なの?」ということだとしてもです。

それぞれの事情や理由があるわけです。

今まで長々と書いてきましたが、ざっとまとめますと

・人は変わることができる

・「過去」によるトラウマは存在しない

・すべての行動には人それぞれ「理由」がある

・「感情」は「目的」によってその時々で作りだされる

これが今までお話ししてきたことです。

そして、私たちの行動を決定している「性格」や「性質」のことを

「ライフスタイル」

とアドラー心理学で読んでいます。

この「ライフスタイル」が決定されるのはおおよそ10歳前後になるとされています。

この思考や行動の「ライフスタイル」によって

人それぞれ見える「世界」や「自分」へのイメージなどの「意味づけが変わってきます。」

自分に見える「世界」を「暗く悲観的」に見ることも

「明るく肯定的」にみることも本人次第なのであります。

そしてどんな「ライフスタイル」を「選択」するかが重要になって来ます。

いままでがどんな「ライフスタイル」であったかは関係ありません。

人間は10歳頃に「ライフスタイル」を無意識に選んで生きていきます。

これが先天的でなくて10歳ころに「選んだ」ものならば

ふたたび「選びなおす」事ができるはずです。

つまり人生が幸せな方向へと変わっていないのは

不幸であることを「選んでいる」自分が今この瞬間にもいるからです。

人間の脳みそは変化を嫌う傾向があります。

「不満」があるけれど、今までの「経験」を元に判断し生きた方が「楽」でなのでしょう。

「ライフスタイル」を変化させれば当然、様々な試行錯誤をすることになるでしょう。

それよりは、人生に多少なりとも不満や不安があろうとも「このままの自分」でいることが楽チンで安心安全なのです。

これを変化させ断ち切るために何が必要なのか???

過去や環境、能力の不足などではなくただただ

「勇気」が必要なのです。

人生を変えることで起きるだろう全てを受け入れる「幸せになる勇気」が求められるのです。

もし~だったらという可能性に逃げている内はずっと変わらない自分がそこにいるだけです。

不幸の理由は自分にしかなく

幸運もまた自分の中にしかない

全てを受け止める「勇気」ですね。

楽して儲かる方法なんてないってことですか。

多分苦労はしたくないけど、人生変わる方法を求めて人は右往左往するのでしょう・・・

昔の自分ですね。思いっきり・・・

本屋にもそんなタイトルの本ばかり・・・すぐ効果出るようなうたい文句がならんでますよね。

月並みですが、「勇気を持って1歩を踏み出す」のが大切だということでしょう。

走るときも、自転車こぐときも、車運転するときも

最初はノロノロでスピードは段々上がって来ます。

続ければ必ず希望の光が見えてくることでしょう。

私は「嫌われる勇気」を読んで1~2年して段々変わって来ました。

呑み込みが早ければもっと早く効果が出るのではないでしょうか?

もし何か参考になれば嬉しいです。

「嫌われる勇気」まとめ&感想

内容が膨大で第1章だけで大分ボリュームが多くなりました。


これから見直してリライトなどして行こうと思います。

第2章以降はもし気が向けば追加して行こうと思います。

最後は本を読もうが、それらしい「答え」を聞こうが

「自分自身と向き合い、独りで答えを見つけていくしかない。」

それがアドラー心理学で、「勇気」の学問なのだそうです。

早く考えを変えてしまったもの勝ちです・・・というか楽に生きられます。

引きこもりから脱出する方はこんな記事もあります。

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