「いじめ」中学生での体験を淡々と考えてみた。

「いじめ」っていうのは本当に辛いですよね。

私の体験から分かっていることをお伝えしますので、少しでも心安らかになっていただければと思います。

それでは行きます!!!

私の中学生時代の「いじめ」体験から学んだこと

これを読まれている方の中には、今現在「いじめ」の真っただ中にいて、早く「いじめ」から抜け出したいと思っている方がいらっしゃると思います。

私は中学校時代「いじめ」を体験し、かつ高校生~20代後半くらいまで集団の中で常に浮いているという「いじめ」られ「省かれる」プロフェッショナル???でした。

なにから話したらこれを読んでくれている「いじめ」を受けている方の気持ちが楽になるでしょうか?

まず初めに、私の中学生時代の「いじめ」体験から言って私に対して中学生時代に「いじめ」をした人間とは現在まったく関りがありません。

当たり前だと言いますか???そんなの当然だと!?

しかし、当時の私の心境は「もう消えてしまいたい・・・」と毎日思っていて、この中学生時代「いじめ」られる日常が未来永劫永遠に続くかのような気持ちでした。

人間は「不安」になるとき必ずその「不安」を生み出している「原因」の正体が分かっていないはずです。

中学生時代「いじめ」が永遠に続くかのように思っていた私ですが、中学を卒業と同時にそのような状況は突然ふっとなくなりました。

「いじめ」をする人間というのは別に誰を「いじめ」ようが気にしないはずです。

別な場所に行けば誰かしら「いじめ」る対象を見つけ出すのでしょう。

まず大切なのは、あまりにも「いじめ」という状況へ「関心」を向けすぎて他の要素を見落としていることが「永遠に続くかのような不安」を生み出している可能性があります。中学生時代に私が「いじめ」を受けていた時もそのように感じていた記憶があります。

考えて見て下さい。その「いじめ」が「必ず終わる」としたら少しは心が軽くはならないでしょうか???

まず「いじめ」という状況をすぐ変えられますか???変えられる方法をお持ちでしたらすぐ「実行」されるとよいでしょう・・・ただしご自身を相手を直接傷つけるというのはダメですよ???

それは本当に無駄な事です。何故無駄と考えるかというと・・・

中学時代の「いじめ」体験から感じた「いじめる側」の辿る運命

まず「いじめをする側」について私の私見ですが、これは大変無駄であり人的資源信用を失う愚かな行為です。

「いじめをする側」の受けるデメリットですが

まず「いじめ」をしている間は、何もプラスになる事は生み出していません。

「いじめ」する「時間」に対して何も生み出していない・・・それどころか。

「いじめ」をすることによって、自らの周りに「敵」をつくり何よりも将来有望の可能性を持つ「いじめられる側」と生涯にわたり断交状態になる可能性が極めて高いことです。

「いじめ」を受ける側というのは、大抵集団からは浮いた存在なはずです、有名無名問わず他を抜きんでる存在になる人というのは、「その他大勢」とは違う思考回路を持っているはずです。

例えばスティーブジョブズは一度アップル社を追われ、また舞い戻りましたし、アインシュタインのあのベロを出した写真なんかは「変態」そのものじゃないですか???やはり共通して、世間から見たら変人で浮いていたはずです。

「いじめ」をする者とそれに携わるものというのは、一般的な発想の「普通」な人間だと思います。

「いじめ」をする人間は、気に入らないものに対して周囲の人間という人的資源を暴力的に使う人だと思います。

特に干渉して来ない「日和見する人」は特に自分の意思を持っていないが故に「状況によって左右される」存在なはずです。

つまり特に変わり映えのない「普通の人生」を送って生涯を終えていくことでしょう。

それどころか「いじめ」をする総大将として我が物顔で振舞っている現在がその人間にとっての「人生の絶頂期」かも知れません・・・絶頂期という事はあとは堕ちるだけです。

「いじめ」をする人間はまず一緒に手を汚させる相手を作り出すと思うのですが、その取り巻きというのも「自分もいじめれるかもしれない」という恐怖によって従っている状態です。

