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池上「本成院」池上七福神の「福禄寿」を祀るお寺!!!

今回は東京都大田区池上にある池上本門寺の子院「本成院(ほんじょういん)」をご紹介します!!!

「池上本門寺」にむかう参道沿いにお寺があります。

この辺りは色んなお寺が密集しているので、様々なお寺を見学しやすいです。

それでは早速、画像と共にお楽しみください!!!

目次

池上七福神「福禄寿」

本成院観音堂 外観

こちらは本成院の「観音堂(かんのんどう)」です。

朱塗りで鮮やかでした。

結構見学している人がいました。

本成院 観音堂

金色に輝く「観音堂」の看板。

元々は日蓮の弟子であった日向(にっこう)の住居でした。

開創年代は日蓮の没年である鎌倉時代の1282年(弘安5年)。

昔は北之坊(きたのぼう)、喜多院(きたいん)と呼ばれていたそうです。

本成坊(ほんせいぼう)という寺院がが廃寺となったため創建されました。

本成院 観音堂内

撮影禁止ではないので、柵の隙間からパシャリ!!!

ありがたや。ありがたや。

本成院 山門4

「観音堂」の隣には本堂があります。

こちらは打って変わって渋い感じです。

本成院 表札

「本成院」の表札。

この辺りはどのお寺も見学可能なところが嬉しい。

本成院境内

山門から境内へ。

静かな感じですが、観音堂の赤が主張している・・・

本成院境内

こちらには池上七福神の一人「福禄寿(ふくろくじゅ)」が安置されています。

「福禄寿」

福禄寿(ふくろくじゅ)は、七福神の一人です。

幸福(この幸福の意味は、血縁のある実の子に恵まれること)、財産、健康的な長寿の三つを表しているそうです。

宋の道士であった天南星、南極星の化身であるとされることがあります。

七福神の「寿老人」と名前が違うだけで、同一人物の神様とされることもある。

福禄人(ふくろくじん)とも言われるようです。

本成院 七福神

大きく張り紙もされ大分プッシュしてますね。

どれ写真を撮ろうかね・・・と思いきや。

本成院境内

見事に反射するガラスの扉・・・綺麗に反対側が映ってるなぁ(笑)

七福神は直接見に行ってみてくださいませ・・・

歴史

「本成院」境内の説明版より

当院は山号を喜昇山(きしょうざん)、旧称は喜多院(きたいん、北の坊)と称す。池上本門寺の旧塔頭支院です。

寺伝によりますと、当院は佐渡阿闍梨日向上人(さどあじゃりにっこうしょうにん)の開基なり。

日蓮大聖人の直弟で六老僧の一人にして、弘安5年池上に御来向の砌池上右衛門大夫宗仲は草庵を造り、日向上人を住居せしめたといわれています。

当院は、はじめは池上の北谷の地、桐ヶ谷の北の端、とどめきという所にあって、北の坊または喜多院とよばれましたが、日舜上人の代に東谷にあった本成坊が廃坊となったので、これと合併再興されました。

この本成坊は日蓮大聖人の直弟で、中老僧の日源上人の庵室であったと伝わる。

慶長年間に池上本門寺13世日尊上人が当院を隠棲の場所と定め、寺域の整備、充実に心がけたので寺観は一新しました。

その後宝永年間の火災で焼失したので、15世喜多院日寶大徳が享保年間に現在地に移して再建、本成坊と称するようになったといわれています。

「本成院」の説明版「池上寺巡りより」

弘安5年(1282)日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創。

はじめは池上の北谷の地「とどろき」という所にあり、北之坊または喜多院とよばれた。

その後、東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併、再興された。

慶長年間(1596-1615)池上本門寺13世日尊聖人の隠棲地として整備されたが、宝永年間(1704-1711)に火災で焼失。享保年間(1716-1736)に現在地に移り再建、本成院と称するようになった。

まとめと基本情報

「本成院」は池上本門寺に属する小さなお寺です。

「観音堂」の観音様と、七福神「福禄寿」をお祀りしています。

メインの池上本門寺の参道にあります。

他にもたくさん小さなお寺があるので色々見てまわると楽しめると思います!

「本成院」基本情報

住所   〒146-0082 東京都大田区池上1丁目35−3

電話   03-3751-0111

拝観時間 9時~16時ころまで

拝観料  無料

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