「いじめ」をすることにより、自らが大変危険な人物であることを周囲に宣伝してしまっている状態です。

昔と違い「情報」が非常にオープンになっており、世間や周囲へ伝播しやすいはずです。

その現代において「いじめをする危険な人物」であることが周囲の認識になるという事はメチャクチャ危険な「リスク」となる可能性を持っていると思います。

そして「いじめ」をしている間、恐怖や不安を与えることでコミニケーションを取ることしか学べない事です。

おそらく「いじめ」を主導する立場を失ったときだれも「いじめ」をしていた者を相手にしようとはしないでしょう。

なにより「いじめ」をすることにより、狡猾で暴力的なコミュニケーションの仕方が習慣になるということは、その後の人生に大きな影響を与えることは間違いありません。

あー怖い怖い。ご愁傷様。

いじめられている側にも問題がある!?ナニソレ???

それから私的にかなり引っかかるのが、「いじめられる側にも問題がある」とかよく言うじゃないですか???

あれは凄くしょうもない意見だと思います。

何故かって???そんなこと「当たり前」だからです。

「問題」というより「理由」でしょうか・・・

「いじめられる側に理由」があるなら「いじめる側にも理由」があります。

仮に「いじめられる側」がその問題とやらを解決したら本当に「いじめ」がなくなるんでしょうか???

というか「いじめる側にも問題がある」っていう偉い先生方、早くその「問題」を教えてあげて下さいませ。

そうしたらすぐにこの世の「いじめ」問題が解決するんじゃないでしょうか???

そうしたらもしかして「いじめ」の延長線みたいな「国際的問題」も片付いちゃうんじゃないでしょうか???

どちらかに原因があると押し付けあうのは、絶対あり得ないだろう!?どちらかの「価値観」を完全に受け入れさせる行為です・・・つまり100パーセントどちらかの言い分を受け入れさせ合う行為ということではないでしょうか?

どっちに問題があるとかないとか、言ってること自体がナンセンスだと私は思います。

それこそが「いじめ」「関心」を向ける行為だからです。

「いじめ」から抜け出したいのならいますぐ、どのような形であれ「いじめ」へ「関心」を向けることを止めて行きましょう。

不安になって恐怖すること、絶対やり返してやるとか思う事、誰も助けてくれないといじけること・・・その他いろいろありますが、それらが「いじめ」という状況、現象を自分の中に創り出していることだと思われます。

じゃあどうしたらええんや???を考えて見ます・・・ウーン大変!!!

ちなみに、もし今の私が当時の中学生だとしたら、いじめられた日付、具体的な内容を日記形式に記録しておいて、卒業と同時に「いじめた側」の家と学校や教育員会にバラまきますかねぇ・・・そっくり全部返すぜ!!!ってな具合ですか。

卒業するからもう関係なくなりますが、そんな日記を投函された方は疑心暗鬼に陥るでしょう。

家庭も荒れるでしょうねぇ~、「いじめ」をする側の両親ってのは大抵自分は正しいと思っているような人が多かったですから・・・私は30過ぎるくらいまで誰にも「いじめ」のことは話しませんでしたけど。

それから何故か「いじめ」をしていた側の親御さんから何故か気に入られていたりしました・・・今なら自分の身に降りかかった様々なことを分析できますが、当時は色々意味不明でしたね・・・

しかし!すっきりするでしょうが、自分へのメリットは少ない行為なので推奨しません!!!

貴重な時間がムダですから(笑)

「いじめ」から抜け出し、どのように生きたいのか意識すること

話を戻しまして、もし・・・もしも、「いじめ」何て言う状況が無かったら・・・どんな風に生きたいですか???

あんな所へ行ってみたい!友達と気兼ねなくおしゃべりしてみたい!将来は~になりたいとか・・・まあ何でもいいのですが・・・

水着の姉ちゃんと遊んでウホッってしたい!!!

イケメンの兄ちゃんといちゃつきたい!!!

バンジージャンプ!スカイダイビング!!世界一周!!!

すいません・・・適当に並べました・・・

でもですよ!!!一瞬でも妄想に浸っている時、自らの中に「いじめ」はなかったハズです・・・この感覚伝わるでしょうか・・・

人間自分の中にあることを「現実」として認識するようなのです。

良く言う例えですが、映画を見ているようなもので、自分の中にある「フィルム」が目の前に現実として「上映」されているワケです。

一気に胡散臭くなってきましたねぇ・・・信じるかどうかはお任せしますが・・・

つまり上映される「フィルム」を変えてしまえばその映像は流れない・・・つまりこの記事でいうならば「いじめ」はなくなるということです。

んなバカな!!!そう思いますか???

先ほど、おバカな妄想の話をしましたが、そういった気分良くなるような妄想をしていた時「いじめ」られている感覚はあったでしょうか???

では逆に目の前で「いじめ」という行為をされていないのに、家に帰ってとりあえず安全である自宅の中ですら「いじめ」られたことを思い出し目の前で「いじめ」られているような気持になったことはないでしょうか???

また世の中に「いじめ」を受けても平然としている人や、闘って撃退するような人間もいます。

そうすると「いじめ」というのはなんなんでしょうか???

こう見てくると「いじめ」られているということは、かなり多分に「主観的」観測なのではないでしょうか???

また擁護するわけではないですが「いじめ」る側に「いじめ」ている意識がない場合もあります。

その場合、その人間が「いじめ」られて初めて自らしてきた行為に気が付いたりする場合もあるわけです。

なんらかの不利益にあたる行為が発生し、それに対して「いじめ」られているという定義を自らに与えてはいないでしょうか???

「いじめ」をする人間とそれを「傍観」する人間、そういった人たちとのつながりがそんなに大切ですか???

そのつながりにすがる限り「いじめ」という状況が続いてはしまわないでしょうか???

クラスメイトは「学校」という共通点がつながりで一緒にいるにすぎません。

大人???になれば「仕事」「会社」という共通点で繋がっているにすぎません。

ほとんどの人間とはそういう繋がりがなくなれば関係がなくなるでしょう。

しかし、一部の仲良くなった人間は別です。ひねくれてモノを見ろと言いたいわけではありません。

そして、中学生の時の同級生で日頃関わっている人間は残念ながら!?私にはいません。

しかし、特に困っていることはありません。いたらいたで楽しいのだろうとは思いますが、現在人生のいろんな場面で知り合った何人かの友人がいて、私にはその関係が大切なものです。

そういった根幹部分での理解を共有した友人とは、関わる仕事、興味が違くても根幹での「価値観」が共通しているので会えばいつも楽しく過ごせます。

逆にそういった関係以外はいかに脆いものであるのかを「いじめ」という極端な状況によって知ることができたのは大きな財産になっています。

ちょっと話がそれました・・・「いじめ」から抜け出そうって話でしたね・・・

調べてみると「文部科学省」が出している。こういう制度もあるようですよ?

就学義務猶予免除者等の中学校卒業程度認定試験受験案内

まったく持って当時の中学生だった私自身の「情報収集力」のなさを嘆きますね~ホントに

先ほどの話を少しでも信じてもらえるのであれば「中学生」の関係なんてのは高校生になったりと「卒業」してしまえばほとんどなくなります。

近所に住んでいたってほとんどすれ違いもしませんでしたからねぇ~

ならば、こういう制度を通して中学生から高校生を目指しても良いわけです。

学校へ通わないと「コミュニケーション」する力がなくなって困りそう???

それは別に習い事や、好きな趣味で地域の教室やコミュニティに行くなどしてもよいでしょう。

問題というのはいろんな要素が絡み合って解けなくなっている状態です。

数学の難しい勉強とかそんなかんじじゃないですか???

足し算、引き算、掛け算、割り算が混じっている問題だとしたら、このどれか一つができなくても問題は解けないわけです。

その場合個別に、足し算、引き算、掛け算、割り算を勉強してからすべてを含んだ問題を解けば楽勝なわけですね。

当時は私の家庭は、「情報封鎖」鎖国状態でしたから仕方ないと思ってますけど・・・(笑)

内に外に「敵」がいたわけですね・・・振り返れば私自らが進んで「敵」をつくっていたんですが。

自分を救うのは自分自身ですよ???

こういう試験制度があること自体、親も知らないかもしれませんからね!色々「情報収集」して説得材料を集められるだけ集めてご両親に事情を話して「協力」を頼むのも1つの手段だと思いますよ!?

ほかにもご自身で色々考えて「自分自身」を救ってあげてください。

中学生時代の「いじめ」体験から見る「いじめ」問題を解くには

そんな簡単にいけば苦労しないよ!!!と言われるでしょうが、これはあくまでも私の私見です。

試すも試さぬもご自身で判断されると良いでしょう。

先ほども述べましたが、「問題」となっている事柄は常に解く方法のわからない、いくつもの要素を持った「複合問題」なわけです。

「いじめ」られているということについても同様だと私は思います。

例えば当時の私の「いじめ」という「複合問題」を自分が変え得る要素として分解して行きますと。

「いじめ」が含んでいる要素

1.学校へは通わないと「イケナイ」ものだという固定観念を持っていた。

2.両親の協力は得られそうにない(と思っていた)ため「自力」での解決を余儀なくされていた。

3.「いじめ」られて辛いくせに虚勢を張っていたため誰にも相談できなかった。

4.先ほどの文部科学省の試験制度など、「情報」とその「情報収集力」がなかった。

5.「いじめ」る人間や「傍観」する人間との関係(中学校内での環境)がなくなることを恐れていた。(今思えばアホ)

6.「中学生」同士の狭い世界から物事を見ていた。(もっと大人や他の世界を積極的に知ればよかった)

とまぁ細かく書くと重複してくるので、適当に書いてもこれくらいは出てきます。

こんな感じにご自身で紙に書くなりして、その一つ一つに対して自分がどうしたいのか?それをこれからも続けていきたいのか?続けて苦痛ではないか?などと観察していきます。

例えば1番目の「学校へ通わなければイケナイと思っていた。」などは、先ほどの

就学義務猶予免除者等の中学校卒業程度認定試験受験案内

こういうものがあると知ることができれば、絶対に通わなければイケナイものではなくなるわけです。

次に、この制度を利用するには両親の承諾を得ないとやりにくいでしょうから

2番目の「両親の協力を得られないと思っている」これに対して一度も話していない、または両親が納得するような情報と熱意を見せていないようであれば試してみると良いでしょう。

試したこともないのに初めから「無理である」としているなら、それも問題として書き出してもいいでしょう。

わかりやすく書けたかはわかりませんが、こんな風にしてああでもこうでもないとやっているうちに「分析」に夢中になるかもしれません。

その時、少し前に触れた「妄想してるとき、いじめは自分の中になかった」という状態になっているかもしれません。

実際「文部科学省」の試験制度を利用するかどうかは別にして、そうやって今現在自分に出来得ることに「夢中」になる時間が増えたときいつの間にか自身の中に「いじめ」という問題が薄くなり、なくなっていっていることに気が付くでしょう。

そうなっていったとき最早自分自身を憐れんでいた惨めな「いじめ」の被害者から抜け出していることに気が付かれるはずです。

中学生時代の「いじめ」体験からの「まとめ」

私見を書き連ねてきましたが、「いじめ」る人間はいるのも事実ですが、一人でも多くの方が「いじめ」が自分の中から来るものかも知れないと気が付いていただければ幸いです。

自分の中から出てきたモノ、ありふれた言葉でいえば「自己責任」ですか。

「自己責任」であるとははじめ認められないと思います。私も無理でした。

しかしもしも、すべて「いじめ」が「他人の責任」であるならば「自分自身のコントロール」は効かないはずですので嵐が去るのを待つしかありません。

逆にすべての問題が「自己責任」であると認めるならばその「いじめ」を初めとする様々な問題は「自分自身のコントロール」下に置かれたことにはならないでしょうか???

この発想であれば先ほどの複合的な問題を少しずつ分解するなど、徐々に自分自身の意志で変化を生んでいくことができるのではないでしょうか???

最後に私の体験から言わせていただくと、自分自身がその状況にしがみつかない限り必ず「いじめ」という状況は消えさりますので、ご自身を第一に考え労り大切にしてあげてください。

そうすればきっと周りからも大切にされるようなことが起きてくるはずです。

それでは今回はこのくらいで!

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